番外編
再会の桜【黒姫メイン読み切り】
――夢魔が作り出す悪夢を狩る「
桜の花びらを水に浮かべる呪(まじな)いで、人の夢に入ることの出来る「夢守人」の少女――
名を「
***
いつの間に桜の季節になったのだろう。目の前を横切る桜の花びらに目線を奪われ、
次郎の歩いていた道の横には、桜の木が多く植えられた、市の中央公園がある。明日から本格的に開催される桜祭りのため、木々には華やかなぼんぼりがつけられ、屋台の準備がそこかしこで行われていた。
次郎はそれらを感慨深げに眺め、遠い記憶に思いを馳せる。
(あれからもう、10年経つのか。恐ろしく、しかし不思議だった、あの夢を見たのは)
今から10年前。次郎は、仕事と家庭のストレスから、まさに文字通りの悪夢に囚われ、不思議な体験をした。
他人に話せば、夢というより妄想だと一笑に付されるだろう非現実的な体験。しかしその夢は、当時46歳の次郎の心と身体を蝕み、人生すら壊しかけた、紛れも無い悪夢だった。
(今でも桜を見るたびに、彼女を思い出す)
そんな悪夢から自分を救ってくれた少女がいた。
桜と共に現れ、桜と共に去っていった、夢の中の少女。
少女は次郎を助けて――現実の世界へ返して――くれた。
だからこそ、今の平和な日々がある。当時とは違う、のんびりとした部署で業務に励み、手には家族――妻と娘――への土産であるドーナツの袋を提げて帰宅出来ている状況。もちろん些細ないざこざや困難こそあれど、今の生活に満足している。
しかし、この季節になると、あの少女と再会出来るのではないかと、甘くも儚く、危なげな妄想を抱いてしまう。
(ほんの束の間だけ、桜を見ている間だけ……思い出したい)
咲き誇る桜を見ながら、次郎は束の間、思い出に浸ることにした。
サービス残業に上司へのおべっか使いは当たり前。部下には「無能」の陰口を叩かれる。家に帰れば、妻の愚痴を聞かされ、思春期の娘とはぎこちなく、孤立気味。土日は倦怠感からか、ほぼ布団の中に引き篭る。
入社から約20年、会社の中でも激務の部署に異動した次郎は、鬱屈な生活を送っていた。
――何も考えたくない、誰とも話をしたくない。一人きりになれる場所を求めたその結果、次郎は睡眠の果てにある「夢」にたどり着いた。
今自分が生きているこの現実に居場所は無く、夢の中は理想の場所であった。
夢の中の次郎をぐるりと囲むのは、鉄道模型の線路。子供の頃に憧れた「夢の超特急」である新幹線や、故郷にあるローカル線の列車が走る。夢中になった人気アニメのロボットおもちゃ、積み木が無造作に置かれている。
夢の中の次郎は、幼い子供の姿だった。周りに置かれた様々なおもちゃをとっかえひっかえしながら、一人遊びをし始めた。真剣に積み木。ロボットのおもちゃで暴れる。線路を走る鉄道模型を無心に眺める……。
誰にも邪魔されず、好きなように遊べる夢の中は、当時の次郎にとって一番の「娯楽」であり「癒し」であり「居場所」だった
そんな生活が続いたある日の夢。
突然、次郎の目の前に青い花びらが、数枚舞い散るのが見えた。
はっと気づいて顔を上げる。すると、視界の先に誰かが居た。フリルのたくさん付いた青い服を着た、青い髪の幼い女の子。女の子は次郎をじっと眺めていた。年はまだ十歳くらいだろうか、あどけない笑顔を浮かべている。
「あなたの夢って、なんだか素敵。ね、邪魔しないから、見ててもいい?
