夢守人黒姫 Love in a mist
服部匠
夢守人黒姫 Love in a mist
プロローグ
――夢はまぼろし 愛は暴力。
だから青子は、貴方に愛を囁き続けるの。
***
「貴方の夢に、お邪魔させてもらう」
呪文を唱え、少女は
はらり、と少女の目の前に、青い花びらが舞う。
視界一面に広がるのは、咲き誇る無数の――青い花。何も知らない者が見たのなら、たちまち見惚れるだろう美しい花畑。しかし、彼女はそんな花々を、鋭い眼光で睨み付ける。
少女は何か探しているのか、辺りを見渡す。そして、ともすれば頭の芯がぼやけるような、強烈に甘い匂いが漂う花畑の中を進み始めた。桜色の巫女服を纏う少女は、青い花畑の中では一際目立っている。
少女の所作は一見たおやかだが、地面をしっかりと踏みしめていくその姿には、勇ましさすら感じる。後ろでひとまとめにした茶色の髪が、穏やかな風と花びらの中で揺れた。
時折頬を掠める青い花びらの、ひんやりとした感触が疎ましいのか、その度に少女は手で払いのける。
暫く進んだ所で一旦立ち止まる。そして、居心地の悪さを払拭するように、軽く深呼吸をしてから、辺りを再度見渡す。
少女が右手に持つ桜の枝を軽く振った。するとその枝は、桜色の淡い光を放ちながら、桜の蒔絵が施された、美しい短刀に変化した。
短刀を手にした少女は、再び歩き出す。少し進んだ先に、病衣姿の子供が、仰向けになって寝ているのが見える。近づくと子供の顔は、青白く、苦悶の表情を浮かべていた。この子供が、夢を見ている本人……
少女は、性急な様子で片膝を付けてしゃがむと、夢主の胸元を見やった。
――病衣の胸元を破る、緑色の茎。その先に付いているのは、はちきれんばかりに膨らんだ、花の
胸元には、小さな蕾のついた花が一輪、生えていたのだった。
しかし少女は、植物が人間に生えている事に驚く様子は無く、逆に、ほんの少しではあるが、安堵したような顔になった。
「開花は――まだか。しかし、病苦の夢に付け入るとは……」
年は十歳にも満たないだろう、まだ幼い子供だ。病衣に包まれた身体の細さと、こけた頬、そして、腕に刺した点滴の管。
夢主の痛ましい姿に、少女が憐憫の表情を浮かべたその時だった。
「ううっ……」
突然、夢主がうめき声を上げた。はっとして少女が胸元を見ると、蕾がざわざわと動くのが見えた。次の瞬間、茎が急速に成長し始めた。更に、生えてきた
そして最初こそ小さかった蕾は膨らみ――夢主の顔よりも大きくなった。
「しまった、開花が!」
少女は鞘から短刀を抜き放つ。しかしそれと同時に、青い花の中から、ぬるりと何かが姿を現した。
蕾が開くその様子は、まるで出産のようであった。長い髪の頭、
「
ホホホ、と甲高い笑い声と共に、寄生していた夢主からずぼりと離れる。怪物―陰獣の花から下は、無数の根が、カサカサと音を立てて、まるで足のように
少女はひらりと軽い足取りで後ろへ飛び退き、陰獣と距離を取る。陰獣の姿を観察し、様子を伺おうとしているのだろう、冷静に、吐息一つ漏らさぬよう、注意を払う。
陰獣は、少女と目を合わせた瞬間、根の足を操り少女へと迫ってきた。陰獣が腕をしならせると、その手先は無数の管状のものに変化し、少女を狙って鋭く伸びる。その先端には鋭い針が見え、その姿はまるで点滴のようだ。
「……っ!」
少女は、俊敏な動きで短刀を目の前で
針先を切り取られた陰獣は、驚きからか動きを止めた。その顔から笑みが消え、代わって鋭い眼差しを少女に向ける。そして、金切り声を上げながらその場で上半身をよじらせると、短刀が切断したはずの断面から、針を再生させた。
世にも恐ろしい光景だった。しかし、短刀を構えたまま静観する少女の顔には、
一瞬の沈黙が流れた後――陰獣は再度少女を睨みつけ、再び無数の管を繰り出した。良く見れば管の本数は先ほどよりも、増えている。
それでも、少女に動揺は見えなかった。それどころか、襲い来る管と針を切捨てながら、軽い身のこなしで陰獣への距離を詰めていく。
「オモイバナ!」
少女が短刀を握らない左手を、手のひらを上に向けて開いた。すると手のひらの上に、桜の花びらが降り積もるように、徐々に小さな桜色の光が積み重なっていく。少女は左腕を振って、オモイバナと呼んだその光を陰獣に投げつける。オモイバナは鎖のように、陰獣の身体に絡みつき、動きを止めた。
「私に応えろ」
少女の呼び声に、短刀の刃が桜色の光を帯びる。動きを封じられた陰獣は、狂ったような叫び声を上げながら、もがき苦しんでいる。少女は素早く短刀を顔の目の前に構えると、振り下ろした。
「
その速さ、まさに
迫った刀の刃先は、
同時に、周囲に広がっていた青い花畑も消滅し、むせるような匂いも消え失せる。真っ白になった夢の世界の中、少女は短刀を顔面に寄せ、ふっと息を吹きかける。するとその刃から、白く柔らかな光に包まれた一片の花びらが現れる。光の中には、満面の笑みで花畑を駆け抜ける夢主の姿があった。
花びらは夢主の胸へ、溶けるように吸い込まれていく。夢主の苦悶に満ちていた顔が、徐々に穏やかな表情に変化した。
「これでもう、貴方が悪夢に
下ろした短刀が桜色の光に包まれ、桜の枝に戻っていく。
暫く夢主を眺めていた少女は、ふと顔を上げる。まるで、遠くから聞こえた音に、反応したかのように。
少女は眉をひそめ、枝を強く握り締める。
「――それでは、今度こそ良き夢を、貴方に」
少女はそう囁き、背を向けて夢から去っていった。
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