episodeー4

 社会人にはどんな昨日があろうとも、今日には仕事がやってくる。

 そんな事を言うヤツがいるのは知っていたけれど、おおよそ自分がそう感じる日が来るとは想定外だった。

 空晴そらはるは目の前にある仕事を黙々と片付けながら、昨晩、美姫みきが帰った後、美姫の同級生二人と秀雄ひでおを送った時の事を思い出していた。

 古いアパートの二階、秀雄が部屋に入るのを見届けて、階段下で待っていた一哉いちやが「ねぇ」と話し掛けて来た。


「はい?」

真島まじまくんはエレンを知ってるの?」

「おい、一哉……」

「あ、いえ……俺は今日初めて聞いたんで」

「この界隈にエレンという名の男が何人いるかは分からないけどさ。俺達が知ってるエレンなら、秀雄くんの恋は多分実らない」

「え……」

葛西依恋かさいえれん、アメリカ人とのハーフで最近駅裏にゲイバーを出してる。秀雄くんが好きなエレンがそいつなら、依恋には本命の恋人がいる」

「そ……すか」


 金髪だけど、ボインじゃない。

 アメリカ人とのハーフだと聞けば、一哉達が言っているエレンが秀雄の好きな人である確率は高い。


「秀雄くんの事、ちゃんと見てあげてて。真島くんがいればきっと大丈夫だよ……」


 常陸ひたちは心配そうにそう言って、困った様に笑って見せた。

 多分それは自分が笑えなかったからだと空晴は今日になって気付く。

 秀雄がゲイバーに出入りしていたなんて、知らなかった。

 人見知りで自分の後をくっついて回るコバンザメみたいな秀雄が、一人でそんな所に通っていたなんて俄かに信じ難い。

 昨日は上手く眠れなかった。

 

「お、これ秀雄に似合うかも……」


 初秋物のパーカーを検品しながら、赤いチェックのソレを袋から無造作に出して広げる。7900円。小柄な秀雄は顔も地味だし色素も薄くて、ガリガリだ。服くらい明るいのを着た方が良い。

 綿100%で裏起毛してあるし、洗濯も出来て、多分ズボラな秀雄ならこの下にロンTを重ね着して上からダウンとか着て春先までヘビロテするだろう。

 痩せているのを気にしてぶかぶかの服を着たがるから、丁度良い。


「ちょっと! 真島チーフ、いつまで検品してんすか!」

「あ、ごめん……眠兎みんと

「忙しいって言ってるでしょうが! 早くしないと、今日帰れないっすよ!」

「へぃへぃ、すんませんね」


 去年大学を卒業してバイトから社員になった芹沢眠兎せりざわみんとは、バイトの頃から空気が読める子で、空晴は眠兎が実は自分より要領が良く賢いと言う事に気付いていた。

 それでも眠兎が自分をちゃんと先輩扱いしてくれる事に甘えたし、どんな事にも本気になりそうにない眠兎に安心していた。


「なぁ眠兎……お前さ……」

「はい?」

「と、友達が……」

「友達が? あ、真島さんそれこっち下さい。ハンガーに掛けるんで」

「お、おう……。えっと……友達が男好きになったって言って来たらさ……」


 合いの手が返ってこない。

 振り返ると、眠兎が騒然と青褪めている。

 まるでこの世のものでは無い物を見たかの様な顔で怯えている眠兎に、空晴は慌てて捲し立てる様に喋る。


「あ、いや、待て! 俺じゃねぇんだって! と、友達がさ……金髪だけどボインじゃない男好きになったとかって言い出して、俺もどう答えていいかわかんねぇっつーか、ほら友達だし、傷つけたくはねぇんだよ。だけど俺……」

