episode―5
避けるつもりは全くないのに、それからと言うもの深夜勤務が続いている
丁度一人深夜バイトが辞めた事もあって、客の少ない深夜ならバカな秀雄が客に迷惑かける事も少ないだろうと言うコンビニの店長の苦肉の策で、深夜勤務のシフトが増えたらしい。
その事情はラインで送られて来て、空晴はそれに「りょ」と短く返した。
「でも、顔くらいは見て帰ろうかな……」
ずっと会わないと何故か不安になる。
あの日、美姫に泣かされて家まで送り届けた時、秀雄は「ごめん」と泣き疲れた様に言い捨てた。笑ってなかった。
それ以来真面に顔を合わせていない。
秀雄に似合いそうな赤いパーカーの話も、まだ出来ていない。
前なら数日会わないくらいでこんな会わない日を数える様な事はなかったのに、もうあれから一週間が過ぎようとしていて、十月に入ってしまっていた。
秀雄を探していたはずなのに、一番最初に目に入ったのは金髪の男だった。
あれだ――。
空晴は無条件にそれが秀雄の好きなエレンだと、確信した。
裏から出て来た秀雄が、エレンを見付けて笑い掛ける。その笑顔にムカついた。
泣いてた癖に、笑ってんじゃねぇよ! と、八つ当たりしたくなる。
心配してたのに、一週間も真面に顔合わせてないのに、何でお前は笑ってんだよ!
白々しくも平静を装って空晴はコンビニの中へと入った。
「あ……空……」
「よぅ」
秀雄がほんの僅か視線を泳がせただけで、そっけなく返してしまう。
「あ、エレンさん。お釣り……」
「あぁ、うん。ありがとう」
こんな男にも女にもモテそうなスペックの高い男を好きになって、どうすんだよ。
この前
でも恋に恋しているのなら、相手がいようがいまいが関係ないのか?
アイドルを追っかけるみたいに、ちょっと顔見れて会話して、それで恋した気分になれたらそれで良いっていうのか。
「空……?」
「あ、わりぃ……俺、帰る」
空晴は思い立った様に店を出て、先に出たエレンの姿を探した。
駅を出て裏通りへと曲がる背中を見付けて、そのまま後を追いかけると飲み屋街のもう一本裏に昔からあるホテル街へと辿り着き、エレンはその一番奥まった所にある重厚な黒い扉に【GAREN】と看板を掲げた店へと入って行く。
――駅裏にゲイバーを出してる。
一哉が言っていた事を思い出して、遠巻きに電柱の陰からその店を眺めた。
流石に中に入る勇気のない空晴は、帰ろうと身を翻してそこにいた人物に言葉を失った。
「あ、やっぱり真島くんじゃないか……」
「わ、わわっ……い、一哉さんっ……」
緩い首開きの渋いオリーブグリーンのニットを着て、ラインの綺麗なスラックスを履いているだけなのに、近くに顔を寄せられると圧倒されてしまう。
「あはは、そんな吃驚しなくても」
「きょ、今日はお一人なんですか……? えっと、
「あぁ、今市役所忙しいからね。俺、ほったらかされてんだ。真島くんは? こんな所で何してたの?」
まさか、エレンを尾行して来た等とは言えるはずもなかった。
「えーっと……」
「もし時間あるなら、一緒に飲まない?」
何もかも全てお見通しと言わんばかりに、一哉は【GAREN】の方を指している。
ゲイバーに行った事なんか一度もないが、一哉が一緒なら入れる気がしたし、寧ろそうで無ければ一生あの店に入る事は不可能とさえ思える。
これは千載一遇のチャンスと言うヤツか、と大人しく一哉の後ろについて行った。
「いらっしゃ……げっ……」
「
「本日初のお客様が
「俺だけじゃない。ほら、真島くんそっち座って」
促されるままにカウンターの端に座った空晴は、エレンの顔が真面に見れずに俯いた。
重厚な店の作りと、仄暗い店の照明、カウンターの背後には高そうな酒が所狭しと並んでいる。空晴は今になって冷静になり、この店高いんじゃなかろうか……と財布の中身を気にし始めていた。
「何、綿貫さん浮気? 常陸にチクッてやろうか?」
「ちげーよ。常陸も知ってる子だ」
「へぇ、そうなの? 初めまして」
「……どーも」
金髪に碧眼。一哉よりも身長が高い。
日本人らしい男前の一哉と違って、エレンと言う男には華やかさがある。
かといって女っぽいとは思えないが、この男の隣に秀雄が並んでいる所は想像が出来ない。
「オーダーは?」
「真島くんは何が良い? 今日は奢るから、好きなの飲みな」
「あ、そんな俺ちゃんと払いますよ。でも俺……お酒あんまり詳しく無くて……」
出されたメニューの横文字がほぼ読めないとは言えなかった。
アウェイな空気にビビリな自分が顔を出す。来るんじゃなかったと思っても、NOと言えない日本人代表の空晴には、帰るとも言えない。
「じゃあ、辛いのと甘いのは? どっちが好き?」
「か、辛いのはあんまり……」
「じゃあ、甘めでカクテル作って貰おうか」
「はい……」
「おい、依恋。マティーニと甘めで何か作ってくれ」
「了解」
空晴はカウンターの中で酒を作るエレンに視線をやった。
どこからどう見ても格好つく。