興味津々な顔だが、年齢以上の落ち着きが見え隠れする不思議な女の子だった。
それからというもの、彼女――青子は必ず現れた。そして言葉通り、青子は次郎の一人遊びを傍らで眺めているだけだった。
不思議と安心感があった。ここに居ても良いのだという肯定感が日に日に増し、ますます夢の世界に没頭した。
その代償か、現実では寝ているのに寝不足のような倦怠感が次郎を支配し始めた。仕事中でも注意力が散漫し、何も考えたくないという更なる無気力状態へ。結果、職場ではミスを連発し完全に孤立――家に帰ってもろくに家族と話さず、夢を求めて布団へもぐりこむようになった。
次郎は、すっかり夢に囚われていた。
夢の終焉は、桜祭りが行われる4月上旬の、月が綺麗な夜に訪れた。
次郎はその日家に帰らず、公園のベンチでぼーっと桜を眺めていた。桜の木は小さな池を囲むように植わっており、風で散った花びらが水面に揺れていた。
手元には会社からの帰りに買った睡眠薬の箱が転がっている。裏面の説明など見ずに口につめて噛み砕き、一緒に買ったチューハイで乱暴に飲み干した――眠るために。
見ようによっては睡眠薬での自殺に見えなくもない風体だが、もうそれで良かった。永遠の眠り、という言葉が頭をよぎる。
にぎやかな祭りの喧騒が遠ざかる。
眠りに入る寸前、朦朧とする景色の中に、仲睦まじげに歩く3人の親子が歩く姿が見える。
次郎はほんの少しだけ――そう、ほんの少し、その親子が羨ましいという気持ちと、もう自分はあんな世界には戻れないのだ、という絶望を同時に感じながら、夢の世界へと堕ちていった。
まばらに小さな青い花が咲く、おもちゃ以外何も無い、次郎の夢。次郎は生気の無い虚ろな眼差しで、一心不乱に遊んでいた。
だから、胸から小さな青い花――夢を養分として生える「
女――陰獣が
桜の花吹雪がどこからか現れ、陰獣の目を塞いだ。不意打ちで目くらましをされた陰獣は、ギャアッ、と悲鳴を上げ飛びのく。怒りを込めた視線で睨んだその先には、人影があった。
桜色と朱色が主体になった、巫女服のような格好。短めの袴――というよりは、ミニスカートと呼ぶほうが正しい形状――から見える、黒いニーハイソックスに包まれたすらりとした足。
桜の花びらが舞い散る中、後ろでひと纏めにした栗色の髪が、穏やかな風に乗って揺れている。手には桜の枝を携えていた。まるで桜に導かれ、守られているような……あるいは、桜を従わせているような風格を漂わせている。
白刃の輝きを思わせる、鋭く美しい表情の少女が佇んでいた。
次郎は虚ろな意識のままその場に倒れこみ、ずっとその少女を眺めていた。
「貴方の夢へ、お邪魔させてもらう」
少女――
その身のこなしはさながら疾風のごとく素早く、美しい。右手に携えられた桜の枝が軽く振られると、桜の蒔絵が施された短刀へと変化した。
あっという間に陰獣の前に現れた黒姫は、抜き身の刀を
が、次の瞬間、黒姫が小さく息を呑む。同時に陰獣が歪な笑みを見せた。黒姫はちらりと背後を見やると、すぐさま飛翔し、迫り来るものをかわそうとする。
黒姫の背に迫っていたもの――それは、宙に浮かぶ線路と、その上を弾丸のように走る新幹線や列車の模型だった。
線路はまるで宙返りするジェットコースターのようにうねり、さながら暴走列車と成り果てた模型は黒姫を追いかける。
「オモイバナ!」
黒姫は空中で身をそらしながら、左手の手のひらを上に向けて開く。手のひらの上に、桜の花が降り積もるかのように、小さな桜色の光が積み重なった。黒姫が光をばら撒くと、鎖のように模型群に絡みつき、その動きを止めた。
黒姫が着地すると同時に、光が模型群ごと霧散する。
「
黒姫は短刀を顔の目の前に構え、迫り来る陰獣に向かって振り下ろした――その速さ、まさに
切れ目は桜色に彩られ、陰獣の断末魔が響く。身体がすっかり桜色に染まると、青い花びらが散って消滅した。
黒姫が短刀に息を吹きかけると、白く柔らかな光に包まれながら、一片の花びらが現れた。光の中には、家族と共に笑いながら祭りを楽しむ次郎の姿があった。
次郎はその光に向かって、無意識に手を伸ばす。本当に欲しかったのは――。
「それは紛れも無い、貴方の夢」
光が次郎の胸元に吸い込まれる。身体の中に温かな感触が広がって、次郎は穏やかに目を閉じた。
「今度こそ良き夢を、貴方に」
黒姫の優しげな声音を聞きながら、次郎は夢の終わりを実感した。
次郎も黒姫も居なくなった夢に、青い髪の女の子――夢魔の青子が薄い笑みを浮かべて佇んでいる。
「やっぱりダメかぁ。小さい花だったし。……でも、黒姫の姿がちょっとでも見られて、青子、満足っ」
全く落胆の色が見えない声音で呟くと、青い花に包まれて消えていった。
目が覚めた次郎が見たのは、泣きはらした妻と娘の顔だった。彼女たちは夜中になっても帰ってこない次郎を心配し、夜の町を探し回ったのだという。そんな馬鹿な、と次郎は思う。家族をないがしろにした自分など探さないと思っていたのに。
驚く次郎の頬を妻の手が包んだ。娘が次郎の腕に抱きついた。
思わず二人を抱きしめる。
それは間違いなく、現実の感触だった。
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同人誌即売会「第四回 Text-Revolutions」公式アンソロジー お題「再会」投稿作品
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