episodeー8

 何だかんだ一緒にいる割には、学生の頃の様に互いの家に上がり込む事は少なくなっていて、空晴そらはる秀雄ひでおの自宅の匂いを少し懐かしいくらいに思う。

 上がれば、ともどうぞ、とも言わない秀雄は靴を脱ごうとしない空晴の気配にふと振り返った。


「何してんの? 空」

「お前、俺のこと嫌いなの……?」


 空晴は「嫌われたくない」と書いて丸めた紙屑でも握り締めるかのように両手を握って、僅かに声が震えた。 


「……どうして……何で、そうなるの?」

「お前が男が好きな人種だとか、言いにくかったのは分かる。いっぱい考えて意を決して言ってくれたのに俺はお前に何も言えてなくて、お前が頑張ってんのに酷い友達だって思われても仕方ねぇ……けど、お前が家に一人で暮らしてるなんて、俺は聞いてない!」


 だって、そしたらもっと二人で一緒にいられたハズなのに。

 その事はお前にだって分かってたハズなのに。

 でもだからこそ黙っていたとしか、思えないじゃないか――――。


「だって、言ったら毎日くるじゃん、空……」

「そんなに嫌だったのかよ? 俺といるのが」

「……いい加減にしてよ。俺だって色々考えた末にカムアウトまでしてさ……ドン引きしてた癖に、ホイホイ家まで来て、何考えてんの? ママンに聞いたんでしょ? この家には俺一人しかいないんだよ? 状況分かって言ってんの?」

「だったら、どうだって言うんだよ! お前が一緒にいたくないって思ってる事には変わりねぇだろうが! 嫌いなら嫌いって、言えば良いじゃねぇかよっ!」

「そんな事っ! 言えるもんなら、言ってるよっ! バッカじゃないのっ!?」

「お前にだけはバカって言われたくねぇよっ!」


 感極まって、声を荒げて喧嘩するなんて何年振りだろうか。

 元々緩い秀雄がこんなに大きな声を出す事は珍しい上、喧嘩になった所で一方的に空晴が臍を曲げて、ごめんごめんと秀雄が謝ると言うのが常で、こんな攻撃的な秀雄の一面を見たのは初めてだった。

 泣き方も笑い方も知っていると思っていたのに、知らない泣き方、知らない笑い方、そして秀雄でも怒るんだと思い知らされる。


「……空には言っても伝わらないかもしれないって思ってたけど、ここまで伝わらないとは思ってなかったよ! ちょっと、こっち来て!!」

「あ、おいっ……な、何だよ!?」


 右腕を引っ張られてつんのめり、引っ掛けて来たスニーカーが半ば足から転がり落ちた。

 強引に部屋の中へと引き摺られた空晴は、呆気に取られてただ自分の腕を掴んでいる細い秀雄の右手を見た。

 悔しいのかぷるぷるしている。


「ちょっと、そこ座って」


 自分の部屋の襖を勢いよく開け放った秀雄は、そう言って空晴を部屋の中へと押し込んだ。

 震えている割には声も低く、目も座っている様に見える。

 秀雄の部屋は四畳半で、シングルベッド以外は小さいテレビとアニメのDVDで占領されている。座る所と言えばベッドの上くらいで、秀雄が差す「そこ」と言うのがベッドの上だと言う事は分かった。


「な、何で……?」

「良いから座って」


 そう言った秀雄は額に張っていた冷却ジェルシートを雑に剥いでゴミ箱に放ると、徐に着ていたスウェットの上着を脱ぎ捨てた。

 

