Answer7・風に消えた言葉
ちえりが夏休みに入ってからも、幽霊である私の日常が変わる事はない。
なぜなら生きている人間とは違って、何も生産的な事をする必要がないからだ。いや、生産的な事をする必要がないと言うよりも、生産的な事をしようと思っても出来ないと言った方が正しいのかもしれない。
まあ、生産的な事をする幽霊なんて私は聞いた事もないけど。
「今日のお勉強はこれで終わりっと」
夏休みも一週間が過ぎたお昼過ぎの図書館。
椅子に座ったままで大きく背伸びをしながら、ちえりは身体に溜まった疲れを一気に追い出すかのようにして息を吐く。
「今日も頑張ったね、ちえり」
「うん。桜花のおかげでサクサクっと進んだから助かったよ。それにしても、お腹空いちゃったなあ」
「それじゃあ、またワクワクバーガーにでも行く?」
「……そうだね、そうしよっかな」
ちえりは少しだけ悩んだ後にそう言いながら席を立ち、机に広げていたノートや筆記具を片付け始めた。私は黙ってその光景を見つめながら、ちえりの準備が整うのを待つ。
生産的な事をする幽霊など聞いた事がない。だけど、こうしてちえりに勉強を教えているというのは、ある意味で生産的な事なのかもしれない。
「――やっぱり外は暑いね」
夏の陽射しが眩しいお昼過ぎの公園。
大きな木の陰にあるベンチに座って食事をするちえりと一緒に、いつものようにお喋りをする。
わざわざこんな炎天下の中、暑いと分かっている外で食事を摂らなくてもと思うかもしれないけど、これはちえりの私に対する気遣いだ。何でちえりが私にそんな気を遣うのかと言うと、それは数日前の出来事が切っ掛けだった。
あの日、初めてちえりとワクワクバーガーに訪れた時の事だけど、二階にある一角の席でちえりと話をしていた時、私は周りに居る人達の妙な視線に気付いた。
最初こそ周りから向けられる視線を不思議に思ったけど、その視線に込められているであろう意味を理解すると同時に、私は周りの人の視線が気になってしまい、ちえりと話せなくなってしまった。なぜなら周りが向けていた視線は私達にではなく、ちえりだけに向けられたものだったから。
ちえりへと向けられた視線は多少意味合いの違いこそあるだろうけど、みんな一様に奇異な者を見るような視線を送っていたのを覚えている。
そう、私はちえりと出会って過ごす内にすっかり忘れていた。自分が幽霊であるという事と、ちえり以外に私は見えもしなければ、存在を感じる事すらできないという事を。
そして私が急に黙り込んだ事でその事態に気付いたのか、ちえりは周りを睨むように見た後で荷物をまとめて一緒に店を出た。
それからしばらく歩いた後で、私に向かって『ごめん!』と頭を下げて謝るちえりの姿は今でもよく覚えている。ここで本来謝るべきは、ちえりではなく私の方。幽霊である私のせいで、ちえりはそんな奇異な視線を浴びせられたのだから。
その後ちえりは、落ち込む私に向かって『今までどおりにしてね』と言ってくれた。私はちえりを気遣ってその言葉に頷いて見せたけど、今でもできるだけ人が多いところでは話しかけないようにしている。
ちえりもそんな私の行動に気付いているからか、できる限り人気の少ない所を選んで移動をしてくれたりするけど、本当に申し訳ないと思う。
「私は幽霊だから暑さとかは感じないけど、太陽の眩しさだけは生きていた時と変わらない気がする」
そんなちえりの気持ちにできるだけ応えようと、私もなるべくいつもどおりに振る舞う。
相変らず生前の記憶は戻っていないけど、以前に比べたらこんな事もあったような――みたいな感覚は増えてきた気がする。
「そうだね。きっとこんな風に眩しい陽射しの中でお話をしたりしてたんだよ、桜花も」
ちえりはいつものにこやかな笑顔を私に向けてくれる。
なぜかは分からないけど、最近はちえりの笑顔を見る度に不思議な感覚が私の中に湧いてくるようになっていた。
「――そういえば、ちえりは部活とかしないの? 例えばバスケットとか」
しばらくの雑談に興じた後、私は以前から疑問だった事を口にした。
この公園には日本では珍しいバスケットリングが設置されていて、こうしてこの公園でお話をする時に、時々だけどバスケットをする人達の姿が目に入る事があった。その姿を見る度に私はなぜか懐かしい気分になり、それと同時にあの時のちえりの姿を思い出してしまう。
だってちえりのバスケットの上手さを考えたら、やらないのは勿体なく思ってしまうから。
「うーん……私としてはやりたいとは思うんだけど、身体がついていかないと思うから」
「何だかご老人みたいな事を言うのね」
ちえりは苦笑いを浮かべながら私を見据え、そのままゆっくりと話を始めた。
「そう言う訳じゃないんだけど……私ね、あまり長時間の運動ができないの」
「えっ? どういう事?」
「私ね、小学校を卒業するまではミニバスをやってたの。それでね、小学校を卒業して中学生になって、いつも一緒にバスケをしてた人とバスケ部に入って充実した毎日を送るはずだったの。だけど、そんな平凡な日常は叶わなかった。私の病気のせいで……」
ちえりは表情を苦々しくしながら左手を心臓のある位置へともっていく。
「あ、あの……ごめんね、ちえり……」
病気の事はよく分からないけど、私はちえりを見て申し訳なく思ってしまった。
「あっ、ううん、謝らないで。桜花が悪い訳じゃないもの。それにね、スポーツを思いっきりできなくはなっちゃったけど、こうして生きていられる事は幸せなんだから」
そう言ってちえりが見せた笑顔は、彼女が言うように本当に幸せそうに見えた。
「もちろん色々とキツイ事は多いけど、こうして生きてなかったら桜花にも出会えなかったわけだし」
「……ありがとう」
「うん。そろそろ別の場所に行こっか」
「そうだね」
昼食を食べ終わっていたちえりは、別の場所への移動を促してきた。
それを見た私がベンチから立ち上がると、ちえりは公園を出る為に私の前を歩き始める。
そしてその時、少しだけ強い向かい風が公園に吹き、前を歩くちえりの微かな声が聞こえてきた。
「おれ――言うのは私の方よ。さく――ちゃんが私に――をくれたんだから……」
「えっ? 何か言った?」
「ううん、何でもないよ」
一瞬振り返ったちえりの表情は今まで見た事が無い程に悲しげで、私はちえりがそんな表情を浮かべる理由が分からずに困惑した。
できればその理由を聞きたいところだったけど、あんな表情を見た後でその理由を聞く勇気は今の私にはなかった。
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