エピローグ

いとしきひとにあいの花束を

 ゆめはなに囲まれた、豪奢な天蓋つきのベッドに身体を沈ませて、そのふかふかな感触を味わうのが青子あおこは好き。きっと人間たちもこんなベッドで夢を見てるんだ。そんなことを考えながら、かたわらにある夢花の青さを見ると、胸がおどるような気持ちになる。これが全部青子のもので、そしてゆくゆくは、愛する人にプレゼントする花束になるのだと思うと、身体の芯がうずいて、気持ちが高ぶる。

「……くろひめ

 愛する人を思い浮かべながら、つい最近、その人に付けられた右目の傷を触ってみる。今でも思い出せる刃の感触。それは、黒姫の手の感触と言ってもいいと青子は思ってる。――うっとりするほど熱く痛みを伴う傷が、愛おしくてたまらない。

 そして同時に思い出すのは、無理に奪った黒姫の唇の感触。

「奪ってやった、ついに、あの男から」

 本当はもっとロマンチックにいきたかった。プランでは、優しくするからと甘く囁いたあと、恥じらいながらまぶたを閉じる黒姫に、そっとついばむような口付けを落とすはずだった。だけど、黒姫の右手首から見えたが、青子の気持ちを逆撫でしたから、あんな乱暴な口付けになってしまった。黒姫が右手首につけている組紐の腕輪、そして十字の御守りアレ――憎い男の残りかす。

 アレがある限り、黒姫は青子の一番にはなってくれない事を、本当はよく理解わかっている。どうあがいても、どう愛を囁いても、好きだと叫んでも、黒姫はもう、青子を見てくれない。

 青子はずっと覚えてる、初めて出逢った時の事を。興味本位で覗き込んだ白昼夢はくちゅうむで、迷子になった青子を見つけてくれた女の子。泣き喚く青子をなだめようと、一緒に遊ぼうと言ってくれた。そして手を優しく引いて、夢の入り口に返してくれた。

 そして、あの子は青子に「青子」という名前を与えてくれた。だから青子も、彼女に「さくらひめ」という名前をあげた。互いに『夢魔むまの姫』や『ゆめ守人もりびとの姫』という、一族の中での呼び名しか無かった存在に、確固たる「名前」を付けたあの日。

「私はオキテで、ここから出られないから」と、少し寂しげに手を振り、青子を見送ってくれたその顔が、脳裏に焼きついて仕方なかった。

 思えばあれが恋のときめきだった。

 その後、彼女が夢魔の天敵である『夢守人』だと知った。でも天敵でも構わなかった。あの子に会えるなら、どんな形でも良かった。だから青子はたくさん夢花を咲かせた。夢花を咲かせればあの子が現れる。それが、たとえ戦う相手であっても、きっと愛を伝えれば、どれだけ桜姫を……サクラを愛しているか伝えれば、きっと傍に居てくれると信じていた。

 だけどそれは、白昼夢に迷い込んだ人間の男によって壊された。

 成長したサクラの心は、すでにあの男のものだったのだ。

 嫉妬の炎が青子の心を焼いた。男の夢に投影されているサクラが、憎らしくてたまらなかった。男に笑いかけ、小首をかしげ、愛しげに男の頬を撫でるサクラを、男の「夢」でしか見ることが出来ないことが、狂うほどに悔しかった。男が話す幻想譚に胸をときめかせるサクラを、奪いたくて仕方なかった。

 だから男をいんじゅうに食わせた。とにかく男を消したかった。サクラに愛を囁いていいのは、この青子だけだと主張したかった。

 ついに逢えたサクラは、烈火のごとく怒りをほとばしらせていた。男の夢で見た彼女とは程遠い、冷酷な夢守人そのものだった。サクラから繰り出される刃、絡みつくオモイバナ、全てが怒りに染まり、青子をめっさんとしていた。

 それはサクラが黒姫と名を変え、長い年月、夢の中ですれ違う度に戦う関係になっても、変わらなかった。

 しかしその時、青子はぞくぞくするほど、嬉しかった。不思議だと自分自身でも思った。


 ――たとえ心はあの男のものでも、愛を込めていなくても、真っ直ぐに注がれる黒姫の感情に、心躍った。たとえそれが、青子を罵倒し、心から憎む言葉であっても。


「夢花を咲かせて、人の夢を奪う。そうすれば、黒姫は青子を必ず見てくれる。そしていつか、夢花で作った花束を贈るの。あの男の幻想よりも、ずっと素敵な夢花を」

 愛を囁くのも、銃を撃つのも、青子にとっては同じこと。黒姫が青子を見てくれるなら、青子はどんなことだってするの。たとえ黒姫の瞳に、愛が宿っていなくても。

 だから青子は、愛を叫び続ける。


「愛してる、黒姫」


 青子はここにいるよ、分かって?


 ――ファントム・ブルーの銃声は、青子の声とおんなじだから。


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