嘘つきの味【青子メイン読み切り】
あの子と私は、幼稚園からずっと同じ学校に通う幼馴染だ。
あの子はいつも笑顔で明るくて、みんなの人気者。私はまったくもって反対の存在で、周りはどうしてクズの私とあの子が友達なのかと、陰口を叩かれるのは日常茶飯事だった。
それでも、私はあの子と一緒にいるものだとずっと思いこんでいた。
「わたしね、好きな人が出来たの」
中学二年の夏。恒例のお泊り会で、布団に潜り込んだあの子がそう言った。
好きな人が出来た。たった一言だけで、あの子と私の間にあったものが、歪んでしまったように感じた。今ここで傍にいるのは私なのに、あの子の心は、遥か彼方にある気がした。
瞬間、夏なのに身体全体が冷える心地がしたのを覚えている。薄闇で良かったと、心の底から安堵したことも。その時私の顔は、とても酷い表情をしていたと思うから。
「……誰なの?」
必死で絞り出した声が震えていることにも、あの子が気づく様子は無い。
「え、えっ……あああっ、好きな人いるよってだけじゃ、だ、ダメかなあ……」
普段ハキハキとして快活なあの子が、甘ったるい舌ったらずなしゃべり方をする。
「誰だか分かんなくちゃ、協力っていうか、そういうこともできないじゃない」
私の口から、思っても無い言葉がするりと飛び出した。これがあの子についた、初めての嘘だった。
「え、協力してくれるの? きゃー!
花が咲いたように笑うあの子が愛しいと思うと同時に、最終的にあの子の愛が向かう先は私ではないのだと思うと、苦しい気持ちが胸の中で暴れた。気取られ無いようにするため、タオルケットを見えないように握りしめた。
「持つべきものは友達って本当なんだね! 日比奈が友達で良かった~!」
隣で寝るあの子は、ごろんごろんと転がって私の布団に潜り込む。そして戯れにタオルケットごと私をぎゅっと抱きしめてきた。そこで初めて、どきりと大きく胸が高鳴った。今までずっと一緒にいたのに、心臓が飛び跳ねそうになったのは初めてで。布越しで感じる彼女の体温に妙なときめきを覚えた。
「あのね、あのねえ……わたしの好きな人は……」
私たちしかこの部屋に居ないのに、あの子は耳に手を当て、小声で名前を囁く。耳にかかる吐息すら愛しく感じる。聞こえてきた名前は、クラスでも一番おとなしく、いつも本ばかり読んでいる根暗な男子の名前だった。驚きと同時に、なぜ私よりもあんなやつを選んだのか、それが理解出来なかった。
「どうしてあいつなの、陽子」
「えっ、えっと……や、優しいんだ。この前放課後にね……」
あの子――陽子は照れながらも語り始めた。私は話を聞くふりをして、ずっと陽子の熱っぽい瞳を見つめて悔しいと感じていた。本当はそんな男子の話なんか聞きたくなかった。でも気持ちを悟られたくなくて、適当に相槌を打っておいた。
「ふうん、そうなんだ」
「ねっ、だから日比奈、協力して~」
「……うん、私は陽子の友達だもの」
私の吐き出した言葉は、二番目についた嘘になって、そのあともずっと私を縛り続けた。
その夜、私は夢を見た。
陽子が私に、恥じらいながら「好き」だと告白してくれた。私は舞い上がった。「本当に好きなのはあなたなの」と陽子は言ってくれた。
ああ、嬉しい! 私もあなたが好き、大好きよ! 心が撃ち抜かれたような衝撃は、きっと喜びの所為だと思った。
そう言って私は陽子を抱きしめた。もう、友達だなんて嘘つかなくていいんだね。
ふんわりと花のような甘い匂いがする夢の中で、私はうっとりしながら陽子の身体を抱きしめ続けた。
それからというもの、私は夢の中での逢瀬に夢中になった。夢の中の陽子と何度もデートを楽しんだ。
仲良く手を握りながら歩く時、陽子は時折甘えるようにして、私の腕へ絡みついてくる。そんな陽子はとても可愛くて、いじらしくて、私だけのものなんだって考えると心が浮き立って幸せになった――たとえ現実の陽子が例の男子に声をかけることが多くなり、私と一緒にいる時間が少なくなっていたとしても。
夢の中の陽子と深い仲になればなるほど、現実の陽子との距離が離れていく。私は夢の中の陽子に文字通り夢中になり、だんだんと現実が煩わしく感じるようになった。本当は現実がまぼろしで、夢が現実の世界なんじゃないか、と。
眠っているはずなのに、目が覚めると身体はだるく、頭が常にぼーっと霞が掛かったように重い。学校に行くのもしんどくて、母親に嫌味を言われながらも休むことが多くなった。
そして季節が冬に変わった頃、私はついに陽子と話すことが無くなり、一緒に登下校することも無くなった。
――陽子は、例の男子と付き合い始めたのだった。
その日の夜も、私は夢の世界にいた。
「陽子、本当に可愛い、大好き、愛してる」
