梅と竜(1)

 その女は、地下室でも帽子を脱がなかった。

「才谷桜花と申します」

 自己紹介は囁きに似ていた。

 声を潜めて喋る癖がついているのだろう、と俺は推測する。


「公安警察のご協力に感謝します」

 女――つまり『才谷桜花』は、深く頭を下げ、また上げた。

 えらく長身で、下手をすると俺と同じくらいの背丈はあるだろう。

 どこか鋭利さを感じさせる顔立ち。白すぎる頬。その顔を見たとき、俺の《鑑定》スキルが発症している。


 名称:《隠蔽》。

 種族:《隠蔽》。

 所属:《隠蔽》。

 症候群クラス:《隠蔽》。


 これでは、何もわからない。

 いまの感覚は、俺の《鑑定》スキルが、彼女の《隠蔽》スキルに敗北したことを意味する。

 もともと俺の得手ではない《鑑定》スキルだ。《隠蔽》や《詐術》といったスキルの罹患者を相手にする場合、まったく役に立たないことも多い。


 だが、彼女の場合は実に徹底していた。

 名前すら明かさないとは、よほど猜疑心が強いに違いない。あるいは、そういう仕事なのか。

 いずれにせよ、違和感がある。


「弟が――梅花が。行方不明になったのは、一昨日の昼です」

 俺が観察している間にも、才谷桜花は本題を開始していた。

「新宿の歌舞伎町でした。ほんの数秒、目を離した隙にいなくなってしまって。それ自体はよくあることなのですが。好奇心の強い子で、これが初めてではありません」


「新宿か」

 俺は慎重に言葉を選ぶ。

「あの近辺は、特別に物騒ですよ」

 これは事実だ。地球と異界の交流がはじまって以来、新宿周辺にはオークやシャドウ、ナイトメアといった種族が住み着いている。

 その多くが不法入界。

 要するに、異界に居づらくなって日本にやってきた、『問題あり』の連中ということだ。


「いなくなった弟さん、年齢は?」

「十三、に、なります」

 年齢を述べるとき、ほんのわずかに桜花は言葉を詰まらせた。

「ひとりで居なくなるのは、以前からあの子の癖のようなものでした。しかし、連絡一つ寄こさないのは初めてのことです」


「それは大変だ」

 言ってから、我ながら言葉の選択を誤ったな、と思う。

 いまのはかなり他人ごとに聞こえたかもしれない。まったくもって、俺はこの手の『被害者への事情聴取』というやつが苦手だった。


 が、才谷桜花はそれほど気にしなかったらしい。

「弟を、見つけていただきたいのです。父も母も心配しています」

 その口調からは、冷たい金属のような冷静さと、同じくらいの量の切迫感がうかがえた。

 いろいろなことを隠したり、嘘をついていたりはするが、その目的だけは本物だろう。俺はそんな風に判断する。


 また、違和感が一つ増えた。

 単なる行方不明者の捜索が、俺たち異事対の仕事とは思えない。

 だとすれば、これはどういう理屈だ?


 そこまで考えて、俺は思考を打ち切った。

 背景を考えるのは後だ。

 いまは、この仕事を進めなければ。


「あー……弟さんの、写真か何かは?」

「こちらに。ちょうど一昨日、いなくなる直前のものです」

 桜花は一枚の写真を、デスクの上に乗せた。短く切りそろえた爪。


 のぞき込むと、写真には少年が一人だけで写っている。

 新宿らしき街並みを背景に、桜花と同じキャスケット帽をかぶった少年が、笑いもせずにこちらを見ている。斜視気味なのかもしれない。右の目を細めて、睨むような視線が印象的だった。