「な、何してんの? お前……」

「座らないなら、押し倒すよ?」

「うぇっ!? あ、はいっ……す、座りますっ!」


 何故か空晴は異様な秀雄のテンションに飲まれて、ベッドの上に正座した。

 あまり刺激すると、次に何が出て来るのか分からないと言う類の恐怖感に空晴の動物的感覚が反応している。

 例えるならパッと見て「逆らわない方が良い人種だ」と分かる時の様な、そう言う感覚に似ていた。


 勢い任せに強く出ていた秀雄も、空晴がベッドに座ったのを確認した辺りから少し躊躇した様に見えた。

 秀雄は何かを躊躇い、その僅かな間に上がった心拍数を堪える様に空晴は息を飲む。


「ひ……秀雄くん……?」


 秀雄はそのまま下を脱いでパンイチになったかと思ったら、そのパンツすら脱ごうとする。


「え、ちょっ!! お前、ホント何してんのっ!?」

「言っても分かんないなら、こうするしかないでしょ!」


 泣きそうな顔で全裸になってベッドの上に正座した空晴の前に立った秀雄に、空晴は目の遣り場を失って慌てて顔を背けた。

 今まで一緒に風呂とか、着替えたり、見た事ないわけじゃない。

 でもこんな風に大っぴらに全裸を見せつけられる事もない。

 突然露わになった秀雄の息子が、外気に怯えた様に縮こまっている。


「見て、空」

「いや、ちょ……お前、服着ろって……」

「見てっ!」

「はいぃっ!」


 自分から脱いだ癖に秀雄はまるで罰ゲームでもさせられているかのように真っ赤になって今にも泣きそうな顔をしている。


「空、俺は男だ」

「あ、うん……知ってる……よ?」

「俺のこの胸は、どんなに揉まれても膨らむ事はないの!」

「はっ? 当ったり前だろ……」

「お前が好きな脂肪の塊は、俺には無い……」

「だから知って……」

「お前と同じもんが付いてる!」


 秀雄はどっかでネジがぶっ飛んだらしく、自分の股間を指差して息巻いている。

 余りの堂々とした秀雄の態度に押された空晴は「こっちが恥ずかしいわ!」と両手で顔を覆った。


「だから、何が言いてぇんだよ! 分かってるよ、そんな事っ!」

「お前に好きになって貰うとか……絶対無理じゃん……」

「へ……?」

「俺がどんなにお前の事好きになっても、お前に好きになって貰うとか無理な話だって言ってんの! だから好きになっても良い人を探して、終わりにしようと思ったのに……お前、全然分かってない……じゃん」