青い花びらが綺麗に散らされたベッドの上で向き合って、陽子に向かって愛を囁く。陽子のサラサラの髪の毛を撫でて、口づけて。そして次はピンク色で可愛い唇にも触れる。陽子はくすぐったいよと猫みたいに笑って、私にされるままになっている。
愛くるしい目、小さい肩、まだ膨らみかけの胸、すらりと伸びた足。全部、私に無いものばかり。何もかもが欠けてる私にピッタリな女の子。陽子さえいれば私はこの世界で生きられる。
なのに。
突如、目の前の陽子が、現実の陽子に姿を変えた。今まで何回もこの夢を見ているのに、そんなことは今まで一度も無かった。現実の陽子は私を見ない。何の感情も宿らない瞳を見た瞬間、胸を刺すような悲しみが広がった。
「……どうして……私を選んでくれなかったの……!」
しかし悲しみは一瞬にして怒りに変わり、激情に任せて陽子の肩を乱暴につかんだ。
「どうして!」
陽子の首元に縋りついて慟哭する私の鼻先に、一際甘い花の匂いがまとわりつく。
柔らかな陽子の首元に私の唇が触れたその時。頭が真っ白になり、一つの感情が湧き出た。
「だったら私が、全部食べちゃえばいいんだ」
胸の辺りにざわざわと何かが生えてくる感覚を味わいながら、私は陽子の肌に唇を当てた。そして、ごちそうを食べる時みたいな期待を胸に抱いて、歯を立てた。
ギャアッ、と陽子の口から叫び声が聞こえたような気がした。けれどそれより私は、口の中に広がる陽子の味がどんな食べ物よりも美味しくて仕方なくて、ただただ身体を貪ることしか頭になかった。
食べ終えてふと胸元を見る。すると、植物らしき葉と蔓が生え、身体とベッドに絡みついている事に気が付いた。だけど私は突然生えた蔓なんかどうでもよくて、シーツの上に散らばる陽子だったものの欠片が気になって仕方なかった。
「……食べちゃった」
ぽつりと言葉を漏らすと同時に、涙があふれ出た。
美味しかった。食べてしまえば一緒になれると思った。美味しかったのに、なんで満たされないんだろう?
「美味しかったでしょ?」
突然、声をかけられた。幼い女の子の声だ。振り向くと、そこには青色のロリータファッションに青い髪の、幼い女の子が立っていた。愛らしい美少女。なのに、彼女が浮かべている薄い笑みだけが大人びていて、アンバランスだ。
「大好きだから一緒にいたいよね。自分だけ見ててほしいよね。男ってだけであの子と付き合ってるなんてずるいよね。
共感を込めた言葉に、私は今までにない幸福感と、仲間がいたのだという安心感を覚えた。
ふふ、と青子と名乗った女の子が笑うと、肩までの髪と、服についたたくさんのリボンが揺れた。
「大好きなひとを食べちゃうなんて。きっと夢花は綺麗に咲くわ。もう小さい花は咲いちゃってるみたいだけど……一番大きな花は、貴方の胸に」
青子の言葉に、私は自分の胸元を見やる。蔓の中に、青色の花の蕾を見つけた。ベッドに散らされていたのは、この花だったんだ。
「夢花の種を撃ち込んだのは青子なの。ひとの歪んだ欲望は、夢花を綺麗に咲かせるから。貴方の夢、本当に素敵だったわ。だから――」
近づいてきた青子は 手をピストルのような形にして、私の胸に指先を当てる。そして小声で「ばーん」と、拳銃を撃つ声真似をした。
「だから貴方の夢を、青子にちょうだい?」
青子の声と共に、胸の蕾が開花する。花は私の顔よりも巨大になり、ついには中からひとの頭のようなものがぬるりと現れた。現れたのは、長い髪の妖艶な女。裸体の斑模様と、邪悪に微笑む口元からは赤い舌が見える。女が花から抜け出ると、私の身体からは一気に全身の力が抜け、その場に倒れ込んだ。不思議な事に恐怖や焦りは生まれず、ただただ理由の分からない虚無感だけが私の中に残っていた。
「
朦朧とする意識の中で、青子の言葉が聞こえる。食べられるんだ、最期なんだと自然に思えた。
ああ、私、陽子に嘘つきっぱなしで死ぬんだなあ。私は貴方の友達なんかじゃなくて、恋人になりたかったんだよ。
愛してるって、言って欲しかったんだ。
青子は、夢の主――日比奈が居なくなった夢の中で佇んでいた。花から生まれた女――陰獣は青子が触れると、光に包まれ青い花に変化する。
「この夢、とっても青子好みだったなあ」
青子の正体は、人間の夢を悪夢に変え、陰獣という化け物で夢を奪う夢魔だ。
「そっか、青子も大好きな
彼女の脳裏に浮かぶのは、最愛の相手であり同時に夢魔最大の天敵である凛々しい
「黒姫も食べたら、美味しいのかな。青子、楽しみだなっ」
青子の独白は、何もない夢の世界に響き渡り……誰の耳にも届く事は無かった。
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同人誌即売会「第五回 Text-Revolutions」公式アンソロジー お題「嘘」投稿作品
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