石の虹(1)

 それを死体だと認識するには、ちょっとした努力が必要だった。

 少なくとも、俺にとっては。


 被害者の男は全身がバラバラになっていたが、血は一滴も流れていない。内臓も飛び散っていないし、脳漿がこぼれたりもしていない。

 路地裏のアスファルトは、きれいに乾ききっていた。


 ウチの先行調査によれば、被害者の死は真夜中だったという。

 それから現在、夜が明けるまで、この路地裏に放置されていたのは間違いない。

 だったら、本来はもっと大変なことになっているはずだった。


 東京の夜には、あまりにも危険が多い。人気のない路地を闊歩するグールやヘルハウンドは、しばしば動物の死肉を漁る。容赦なく内臓を貪り、食い散らかす。

 だが、その痕跡もなかった。

 なぜならば――


「石ですね」

 背後から、不意をつくように声をかけられた。

「石ですよ、山岡先輩。どう見ても石です」


「何度も言うな、見りゃわかるよ」

 俺は苦笑して、振り返る。

 女だ。砂色のコートの女。

 目つきは鋭く、なんだか怒ったように俺を睨んでいる――そこまで認識したところで、わずかな頭痛を覚えた。


 この感覚には、もう慣れた。

 俺が抱える《鑑定》スキルが発症した副作用だ。異世界人がもたらしたスキルという病は、便利なことばかりではない。


 名称:汐月 穂乃花。

 種族:ホモ・サピエンス。

 所属: 警視庁 公安部 異界事案対策室。

 症候群クラス:医師。


「汐月」

 むず痒い頭痛を堪えて、俺はその女の名を呼んだ。

「先行調査はお前だったのか」

 汐月穂乃花は、俺の後輩だ。チームの中では最年少にあたる。

「ここのところ、やたら遭遇率が高いな。ご苦労さん」


「いえ」

 やっぱり怒ったように、汐月は俺から目をそらした。

「ウチは人手不足ですから。偶然に、顔を合わせる機会が頻発することもあるでしょう。――山岡先輩こそ、お疲れ様です」

「ああ。マジで疲れてる」

 俺は白いため息をついた。


「俺もそろそろ休みが欲しいんだけどな。南の海で釣りでもするとか」

「釣り?」

 汐月は、妙なところに食いついた。手帳を開いて、何かを書き込んでいる。

「山岡先輩、釣りが趣味なのですか」


「まあ、そんな感じだ」

 説明するのも面倒だったので、俺は適当なことを答えた。

 別に釣りが趣味、というわけではない。なんとなく、雰囲気を味わってみたいと思うだけだった。何も考えず、植物のように川や海を眺めるような、そういう雰囲気のことだ。

 とはいえ、無理なことはわかっている。


「で? 汐月捜査官、お前の見立ては?」

「死因は石化です。その後、攻撃を加えられ、破壊されたようです」

「そりゃひでえな」

 俺はかがみこみ、遺体を観察する。


 石だ。

 それは確かだ。被害者の全身は、灰色の石と化していた。

 周囲のアスファルトが汚れていないのも当然だ。四肢は粉々に砕け、飛び散っている。頭部はへし折れて、顔面の三分の一が破壊されていた。

 顔を見た瞬間に、軽い頭痛。また《鑑定》スキルが発症する。


 名称:関 雄介。

 種族:ホモ・サピエンス。

 所属: なし。

 症候群クラス:なし。


 いずれも既知の情報だ。手掛かりなし。

 頭を振って、副作用の頭痛を飛ばす。


「コカトリス、バジリスク、メドゥーサ――こういうことができる幻獣もいる。異世界あっちのペットが野放しになったのか?」

 異世界の連中との交流が始まってからというもの、不可思議な力を持つ幻獣や、幻人の類が日本にも増えた。

 中には、このように、他の生き物を石に変えてしまう者もいる。

 俺が思い浮かべたのは、まずその可能性だった。


「汐月、この近辺の目撃情報を当たってみようぜ。そこらへんを幻獣がウロついてたら、かなり目立つはずだ」

「すでに始めています。いまのところ、有効な証言はありませんが」

「さすが」

 汐月は優秀な捜査官だ。少し几帳面すぎるところも、あと少し経験を積めばどうにかなるだろう。


「山岡先輩の言う通りなら、この生き物、かなり凶暴ですね」

「つまりこいつは、ただ単に倒れて砕けたわけじゃない?」

「手荒い攻撃を受けています。足と腕、それから頭部を、アスファルトに叩きつけるようにして」

 そう語る汐月の目は細められ、いつも以上に鋭い目つきになっている。


 汐月の、《診察》スキルが発症している証拠だった。

 こいつは【医師】という症候群クラスに属するスキルだ。

 生物のコンディションをかなりの精度で分析する。被害者がどのように負傷したか、過去を覗くようにはっきりと割り出すことができるという。


 数秒、そのまま凝視した後、汐月は顔をあげた。

「先輩。捜査はどこから始めますか?」

「期待薄だが、ディリ=ハリの店を当たってみる」

「あのオークの密輸業者ですか。了解です」

 手帳になにやら書き込んで、汐月は俺の背後に回った。俺は少し意表を突かれた。


「なんだ、汐月も一緒に来るのか?」

「今後の捜査の参考にします。それに、単独行動は危険です」

「どうかな。オークってのも、みんなが言うほど――あ、いや。ちょっと待った」

 俺は片手をあげて、汐月を制する。

「電話だ。俺の相棒から」

 ため息をつきたい気分になった。


 スマートフォンのディスプレイには、『イド・シヴロ』と表示されている。

 同僚の名前だ。

 所属は公安部異界事案対策室、特別捜査顧問。

 俺の相棒。


 通話ボタンを押すと、すぐに低い男の声が聞こえてくる。

『――山岡。状況はどうだ。教えろ』

 ごぼごぼと、泡立つようなノイズが混じっていた。その命令口調はイラつくが、イド・シヴロは仮にも俺の相棒だ。

「どうもこうも、事前報告のまんまだよ」

 俺は視界の端に、砕けた石の被害者を見る。

「石化して、全身がバラバラに砕かれてる。汐月の見立てじゃあ、かなり手荒く攻撃を受けたって話だ。たぶんこいつは幻獣の仕業だろうな。コカトリスか、バジリスクか、それとも――」


『もういい。結構』

 シヴロは冷たい声で俺の報告を遮った。

『それで山岡、きみ自身は? まさかとは思うが、まだ現場にいるのか? それは愚かなことだ』

「ああ?」

 その言い方に、俺はひどく憤慨した。

「まさかも何も、お前が現場に行けっつったんだろ!」

『言った。だが、もう十分だ』


 俺の怒りにもかかわらず、シヴロの反応は落ち着き払っていた。

『必要な情報は得た、現場で無駄な時間を費やすべきではない。事態は切迫している』

「知ってるよ、幻獣生物が野放しになってんだろ! これ以上の被害が出ないように、付近から証言を集める。密輸業者も当たってみるつもりだ」

『それは無駄な行為だ。なぜわからない?』


「あのさあ」

 俺は自分の怒りを制御するために、かなりの努力を必要とした。

「お前はその言い方、どうにかなんねえのか」

『ならない。とにかく、いますぐ戻れ』


 シヴロはまったく冷静に、その先を続けた。

『きみと、きみの魔剣が必要になる』

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