石の虹(4)

 腕が石になる、というのは実に不便だ。

 魔剣の鞘に手をかけたままの状態で固まっている。俺は身をかがめ、石化した左腕をつついてみた。

『やめておけ。砕けたら元に戻らない』

「そんな気がする。しかし困ったな、どうするか」


『きみは困ってから物事を考えるのをやめるべきだ』

 シヴロの声は、思ったより足元から聞こえてくる。

 見れば、いつの間にかペットボトルに穴が空き、そこから半透明な粘体が流れ出している。ゆっくりと床を広がる様子は、まるで水だ。


「自分だけ卑怯だぞ、おい、シヴロ」

 俺はシヴロを糾弾した。

「お前、なにを透明になってるんだよ。いつもの腐ったメロンみたいな緑色はどうした」

『きみが私の通常体色を腐ったメロンのようだと思っていることがわかり、非常に残念だ』

 シヴロは取り合わない。

 この状況で、周囲の索敵を優先させるべきだというのは、もちろん俺だってわかっている。シヴロの芸当は実際にありがたい――畜生。


 俺も周囲の気配を探ろうとする。

 室内は静まり返っている。動いていたやつはみんな石になったか、どこかに隠れたに違いない。

 段ボールの隙間に身を隠しているので、さっきシヴロが言った監視カメラがどこにあるのかもわからない。


 せめて耳を澄まし、物音を聞き取ろうとした瞬間に、轟音が響いた。

 発砲音。二度。サプレッサーなし。

『彼か』

 シヴロは唸った。

『やるな。監視カメラを一つ撃ち抜いた。まだ石化していないのは、あの男だけだな』

「誰だよ?」

 という、俺の質問には、すぐに答えがあった。


「公安の。まだ動いているか?」

 井伊だ。

 うまく隠れたらしい。やつらのリーダーは、さすがに場慣れしているということか。この呼びかけに、俺も答える。

「そっちはどうだ、刑事さん。こっちは左腕が石になっただけだ」

「私は足だ、右が動かない」

 かなり致命的だ。足が石化したということは、姿勢を変えることすら簡単にはいかない。

 それに――


『動きが読まれていたな』

 よせばいいのに、シヴロがその点をついた。

『相手は、きみたちが突入するタイミングを知ったのだ。ゆえに待ち伏せをしていた。内通者の可能性があるな』

「お前たちは、どうなんだ」

 井伊の声は不愉快そうだった。


「内通者がいるのは、お前たち公安の方ではないのか?」

 どうだろうな、と俺は思う。

 公安の、というか俺たち異事対の捜査員は、ほぼ完全に個々が独立している。組織だった動きは滅多にしない。誰もが独自の判断で動く。

 今回の俺の行動を知っているのは、シヴロと室長だけだろう。

 しかし、そういう事情を説明するわけにもいかない。


『どちらでもいい』

 シヴロは淡々とささやいた。

『我々が直面している問題は、別にある』

「まったくだ」

 シヴロと対照的に、井伊の声には感情がはっきりと表れている。明らかに苛立っていた。

「このままでは取り逃がす。応援を呼ぶしかないが、その間にやつは逃げるだろう」


『そうでもない。恐らくチャンスはある』

 シヴロの口調はあまりにも冷静で、いっそ無責任のようにも聞こえる。

『この《邪眼》使いのことを考えろ。石化した相手を、念入りに砕いて殺すようなタイプだ。それにこの監視カメラによる待ち伏せも企てた。ただ逃げれば済むところを、わざわざ迎撃しようとしたのだ』


「つまり、何だよ?」

 俺はシヴロのこういう言い方が嫌いだ。回りくどい。

「結論をもっとサクサク言え」


『《邪眼》使いは、極端な攻撃性と慎重さを持ち合わせている。自己顕示欲も強い』

 シヴロは床をゆっくりと広がることで移動する。

『石化させた相手は確実に破壊したいだろう。それに、我々の間抜けさも嘲笑いたいだろう。生き残りの一人は片足を、もう一人は片腕を石化させている。とどめを差すのは容易だ、と考える』