 嫌いとかなれるわけない、と力なく零した秀雄はその場にへたり込んでしまった。


「ひ、秀雄……?」

「こんなさぁ……裸にまでなって言わなきゃ分かんないの? もう、考えるの疲れた。お前の事ばっかり、こんな……もう止めたい……苦しい……」

「あ、あの……秀雄、ごめん……」

「謝るとか……止めてよ」

「あ、いや、ちがくて……俺はお前が俺のこと嫌いなのかと思って……」

「だからっ! 何でそう言う発想になるのっ! 十八年だよ? 嫌いなヤツとそんなに長くつるんでるわけないでしょ!? バカッ! バカッ! 大バカッ!!」

「ご、ごめんて……」


 黙り込んでしまった秀雄にかける言葉を探して、空晴は白々しく頬を掻いた。

 好きだと言われて満更でも無い顔が緩む。

 でも、バカな自分にはどう答えれば秀雄が満足するのか上手い科白は出て来ない。


「えっと……つまり、秀雄は俺と……」

「……はぁ……そんな事まで言わせるの?」

「あ、いや……えっと、分かってるんだけど、言われたい? みたいな……?」

「言われたいって何……?」

「言ってよ、秀雄。お前の気持ち、俺聞きたい」


 正座したまま前屈みになればへたり込んだ秀雄の顔が近くにあって、今にも泣き出しそうな鼻水垂らした赤い顔が愛おしくさえ見えて来るのだから、不思議なものだ。


「な、何言ってんの? 空、分かってないでしょ……?」

「分かってるけど……お前って、いつも言わないじゃん。俺、最近気付いたんだよね、お前がどうしたいのか聞いてやった事ねぇなって……」

「何それ……聞くだけ聞いて、それは無理ってご丁寧に断ってくれちゃうわけ?」

「違うよ……。その、多分俺もお前の事好きみたいだからさ……」

「はぁ?」


 今度は秀雄が素っ頓狂な声を上げた。


「秀雄が他の人の事見てるの、嫌だとかさ……俺より他の人が秀雄の事知ってるとムカつくし……それに……」

「それってただの独占欲でしょ? 友達取られたみたいなガキっぽいヤツでしょ?」

「ちげーよ!」

「じゃあ、俺とキス出来るのっ? セックス出来るのっ? 出来ないでしょ!」

「で、出来る……」

「もう良いよ……同情とか、すっごい最悪……お前最悪だよ……」

「ちげーってばっ! お、俺は確かに巨乳が好きだし、今まで何人か彼女いた事だってあるけど……それでも、こんな風に誰かに取られたくないって思った事ないんだ。お前に嫌われてるのかも知れないって思ったら、目の前真っ暗になった……そりゃ男同士の事なんて、俺には全然わかんねぇけど……でも、お前が女なら良かったとも思ってねぇよ! 俺は秀雄が秀雄だから好きなんであって、タイプと違うヤツ好きになるとか、別におかしい事じゃねぇだろ? 何か文句あんのかよ?」

「ほ、本気で言ってんの……?」


 真っ赤に充血した目をパタパタと瞬かせた秀雄は、アホの子みたいに口を開けたまま空晴を見た。

 外は眩しい位の秋晴れ、なのに電気を点けていない四畳半の秀雄の部屋は外の眩しさゆえに薄暗く、散乱したアニメのDVDにより全くと言って色気は無い。

 そして男二十五歳、痩せた子供の様な体を曝け出している。

 間の抜けた秀雄の返しに、形勢逆転とばかりに空晴は近くにあったアニメのDVDを手に取り、中身を取り出した。


「俺と何がしたいって? 言えよ、秀雄。言わなきゃこのディスクへし折る」

「わ、ダメッ! それ、初回限定盤のミツマメトコロテン先生の描き下ろしストーリー収録版なんだからっ!」

「言わないと、一枚づつここにあるDVDへし折る」

「ぎゃぁああ! それ、こっち頂戴ってば! そんな事したら空でも怒るからね!」

「言えって、言えば割ったりしねぇよ」 

「ちょ、言うから! それ先に返してっ」

「いーやーだーね」


 床にへたり込んでいた秀雄がDVDを取り上げようと空晴に食って掛かる。

 届かないようにとDVDを持った右手を高く上げた空晴は、目の前にある秀雄の細くて白い胸にある小さな桃色の突起に息を飲んだ。

 知っているはずの秀雄の子供の様に細い肢体からは、妙に落ち着く匂いがする。

 痩せた全裸を目の前に押し付けられて、友達だった秀雄に欲情するなんてどうかしているけれど、空晴の中ではこれで秀雄を誰にも取られずに済むと言う安堵感の方が大きかった。


「……お前と、手とか繋いで、キスとかしたい……の、俺は……」

「そんだけでいいの?」

「なっ、もう良いだろ! 返してってばっ!」

「俺は恋人となら、エッチもしたいんだけど……秀雄はしたくねぇの?」

「バッ……カじゃないのっ!?」

「俺は言わなきゃ分かんないバカですからねぇ~。教えてよ、秀雄くん」

「うっさい! 死ね!」

「ひでぇ……」


 それでも俯きがちに「セックスしたいです」と答えた秀雄が可愛くて、空晴は目の前にあった秀雄の細い躰をギュッと抱きしめる。

 

「……やっぱ、硬ぇな」

「やっぱり死ね!」

「でも秀雄が一番好きだ」


 うん、一番好きだ。

 親友(男)と恋愛始めました。

 冷やし中華みたいに、どっかに書いて貼りだしたいくらいちょっと浮かれてしまう真島空晴二十五歳の秋。

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