4-1 夢の舞台、千秋楽

 嫌な予感がする。

 この少女の夢に入った時、むせ返るような、あの、甘い匂いがひときわ強いと感じた。

 既にゆめはなが咲き誇り、彼女が居る可能性が高い。彼女――夢魔むまの姫・青子あおこの身体に、緊張が走る。


「貴方の夢に、お邪魔させてもらう」


 呪文を唱えると同時に、禍々しい気配を放ついんじゅうへとオモイバナを差し向ける。清浄な気を伴ったオモイバナは桜吹雪となり、悪夢の空気を変えた。

 黒く立ち込めていた気が四散し、青い花が支配する世界が広がる。私の目の前に、桜吹雪に取り囲まれた陰獣と、その下で意識を失っている少女が見えた。ゆめぬしである少女は持ちこたえていたらしく、まだ陰獣に食われては居なかった。もし少しでも遅れていたらと思うと、ぞっとする。

くろひめ、やっぱり呼ばれていたのね。会えて嬉しいわ」

 上ずった幼い少女の声が、黒姫、と私の名前を呼ぶ。少女――青子は私の姿を見るや、顔をほころばせた。私は陰獣の隣に立っていた青子の姿を認めると、キッと彼女を睨んだ。

 自分で夢花を咲かせておいて、何を言う。胸に沸く嫌悪感を押し殺した。私は手にした桜の枝を振るい、サクラバナへと変化させて、陰獣へと歩み出す。

「夢魔の姫、今、貴様に用は無い」

 まずはこの夢に巣くう、陰獣の昇華しょうかが先決だった。

 サクラバナの鞘を抜き去り、青子の事を無視して駆け出す。青子は動揺する様子もなく「あん、黒姫のいけず」などとざれごとを呟くだけだ。

 私が陰獣に近寄った瞬間、オモイバナの効力が切れ、陰獣の姿が露わになる。いつ見てもなまめかしく、淫猥いんわいで、おんなさがを集めたような陰獣の姿。体にまだら模様があるのは、まだ夢主を吸収していない証拠だ。

 私の姿をとらえたいんじゅうが、かぱっと口を開き、赤い舌を出して威嚇いかくする。まるで狂った弦楽器のような甲高い奇声を上げて、私に向かって首を突き出した。

「消え去れ」

 不快もあらわに私は呟く。

 すっと身体を沈め、勢いを付けて陰獣へと跳躍する。すかさずサクラバナの刃を、陰獣の喉元めがけて走らせた。切っ先を喉元へ到達させ、ぷつりと陰獣の肌へ押し当てすぐに滑らせる。切り口から、紫色の体液が噴出し、霧を作った。陰獣は痛みに身体を震わせ、壊れた操り人形のようにぎこちなく首を動かすと、微笑の仮面が剥がれ、怒りの仮面が現れた。

 斬れたか、と思った瞬間、サクラバナの刃は、陰獣の黒い髪の毛に絡め取られ、陰獣の喉から引き離される。

「くそっ!」

 ぎちっ、と絡みついた髪の毛を力技で切断し、予測される攻撃を受けぬよう、右足で蹴りを入れて距離を取る。陰獣の身体が花ごと夢主から離れ、仰向けに宙を舞った。

 大きな花弁がスカートのように揺れる。その下に見えるのは、うごめく無数の根だ。根っこは意思を持ったかのように伸び、地面を抉りながら私を狙い始めた。

反射的にオモイバナを散らし防御すると、根に当たったオモイバナの花弁は四散し消えていく。しかし防ぎきれなかった根は身体をねじってそらし、左手で叩き落とす。

 陰獣は地面の花を散らしながら着地する。そして流れる動作で腕を振るうと、陰獣の両隣に、それぞれ二体ずつ、舞台の裏方役の黒衣くろごが出現した。皆、膝を立て、陰獣を崇めるような様子だ。そして、四体全員が同じタイミングで、私を見据える。と同時に、私に向かって走り出していた――黒いつぼみが開花するが如く。