白いイタリアンカラーのYシャツにギャルソンエプロン。シェーカーを振る姿には、どんなお堅い女でも一目惚れするんじゃなかろうかとさえ思うが、ここがゲイバーと言う事はエレンはそっちの人なのだと再認識する。
「浮かない顔だね」
「あ、え……?」
「あれから何かあった? 秀雄くんと」
「いえ……シフトが合わなくて、顔すらほとんど見てません」
「そっか」
カウンターに置かれたマティーニとコーラの様な色をしたカクテルに、空晴は初めてエレンと視線を合せた。
「ロングアイランド・アイスティでございます」
「あ、ありがとうございます……」
「お客さん、元気ないみたいだから」
「へ……?」
「そのカクテルには希望って言う意味がある」
隣に座る一哉がそう口を挟む。
「アルコール度が強いから、少しづつ飲んで下さいね」
エレンはそう言って綺麗に片目を瞑ってウインクして見せる。
自分には許されないそんなお茶目な仕草が、イチイチ様になっていて、空晴はまた俯いた。
「……はい」
自分の頭の中を引っ掻き回した男は、容姿端麗な上に気配りが出来て優しい出来過ぎた男だ。秀雄が惚れても仕方ないのかもしれない。
「一哉さんは……その……」
「うん?」
「最初からそう……なんですか?」
「そう、とは?」
「えっと……男の人が……好きだったんですか……?」
「あぁ、いや違うよ。俺は一度結婚もしてるし、高校の時は彼女いた事もあるしね」
「なのに何で……?」
「何で……か。うーん……常陸が一番好きだから、じゃないかな?」
「他の女の人より、奥さんだった人より、常陸さんが好きだからって事ですか?」
「代わりがね、いないんだよ。他の人ではダメだって、気付いてしまったんだ」
「男なのに……とか、思わなかった……ですか?」
「思ったよ。実際逃げたし、十年も」
「え、十年っ!?」
「逃げて結婚までしたけど、ダメだったんだよ。俺は運が良かったんだ。常陸に本命がいなくて、たまたま復縁出来たってだけでさ……」
勝木に言われた言葉が脳裏を過って行った。
自分が一番知っているのに、自分が一番だったのに――。
もし秀雄に彼女ならぬ彼氏が出来たら、自分の存在はどうなってしまうんだろう。
「俺、どうしたらいいんでしょうかね……」
「委員長が……あぁいや、
「あ、はい……」
「もしかしたら、秀雄くんは昔の俺と同じ事しようとしてるのかも知れないなって思ったんだよね」
「同じ事……?」
「秀雄くんには本当に好きでも伝えられない相手がいて、その人から逃げる為に他の対象を見付けて来たんじゃないかって」
「だ、誰ですかっ!? これ以上、他の男出て来たら俺、もう何が何やら分かんないっす!」
「ちょ、真島くん、お、落ち着いて」
「あぁ……すいません……」
マティーニを一口含んだ一哉はゆっくりそれを嚥下した後、緩やかに口角を上げて「いや、違うのかな」と独り言の様に零した。
「違う……? 何が?」
「こんな所で想定の話をするのは良くないと思うけど、一つだけ分かる事がある」
「な、何ですか……?」
「秀雄くんはさ、君に知って欲しかったと言う事だよ」
「……そう、ですね」
「一番仲の良い男友達で、大人になってからもつるんでて、そう言う友達にもし嫌われたら、生活自体が一変してしまう。秀雄くんはそう言うリスクを抱えてでも、君に本当の事を知って欲しかった。これがどう言う事か、分かるよね?」
「俺……あいつにまだ何にも言ってやれてない……」
何だか情けなくなって来て、目頭に温い甘えが沁み出て来た。
これだから、出来る大人の男は嫌いだ。やっぱり予想を裏切らない。
カッコいい科白も、その仕草も、懐いてしまいたくなる。
いつもの帰りの電車の中で、普段通りを装って、バカなのに相当考えて出した結論があの方法だったんだろうと思えば、秀雄には逆にそうしか出来なかったのかも知れないと思う。
十八年もつるんで来た自分と真面目に膝を突き合わせてゲイだと告白するのが怖すぎて、周りに人がいて、逃げようにも逃げられない電車の中で、普段の会話に混ぜた様なやり方で言わなければ、到底口に出せないくらいの恐怖感が秀雄にはあったのかもしれない。
なのに自分は秀雄にまだ何も言えてない。
「俺も逃げた事ありますよ」
エレンはそう言って人肌になるまで温めたオシボリを差し出して来た。
「やっぱり、好きな人には嫌われたくないじゃないですか。どうして良いのか分からなくて逃げて、それでも一ミリもその人から心が動けなくて、結局は心に従うしかなくなって……今思えば、すんごい遠回りしたな、って思いますけどね」
「じゃあ、今はその人と……?」
「はい。僕の彼氏、ちょっといや、かなり天然なんで、会話が噛み合わなくて毎日ケンカみたいなもんですけどね」
温いオシボリに温い甘えが沁みて行く。
エレンに恋人がいて、少しほっとしている自分がいる。
空晴はそんな風に思う事に罪悪感を感じて、胸の中で秀雄に謝った。
ごめん、ごめん、秀雄。
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