Answer3・屋上の二人
夕暮れを迎えようとしている学園の屋上。私はそこで宮下ちえりを待っている。
約二年も幽霊として過ごしていた私にとって、彼女との出会いは劇的とも言える出来事だった。だって領域に居る人以外で私の事を認識できる人なんて、今まで一人として居なかったんだから。
そう言った意味では生きている人、つまり、宮下ちえりが私を認識できるというのは奇跡だと言える。
でもまあ、なぜちえりが私を認識できるのかという謎については今のところどうでもいい。大切なのは、宮下ちえりという女の子が私という存在を認識できるという事実だけ。
「まだかな……」
ちえりと出会ってから約二週間。
その日々は何と言うか、単純に楽しかった。彼女は出会った日から名前の呼び捨てを求めてくるくらいに明るくフレンドリーな女の子で、一緒に居てとても楽しい。
そんなちえりと出会ってから、私は毎日のように放課後の屋上でちえりが来るのを待つようになっていた。
この屋上へ来る事は、私が領域に来てしばらくしてからずっと行っている日課のようなものだけど、こうして誰かが来るのを待つ為に屋上へ来た事は無かった。
私がちえりと出会うまでにしていた日課は、登下校をする生徒達を眺める事だけ。その行動に何か意味があるのかと聞かれれば返答に困ってしまうけど、何となく、誰かが来るのを待っているような気はしていた。
しかし、その思いも私の勘違いかもしれないし、こうして生徒達の登下校を見つめるだけというのは結構苦しい事でもある。なぜならその行動は、嫉妬という感情を少なからず抱いてしまうからだ。
「お待たせ! 遅くなってゴメンねっ!」
金属が擦れる音と共に扉が開く音がすると、少し慌てたような感じの声が私の居る方へと向かってかけられた。
よほど急いで来たのか、振り返った先には息を切らせながら茶髪のポニーテールを揺らめかせて走って来るちえりの姿があった。
「ううん、気にしないで」
「今日も未練が何なのかを探してたの?」
「うん……まあ、そんなところかな。結局は何も見つからなかったけどね」
私は小さく微笑みながら、ちえりの言葉にそう答えた。
そんな私の返答に、ちえりは少しだけ嬉しそうな表情をして『そっか』と呟く。その表情にちょっとした疑問は感じるけど、そんな事より、こうして話せると言う行為ができる喜びの方が強く、心に生じた疑問などはすぐに消え去ってしまう。
ちえりは息を整え終えると、いつものように何気ない話を始めた。だいたいは今日の学園であった出来事のお話だけど、私はそれを聞くのが好きだった。
「――そういえば、ちえりはどうして私に声をかけてくれたの?」
しばらくの間いつものように他愛ない雑談をしていた時、私はふと疑問に思った事を口にした。
なぜこんな事を口にしたのか。それは今の状況を含め、色々な事がイレギュラーな事ばかりだからだ。
一つは宮下ちえりという、私を認識できる人物と出会った事。
実は以前、有名な霊能力者や神社の神主さん、お寺のお坊さんなどが居る所に行って私が見えるかどうかを確かめた事があったんだけど、その結果は誰も私を認識する事はできなかった。
神主さんやお坊さんはともかくとして、霊能力者には少し期待をしていたんだけど、あれにはガッカリしたのを覚えている。でも、私以外の幽霊は見えていたりする事もあったので、別に嘘をついているわけではないみたいだけど。
そして二つ目は、ちえりが私を幽霊と知りながらも、こうして仲良くしてくれる理由。
普通に考えれば、生きている人にとって幽霊というのは不確かで不気味で恐い存在のはず。それでも彼女は私に声をかけてくれる。
初めて声をかけられた時に私が幽霊だと明かした時にも、ちえりは臆する事すらなかった。むしろ私が幽霊である事に納得しているような、そんな感じさえ受けたのを覚えている。
「うーん……何でって言われると困るけど、強いて言うなら、そこに居たからかな」
「そこに居たから?」
いったいどういう意味だろうと、思わず首を傾げてしまう。
ちえりは案外小難しい表現をするから、その言葉の意味を理解するのに時間がかかる。
「あっ、ごめんなさい。たまたま屋上に来たら、儚げな美少女が居た。だから声をかけてみた。そういう事よ」
「いつもながらよく分からない事を言うわね」
「昔からみんなによく言われる。ちえりの説明は分かり辛いって」
そう言ってくすくすと笑うちえり。何だかその笑顔を見ていると、とても懐かしい感覚になってくる。
もしかしたら生前、私にはこんな風に話していた相手が居たのかもしれない。
「あっ、もうこんな時間……」
ちえりはポケットから取り出した携帯を見ると、少し寂しそうにそんな事を言った。
結構話し込んでしまったせいか、夕陽はそろそろ地平線の彼方に消えようとしていた。
「ごめんね、いつも遅くまで付き合ってくれて」
「ううん。私が好きでやってる事だから気にしないで」
申し訳なく思いつつも、やはり嬉しいという感情が溢れ出てしまう。
「また明日来てくれる?」
「うん! 必ず来るから待っててね」
そう言って出入口の扉の方へと向かって行くちえり。私はいつものようにその去って行く背中を見つめていた。
そして扉の前に来てドアノブに手をかけた瞬間、ちえりはピタッと足を止めてそのままこちらへと振り返った。
「そういえば、名前が思い出せないんだったよね?」
「えっ? う、うん……」
「あのね、私、名前を考えてみたの。
「桜花?」
「うん! 私達が出会ったのは、桜の花が咲いていた頃。だから桜花。どうかな?」
その名前の響きにとてつもない懐かしさを感じる。
私はその名前の響きを自分の頭の中で連呼し、ちえりに向かって頷いた。
「……うん、素敵な名前だと思う!」
「決まりだね。それじゃあ、また明日来るから。またね、桜花」
「うん。待ってるからね、ちえり」
ちえりは手を振りながら屋上を後にする。
そして下駄箱から出て校門を抜けるまでの間、ちえりと私はお互いに手を振りあった。
「桜花か……」
私はちえりが考えてくれた名前を小さく呟く。
幽霊になって約二年。名前を思い出せない私に、仮とは言え名前が付いた。ちえりから貰った大切な贈りもの。
「さて、私もそろそろ帰ろっかな。あっ……」
そう言った瞬間、少し強い風が屋上に吹いた。
そしてどこから飛んで来たのか、その風に乗って一枚の小さな桜の花びらが私の横を通り抜けて行く。
私は風に舞って飛んで行く花びらがどこかへと消えるまで見つめ、そのまま星が輝き始めた夜空をしばらく眺めていた。
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