「つまり、それって」

 俺は思わず顔をしかめた。

「なかなか面倒な状況じゃないか?」


 ――そのとき、部屋のドアが開く音がした。

 誰かが踏み込んでくる。

 井伊が呼吸を詰めるのがわかった。シヴロも素早く床から引きあげてくる。再び、ペットボトルの内側に収まった。


『来たぞ。銃を持っているのが見えた。ヘルメットを装着し、防弾ベストらしき装備もある』

「だろうよ」

 シヴロの言う通り、慎重で攻撃的なやつなら、絶対にそうすると思った。《邪眼》だけに攻撃を頼らない。


『片腕で魔剣は抜けるか、山岡』

「無理だな。抜けても、相当苦労する」

『きみから剣の技量を取り上げたら、残るのは愚かさだけだぞ』

「うるせえな」


「――おい」

 部屋に踏み込んできた何者かは、たった一歩で足を止めた。

「動けるやつが三人いるのか? 誰だ?」

 俺もシヴロも、井伊も答えない。

 だが、向こうには確信があるようだった。


「手前と奥に一人ずつ隠れていることはわかっている。三人目。誰だ。いますぐ出てこい。でなければ――」

 どかっ、と何かを蹴飛ばすような音がした。積み上げられた段ボールが崩れる。埃が舞い上がった。

 それに続いて、二種類の銃声。

 片方はサプレッサーつきで、もう片方はむき出しの轟音だった。


「ぐ」

 といううめき声は、おそらくは井伊のうめき声だろう。

 片足が石になった状態で、姿勢を整え、銃撃戦をやるのは無茶な話だ。


「まずは、こいつを殺す」

 俺からは見えないが、きっと井伊の頭か、胸のど真ん中にでも銃口を突き付けているのだろう。

「三つ数える。出てこい、奥の二人」

 と、《邪眼》使いは言った。


「あんまり気が進まないな」

 俺は魔剣の柄に右手を乗せた。

「あの刑事。俺、ああいうタイプ、好きじゃねえんだよな」

『私はそうでもない。きみよりも話がしやすいと思った』

「ちょうどいいな。俺もお前を好きじゃない」


 一瞬、目を閉じた。

 開いたときには、やることが決まっている。


「仕方ない、やるか。シヴロ、頼んだ」

『馬鹿な』

 はじめて、シヴロが動揺したような声をあげた。

『――本気か?』

「本気だ」

『待て、それはあまりにも私に負担が』


 シヴロの言葉を最後まで聞かず、目の前に積み重なっていた段ボールの山を、体当たりで崩した。

 思った通りに軽い。埃が舞い上がる。その山を飛び越え、跳ねた。


「馬鹿が」

 と言ったのは、井伊の背中を踏みつけ、頭部に銃をつきつけている男だ。頭部にヘルメット。視界を妨げない透明なシールドごしに、その顔が見えた。

 瞬間、《鑑定》スキルが発症する。


 名称:関 直之。

 種族:ホモ・サピエンス。

 所属: 聖剣党 関東支部。

 症候群クラス:呪術師。


 大当たりだ。

 その瞳が――というよりも虹彩が、灰色に輝くのを俺は見る。あっちも《邪眼》スキルを発症させたのだろう。

 それだけではなく、油断なくこちらに銃を構え、発砲する。


 だが、俺たちの方が速い。


 俺は右手一本で魔剣を引き抜いた。

 本来、左手がやるべき鞘と鍔の操作は、シヴロが担当していた。鞘と鍔にからみついた半透明の粘体が、この抜剣を完遂させる。

 シヴロがばねのように鍔を跳ね上げて、俺はそれを掴んで振るうだけでいい。


 瞬時に、複数のスキルが発症した。

《抜剣》――発症。

《瞬息》――発症。

《雲踏み》――発症。

《流門景》――発症。

《臨兵の備え》――発症。

《禍剣》、《翅車》――発症。


 そして俺の魔剣の刃は、飛来した弾丸を正確に断ち切っている。

《邪眼》使いの男が、明らかに驚いて目を見開くのがわかった。

 気持ちはわかる。


 これこそ、日本政府が所有する八振りのうち、もっとも鋭利な一振り。『カラヴ・ユラエク』の真価だった。

 カラヴ・ユラエクの刃に、斬れないものは存在しない。むしろ存在することができない。俺はそう聞いているが、どうやらこれは本当の意味のようだ。

 シヴロいわく、

『もしも斬れないものがあるとしたら、それは存在を許されずに消え去るだろう』

 とのことだ。


 弾丸だろうが、刃の軌道上にさえあれば強度は関係ない。


 そして、瞬時にもう一撃。

 返した刃は、ヘルメットの防弾シールドを横一文字に走り、輝く灰色の両眼を正確に切り裂いた。

 絶叫。その声も、遠くに聞こえ始める。石化が始まっていた。


『わずか一秒と、少々。恐るべき速さだな』

 シヴロの呟きには答えられない。もはや体が動かないからだ。

『きみほど剣士としての症候群クラスが重度に進行している者は、我々の世界にもいない。きみは特別に抵抗力が弱いのだな――しかし』


 ごぼり、と、シヴロはため息をつくように泡立った。

『きみを抱えて帰るのが私の役目とは。だから私は反対したのだ』


――――


 次に俺が目を覚ましたのは、病室のベッドの上だった。

 もはや見慣れた、白い天井。

 汐月が見下ろしているのがわかった。また、《鑑定》スキルが暴発気味に発症する。


 名称:汐月 穂乃花。

 種族:ホモ・サピエンス。

 所属: 警視庁 公安部 異界事案対策室。

 症候群クラス:医師。


「山岡先輩、まだ動かないでください」

 俺が頭をおさえようとすると、汐月に止められた。

 やはり怒ったような顔をしている。が、いつもよりさらに不機嫌そうに思えた。


「うまくやったな、汐月」

「はい。私のスキルで治療可能でした」

 汐月は俺の顔を覗き込み、うなずく。

「治癒魔法スキルが必要かと思ったのですが、《解毒》も効果があったようです。しかし、無茶でしたね。あれは無茶ですよ、先輩」


「そうでもない」

 あの《邪眼》使いの男が部屋に入って来た時に、勝負はついたと思っていた。

 石化させられたときは正直に言うと肝が冷えたが、しかし、後輩の前だ。俺は少し強がることにした。

「このくらい、よくあることだ。無茶のうちに入らねえよ」


「では、勝手にしてください」

 汐月は呆れたように顔を背けた。

 本格的に怒っているらしい。少し気になった。


「なあ、汐月。お前に手間をかけさせたのは謝る。何か奢ってもいい」

「結構です」

 汐月は示談に応じる姿勢を見せない。

「手間をかけた人がいるなら、それはあの人じゃないですか?」

「あ? 誰?」

「石になった山岡先輩を抱えてきた女の人です。小さくて、色白の。異事対でも噂になっていますよ」


「あの野郎」

 俺は愕然とした。

 シヴロの嫌がらせだ。あいつは自在に姿を変えることができる。


「では、失礼します」

 やや強い足音で、汐月が部屋から出ていくのがわかった。

 俺はシヴロの水槽に突っ込むべき、マスタードソースの検討を始めることにした。

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