1-2 舞台に舞う、幻想の青い花

 その日の夜、あたしは珍しく、はっきりとした夢を見た。

 目の前に居るのは、台本を持った審査員。あたしを真剣な眼差しで見ていた。

 周りには、あたしと同じような役者志望の子が何人もパイプ椅子に座っている。時折手に持った台本に視線を落としながらも、目をぎらぎらさせているのが分かった。

 殺風景な練習スタジオ―そうだ、ここは、舞台のオーディション会場だ。

 気づけばあたしは、手に台本を持って立っていた。

 はっとしてあたしは、覚えてきた台詞を暗唱あんしょうした。何度も練習した演技、何度も読んで理解しようとした役の気持ちを思い出しながら、全力で演じた。

 だけど。

 口から出る台詞は棒読みで、演技もぎこちない。そして何より、今演じている役の気持ちになりきれてなんかいない。

 自信なんて、どこにも無い。気持ちだけが空回りするだけだ。

「君、もういいよ。ハイ、次の人」

 演技はまだ終わっていないのに、審査員の声が無慈悲に降りかかる。頭のてっぺんから足の先まで、さっと血の気が引くのを感じた。

 審査員は無表情で台本を見ている。既に、あたしに興味を失っているのが、よく分かる。

 次に順番を待っていた子は、あたしの顔を見て、ひどく見下した笑みを浮かべている。素人の癖に、という囁きが聞こえてきた。

 一歩、また一歩後ずさり、そして、会場から走って逃げ出した。会場の外は、何も無い暗闇が広がっていた。

 あたしは思った。――これは、オーディションの悪夢だ

 何度受けても、どこに行っても、不合格ばかりだったオーディション。会場に行く度、自分の実力を思い知らされる、辛い場所。

 あたしは特別なんかじゃなかった。偶然、あの映画で求められていた「役」に、あの時の「子役だった」自分が合っていただけ。

 本当の自分は、特別なものなんて持っていない。普通の人だったんだって気づいたんだ。

「あっ」

 足がもつれて、その場に倒れ、衝撃で手元の台本が遠くに投げ出された。ばさり、と大きな音を立てて、たくさんの赤ペンで書き込みがされた台本の中身が広がった。出演した映画で使った台本だった。あたしが必要とされていた時のもの。とても輝いて見えるもの。

 だけど、台本のページは竜巻のようにくるくると舞い上がり、舞台へと吸い込まれて消えていく。

「嫌だ……」

 じわりと、涙が滲む。滲んだ視界には、燦々さんさんとスポットライトが輝く、舞台が見える。

 。いつまでも特別な存在でいたかった。あの大舞台に、立ってみたい。自分には、そういう特別な何かがあると思ってたのに。

「嫌だ……!」

 ずるずると地を這うようにして、舞台に手を伸ばす。

「あそこは、アナタの居場所じゃない」

 何者かも分からない声が、突然響いた。

「綾乃、普通の生活に戻りましょう。アナタは普通の子なのよ、普通の……」

「綾乃、パパはもう疲れたよ……。お前も、疲れただろう」

 パパとママの声が同じように響く。はっと気づくと、後ろにパパとママが、酷く暗い顔をして立っている。暗い空間に、ぼんやりと白い手が浮かび上がった。それは、パパとママの手だった。

 思わず悲鳴が漏れる。起き上がろうとした足首に、がっしりとした感触が走った。

 何本もの白い手が、私の右足を掴んで引っ張っている。舞台とは反対方向に、遠い方向に。

 あたしは半狂乱になって足をもがくけど、抵抗はむなしく、舞台から遠ざかっていく。

「いやだーっ、あたしはあそこに行きたい! あの舞台に行きたいの! あたしは、あたしは……!」

「お前は、何も出来ない、ただの人だ!」

 またも響いた、誰かの声に、あたしの心に、ぽっかり穴が空いたようなショックを感じた。そう、あたしは何も出来ないんだ。だからこんなところで、馬鹿みたいに引きずられるんだ……。

 遠くに見える舞台の輝きから、目をそらしそうになったその時だった。

 あたしの目の前に、青い花びらが舞い散るのが見えた。

「――!?」

 そして、パン、パン、パン、と何かが破裂するような音が聞こえ、気づくとあたしの身体は、真っ直ぐに立っていた。慌てて周りを見回すと、お客さんで満席になった観客席が見えた。

「ぶ、舞台の、上……?」

 落ちたはずのあたしは、上からのスポットライトに照らされた舞台の上に立っていたのだ。


「こんばんは、おねえちゃん。アナタの夢に、お邪魔しちゃうわ」


 困惑しているあたしの耳に、鈴を鳴らしたような女の子の声が聞こえる。はっと気づいて隣を見ると、あの青い髪の女の子が、あたしの隣に立っている。女の子はにっこりと無邪気な笑顔を浮かべ、あたしを見上げた。

「おねえちゃんの夢、本当に素敵ねっ」

 後ろ手にして、あたしに同意を求めるように首を傾げる。青いさらさらの髪の毛が揺れて、ふわりと甘い匂いがした。頭の芯がぼーっとするような、そんな匂いだった。

「でも、今のままじゃ、おねえちゃんの思う、素敵な夢は見られないかな? だから、おねえちゃんの夢、大事に育てよう? 青子が、手伝ってあげる……」

 女の子が、あたしの頬に手を伸ばす。その指は、ひどく冷たかったけど、真っ直ぐにあたしを見つめる紅色の目は、とても熱を帯びていた。

「だっておねえちゃんは、とっても素敵な人なんだもの。この舞台は、おねえちゃんのものなんだよ。おねえちゃんだけのものなんだよ。青子、おねえちゃんの舞台が、見たいな」

 求められている。そう思うと、身体の芯からぶるりと震えた――久しく感じていなかった、その感情を全身に感じた。

「あたしだけの、舞台……」

 あたしは感情の赴くまま、両腕を広げて、燦々と輝くスポットライトを全身に浴びた。

 ――遠くから、喝采の声が聞こえる。それはまるで、海のさざなみのように、あたしを包み込んだ。身体の中から迫りあがってくるような快感が、あたしを襲う。

 心の底に残っていた気持ちが湧き上がる。

 お芝居がしたい。

 この大きな舞台で、主役を張りたい。

 その思いが、あたしの胸の中で膨らみ始めた。

「――」

 すると、あたしの口から、するすると台詞が飛び出した。かつてオーディションで覚えた、演劇の台詞だ。

「――」

 不思議だった。あの時覚えた台詞がつっかえることなく、すらすらと暗唱できる自分に驚いた。すると、自信が満ち溢れてくるのが分かった。

「ああ……」

 胸がいっぱいになる。客席を見る。皆があたしに、夢中になっている。歓声が沸きあがる。誰も彼もが、あたしの事を褒め称えた。

 ここでなら、誰の言葉も気にせず、あたしはお芝居に没頭できる……! ここではあたしが一番で、あたしが一番優れているんだ。

 あたしは大きく息を吸い込むと、思いのたけを込めて叫んだ。


「ここがあたしの、本当の舞台だ……!」

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