「この写真、いただいても?」

「どうぞ」

 写真から手を離し、桜花は再び一礼した。

「くれぐれも、宜しくお願い致します。一刻も早く、弟を見つけたいのです」


 ――そうして彼女が出ていくと、あとには写真と俺が残された。

 いや。

 正確には、もう一人。


『直接の依頼とは、珍しいな』

 部屋の奥の水槽が、ごぼごぼと泡立った。濁った緑色の液体で満たされた、そこそこ大型の水槽だった。

 その内側にいるやつこそが、俺の相棒。

 イド・シヴロ特別捜査顧問。


『今回の仕事は、室長の指示か』

「まあな」

 椅子に深くもたれかかり、俺は写真を天井にかざした。

「俺たちは探偵じゃないんだけどな。迷子探しなんてやったことないぜ」


『事態が迷子探しで収まらないからだろう。我々以外にも、捜索を受けている者がいるに違いない』

 シヴロはゆっくりと水面にさざ波を立てる。

 やつが考えているときの癖だ。

『エルフどもに手を貸すのは気に食わないが、恐らくこの件、外交問題に発展しかねない。きみたち公安としては、なんとしてもその少年を探す必要があるな』


「ああ? 待て、待て。いまなんて言った?」

 俺はすぐに椅子から背中をはがした。

「なんだって? エルフ? この件はエルフが関わってるのか――もしかして、いまの女も?」


『それはそうだろう。九割方、エルフと見て間違いない』

「九割?」

 また、俺は違和感を覚えた。

 シヴロが確率でモノを語るのは、実はかなり珍しい。


「引っかかる言い方だけど、その前に、何が『それはそうだ』なんだよ」

『あえて説明する必要はないと思うが。どこから解説するか。きみの場合は、そうだな――そう。《鑑定》スキルは発症したか? 彼女は《隠蔽》スキルで種族を隠していなかったか?』

「見えなかった。名前も所属もわからない」

『では、彼女はエルフだと推測できる。その他の状況証拠は割愛するが、ほぼ間違いない。帽子をかぶって耳の先端を隠していた』


「……じゃ、このガキもエルフか?」

 写真を振って見せる。帽子で耳の先端を隠しているのは、彼も同じだ。

『当然、そうなる。かなりの重要人物と見て間違いない。いまの依頼人が軍属のエルフだからだ』

「ああ、道理で。それなら俺にもわかる」


 正確には、才谷桜花の手を見たときだ。

 あれは普段から、剣の類を握って訓練している手だった。剣道か何かをやっているのかと思ったくらいだ。


 だが、納得できないことはある。


「ちくしょう。シヴロ! お前も同郷出身なら、ちょっとくらい口を挟めよ」

 俺は文句の一つも言いたくなった。

「俺に事情聴取なんてやらせるな。苦手なんだ。たまには【賢者】らしいところを見せろ」

『【賢者】は交渉が本領ではないし、きみは私よりもマシだ。私がエルフやドワーフと会話をしたとして、事態が好転すると思えない』

 シヴロの声には、少しの感情の揺らぎもない。

『私は連続殺人とテロリズムの容疑で指名手配されている』

「前から気になってた。それ、マジなのかよ」

『事実ではある』


 俺は何度となくシヴロに尋ねたことがある。

 なぜ、こいつが地球にやってきたのか。元の世界に戻れない理由は何か。その都度、要領を得ない返事ばかりが返ってくる。

 最近では、尋ねる気も失せてきた。

 たぶんシヴロにとっては想像を絶するほど重要なことで、誰にも話したくないのだろう。


「なあ。このガキが重要人物って、もしかして王族の息子とか?」

『だとすれば、あちら側のイゥフセン……ああ。きみたちが言うところの、連合国家が黙っていない。重要人物ではあるが、向こうが表立って動くことのできない、極めて特殊な存在ということだ』

 シヴロは盛んにさざ波を走らせた。


『興味が湧いてきたな。単なる重要人物ではない少年。何者だ? 軍事訓練を受けたエルフが、秘密裏に捜索するとは。これは面白いぞ、山岡』

「別に面白くはねえよ」

 行方不明ということは、あまり想像したくない結果になっている場合もある。急がなければならない。

「シヴロ。このガキがどこにいるか、手がかり出せるか?」


『残念ながら、現状では私のスキルも知性も有効ではない。情報が足りないからだ』

「役立たずめ。つまり、俺が足で探せって?」

『そうするべきだ。汐月捜査官が入口ロビーで待機しているはずだ。協力して情報を集めろ』

「汐月が? なんでわかる?」

『愚かな』


 シヴロはごぼごぼと泡を浮かべる。

 そいつは、どことなく嘲笑うような響きに聞こえた。

『この捜査を請け負うのは、間違いなく我々だけではない。事態が切迫している以上、ここ最近の現場出動を考慮すれば、彼女も任務を受けている。そして彼女にバディはいない』

「この手の捜査、俺より得意なやつの方が多いぜ」

『それでも、汐月捜査官は玄関ロビーで待機している』

「なんで言い切れる?」


『きみに理解できるよう説明するのは困難なので、しない』

 シヴロはそれきり黙り込んだが、その数分後、俺はやつの正しさを思い知ることになった。

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