 自分の分身を作り出せるほどの力を秘めていたのか。その事実に、私はわずかに驚いた。ここまで開花してしまった陰獣と対峙するのは、久しぶりだ。

 夢花は、夢主の「夢=願望」が養分だ。しかし、人間の見る夢は、決して美しいものばかりではない。き想いも、いやしい想いも、独りよがりな想いも、玉石混交ぎょくせきこんこうされているものだ。

 厄介な事に、青子に夢花の種を植え付けられた夢は歪み、悪夢になる。

 そして皮肉にも、夢と現実の夢主との乖離かいりが大きければ大きいほど、その力は強大になる。この夢主の夢は、まさにそういう夢だったのだろう。

 だからこそ青子がわざわざ、様子を伺っていたのだろう。彼女はこういう夢を好む。分かっていてやっている。私が必ず現れるというのを、彼女は知っているからだ。

 ――黒衣が四方に散った瞬間、彼らは大きな木の板を出現させ、私を囲むように立てた。何をするのだろう、と思った瞬間、板に吹雪の絵があった。それはまるで、舞台演劇で使われる書き割りに似ている。

 こけおどしかと思ったが、その刹那私の目の前にちらついたのは、白い雪であった。それは徐々にその勢いを増していく。


「吹雪っ……!?」


 気づいた時には、私は本当に吹雪の中に立っていたのだ。辺りを見渡せば、真白ましろの世界が広がっており、黒衣と陰獣の姿は無い。突破しようと身じろぎをすると、いっそう強い吹雪が私を襲った。

 とっさに腕でかばうと、雪が私の身体に付着する。すると雪は一旦解けるが、すぐに強固な氷となり、私は身動きが取れなくなった。

 しまった、と思った時には遅かった。目の前に嘲笑の仮面を付けた陰獣が現れ、その腕を上げると、陰獣の周りに白い紙が花びらのように舞う。そして陰獣が腕をしなやかに振ると、その白い紙は剃刀の如く、抵抗の出来ない私の服や、肌を切り裂いていった。

 痛みが走り、うめき声が漏れる。

 白い紙をよく見れば、それは赤ペンで書き込みがされた、演劇の台本のページだ。

「っは……!」

 私が息を吐くと、今度は急に暖かな風が吹いた。陰獣の姿は瞬く間に消えている。吹雪から解放されたかと思ったのもつかの間、書き割りの絵が変わっていた――炎が渦巻く、大火事の絵に。

 すぐにむせるような熱気が立ち上り、真白から一転、辺り一面紅蓮ぐれんの炎に包まれる。視界に滲むあかは、書き割りというまやかしのはずなのに、身体を少し動かすだけで、肌を焦がす痛みを感じた。焦って吸った小さな呼吸、たったそれだけで、喉に焼けるような痛みが走った。身体はまだ燃えていない――だが、炎の中に居るようだ。

 このままでは焼き殺される。しかし、この夢の世界では、そう思ってしまったほうが、負けだ。

 ――負ける訳にはいかない。

「オモイバナ!」

 地を蹴って真っ直ぐに飛び、地上から離れた。まとわりつく熱気を払うように、素早く。

 放ったオモイバナを、足の裏に忍ばせる。くるりと空中で回転し、浮かぶオモイバナに足を乗せた。見下ろせば、輪になった書き割りの後ろに、黒衣の姿が見える。何のことはない、私は書き割りの輪の中に、閉じ込められていたのだ。

 黒衣が私の存在に気づく前に、私は足元のオモイバナに念じた――く走れと。

 私は急降下し、黒衣たちを素早く斬っていった。サクラバナは短刀ではあるが、陰獣を昇華し、めっすることのできる、清浄な気を持った刃だ。斬ったそばから、黒衣達は黒い霧となって四散した。残された書き割りは、よろよろと力無く倒れ、そして消えた。

 再び青い花畑に戻った私は、背後に気配を感じた。微笑の仮面を付けた陰獣が、両腕を広げる。

 すると空中に現れたのは、無数のスポットライトだった。スポットライトに明かりが灯る。すると、まぶしい光が私を照らした――見れば、上から、横から、斜めから――あらゆる方向から、スポットライトが私を照らしていた。