「え、いや……あの……どうって言われても……」


 明らかに聞く相手を間違った。

 空晴は「ごめん」と作り笑いをしたが、眠兎の動揺は癒せない様だ。


「お前等、喋ってねぇで仕事しろ!」

「あ、店長……すいません」


 バックヤードから出て来た勝木かつきを見て、眠兎はホッとしたような顔でそう答えた。

 元店長の大神が本社に呼ばれて、新しく店長になった勝木深夜かつきしんやと言う、恐ろしく均整の取れたモデルの様な体躯のイケメンだ。

 黒髪、黒い眸、アジア系のイケメンである勝木は真島が入社した当初一番苦手な男だったが、地味に情が深い所がある。

 出来る男が嫌いな空晴は、その嫌いな出来る男が構ってくれると嬉しくて懐いてしまう。

 いや、逆だ。

 情けないけど自分が憧れて尻尾振って懐いてしまうって分かっているから、出来る男が苦手なのだ。


「真島、お前、金髪だけどボインじゃない男って、日本語おかしいだろ。男にボインがいて堪るか。コレステロールの塊かよ」

「て、店長……聞いてたんすか」

「聞こえたんだよ。声がでけぇから」

「すいません……」

「眠兎も、マジで焦ってんじゃねぇよ。顔、強張ってるぞ」

「あ、ごめんなさい……ちょっと、吃驚して……」

「良いから眠兎はそっち片付けろ。真島、お前DMの準備は出来てんだろうな?」

「あ、いやまだ……」

「三日後には投函するんだぞ。今日中に仕上げろって言ってあっただろうが」

「はぃ……すいません……」

「代われ、レイアウトは俺がやる。お前は裏でDM進めてろ。眠兎、そっちのボディやれ。残りは俺が片付ける」


 最近やっと店のレイアウトを任せて貰える様になったのに、裏の仕事を上手く進められなくて裏に引込められてしまった。

 アパレルは今人員体制が少なく、突出した個人の能力よりもオールラウンダーが求められるとかで、店長の勝木にも何でも一通り出来る様になれと言われている。

 一人で何でも出来れば、何処に行ってもお払い箱にはならない。

 売る事に秀でるだけでは上へは上がれないのだそうだ。


 眠兎はセンスもあるし勤勉だ。店長が手塩に掛けるのも無理もない。

 空晴には眠兎が社員になってからずっと、いつか眠兎に追い越されるんじゃないかと言う、漠然とした不安があった。

 空晴はバックヤードに籠り、ダイレクトメールの原稿を作る為にパソコンの前に張り付く。

 今日は多分売場にはもう出れない。調子が悪いのが自分でもよく分かってしまう。

 その位、昨日の事に衝撃を受けている。


「何でだろ……」


 秀雄と出逢ったのは小学校の入学式だ。

 あまりに衝撃を受けてバカな自分でも良く覚えている。

 母親に手を引かれて潜った小学校の校門の裏に、一人でおどおどしている秀雄を見付けた。蝶ネクタイを付けた秀雄は、あまりにモジモジしていてトイレにでも行きたいのかと空晴の方から声を掛けた。


「ねぇ、大丈夫?」

「へ……?」


 何が? と言わんばかりの顔でそう答えられて、後ろに立ってた母親に後頭部を叩かれた。


「あんた、人様に迷惑かけてんじゃないわよ!」

「いって! ちっげぇよ! 母ちゃん」

「目離すとすーぐいらん事するんだから! 大人しくしてなさい!」

「だって、あの子が……」


 秀雄を指した片手を「指差すんじゃない!」とまた叩かれる。


「あら、親御さんは何処へ行かれたのかしら? ねぇ、君、新入生でしょう? お父さんとお母さんは?」

「……えと……お父さんはいなくて、ママンはしごと」

「あら、そう……。じゃあ、おばさんと一緒に行きましょうか」

「母ちゃん、ママンって何?」

「煩いよ、黙ってなさい!」


 小学校の入学式に一人で来る子がいるとは思ってなかった空晴は、その時ビビッて震えていた秀雄の事をすげぇ! と思ったのだ。

 両親共に健在で、母親は専業主婦。口煩いけど家に帰れば母親がいつもいて、頭の良い姉は一人で何でも出来てしまうから、空晴は甘やかされて育っていた。

 そんな空晴には秀雄が学校と言う未知の世界に一人で来ると言う、自分には想像も出来ない偉業を成し遂げた男に見えた。


「お前すげぇな! 一人で来るとか、カッコ良い!」

「え……」

「俺、まじまそらはる。そらで良いよ! お前は?」

「……あめみや……ひでお」


 蓋を開けたら秀雄のそれは何も考えてない、無鉄砲と言う類の強さではあったけど、家も近くクラスも一緒になって秀雄といるのが当たり前になったのだ。


「あぁ――……バカだったなぁ、俺……」

「安心しろ、今だって相当バカだ」

「テンチョッ……」


 バックヤードの入口に背中を預けた勝木がニヤリと笑って見ている。

 

「出来たか? 原稿」

「もうちょいで終りそうっす……。今日は残って仕上げて帰ります」

「その方が都合がいいか?」

「え?」

「お前が言ってる友達って、いつもお前が一緒に帰ってるあのコンビニのバイトの子だろ?」

「な、何で分かるんすか?」

「お前の友達っつったら、あの子くらいしか知らんからな」


 勝木の当たり前だろ、と言わんばかりの顔に誘導尋問に引っ掛かったと気付いても遅かった。


「真島は犬と猫ならどっちが好きなんだ?」

「な……何の話っすか?」

「良いから答えろ」

「犬……ですかね……」

「そうか、俺は猫が好きだ。男が好きか、女が好きか、って言うのはさ。そう言う事と大差ない事じゃねぇのか? お前は別に軽蔑してる訳じゃねぇんだろ?」

「軽蔑とかじゃなくて……何か、知らんヤツみたいでどう接して良いのかが分からんって言うか……」

「じゃあ猫好きの俺の事なら分かるか? 犬好きのお前に、猫好きの何が分かる?」

「それを言ったら、誰だって他人の事なんて……」

「何だ、分かってんじゃねぇか。他人の事なんて分かるわけねぇよな? でもあの子の事なら別なのか?」

「……ほ、他の人よりは分かってるつもりになってて……。何か疎外感感じてしまって……」


 だって十八年だぞ。

 人生の半分以上を家族より長い時間一緒に過ごして来たと言っても過言じゃない。

 そんな秀雄が知らない側面をまるで通りで貰ったビラでも見せるかのように、電車の中でホレと見せて来たのだ。


「疎外感っつーか、それは嫉妬じゃねぇのか?」

「はい?」

「俺が一番知ってるのに、俺が一番だったのに、それが違ってて面白くねぇ。そう言う事だろ?」


 煙草に火を点けた勝木は、最初に含んだ煙を天井に向かって吐き出した。

 その煙越しに見える勝木の顔は真剣で、茶化されているわけではないらしい。


「嫉妬……?」

「違うのか?」

「いやだって、あいつは……男で……」

「だからそれは犬が好きだったはずなのに、猫の可愛さに気付かなかっただけの話じゃねぇのか? って言ってんだよ。世の中には蛇が好きなヤツもいれば、魚が好きなヤツもいる。そう言うのを全部分かろうなんて無理な話だろうが。お前だって突然、明日になったら、蛇の可愛さに目覚めるかも知れない。女を好きだったお前が、突然男に目覚めてもおかしくねぇって言ってんだよ」

「俺が……秀雄を好きかも知れないって事っすか……?」

「この期に及んで疑問形かよ、お前はやっぱりバカだな」


 二十五歳、独身、突然男を好きになりました。

 って、そんなタイトルでブログ書けるか!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る