 反撃のために身体を動かそうとしたが、固まってしまったかのように動かない。その間にも陰獣は無数の根を動かし、花を掻き分け、私に向かって突進する。

 身動きが取れない私の前に、怒りの仮面に笑みを浮かべた口という、ちぐはぐな顔の陰獣が現れ、伸ばした両腕が私の首を掴んだ。

「ぐ……あ……」

 首が千切れそうなほどの握力に、うめき声が思わず漏れる。圧迫される喉に、光に拘束された身体。自分のどこに勝機があるのか、考えを巡らせた。すると、まだ消えていなかった一片のオモイバナが、苦痛に歪む視界に入るのが見えた。

 私はそのオモイバナに、陰獣の目を真っ直ぐ狙うように念じた。念が通じたオモイバナは、私の思い描いたそのままの軌道をたどり、陰獣の仮面を割って入り、眼球から身体の中に潜り込む。私が念じれば、オモイバナは私の体の一部となって動く事が出来るのだ。

 予想通り、突然の異物に陰獣の口が歪み、ガラスを爪で引っかいたような奇声を上げる。一瞬にしてスポットライトが消え、首の拘束も解けた。咳き込みながらも私はサクラバナを構え直す。

「私に応えろ、サクラバナ!」

 私の声に、サクラバナの白刃が桜色の光を帯びる。陰獣はまだ、体内にもぐりこんだオモイバナに苦しみもがき、おのれを失っている。

 ……今だ!


「夢を、返してもらう。――昇華しょうか桜花おうか繚乱りょうらん!」


 言霊を叫びながら、陰獣の胸元めがけて切っ先を向け、斬撃を浴びせる。桜色に彩った切れ目は身体に広がり、耳を塞ぎたくなるような悲鳴を上げながら陰獣は消えていった。最後には青い花びら一枚が宙に浮かび、それすらも消え去った。

 青い花が一斉に消え、舞台の上には、私と、気を失ったままの夢主の少女と、青子のみになり、客席を含め誰も居なくなった。

 私がサクラバナの刃に息を吹きかけると、夢主の本来の夢を含んだ花びらが現れる。白い光に写るのは、小さな劇場で、伸び伸びと演技をする、夢主の姿。観客席には、夢主と同い年くらいの少女たった一人だけが、夢主の舞台を見ている。演技が終わると、たった一人の拍手を受ける。夢主はそれに心底満足そうな顔をして、一礼をした―。

 花びらはまっすぐ少女の胸へ吸い込まれていく。これで夢主はもう、悪夢にうなされることは無い。私は小さく息をついた。

 突如、ぱちぱちぱち、と拍手の音が聞こえる。振り返ればそこには、満面の笑みを浮かべた青子が佇んでいた。

「残念、もう倒しちゃった。流石だわ、やっぱり黒姫って最高に素敵」

 夢花を昇華されたというのに、青子は全くもって気にする様子はない。事実、陰獣を守るどころか、手助けする気配すら、彼女は見せなかった。

 少なくとも、彼女にとって私の存在は、夢花よりも優先順位が高いらしい。その意味を考え、私は複雑な気分になる。

「夢は返してもらった。この場から立ち去れ、夢魔の姫」

 私の事をどう思っていようと、今の彼女は人間の夢の秩序を乱す存在でしかない。それも、人間の存在さえも消してしまう、下衆げすなやり方でだ。キッと睨みつけた私を見ると、青子はすっとぼけた顔をして「怖い顔だけど、怒った顔も素敵」と呟いた。

「やっぱり名前で呼んでくれないのね、切ないなぁ。……でも、せっかく貴方に逢えたのに、このまま悄悄すごすごとおうちへ帰るのは、不本意」

「……何が言いたい」

「うふふ、知ってる癖に。貴方とは、こんな形じゃないと、もう逢えないんですもの。黒姫、しばらく青子に付き合ってくれる?」

 無邪気と形容すべき青子の微笑みに、薄ら寒い気持ちを覚えると共に、ほんの少しだけ、何も知らなかった頃の彼女が蘇り、私の胸を焦がす。

 気づけば青子の右手に握られた日傘がぱっと開く。青と白の日傘が回転を始め、空間を捻じ曲げる。

「しまった!」

 気づいた時には遅く、私は日傘が捻じ曲げた空間に巻き込まれてしまった。

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