第三章:オレの体に色々異変が起きました

「とりあえず校長室に来い」

「アイタタタタ」

 衝撃的な虹色に髪が染まった後頭部を、安田先生にガッシリと掴まれる形で、オレは職員室に連れて行かれた。

「すみません」

 安田先生の半ば乱暴な先導でオレは強制的に校長室へ足を踏み入れることになった。


「うわっ、その髪は何てことだ」

「彼が染めている髪が余りにもド派手なもので」

 安田先生が呆れたように校長に告げる。

「どうしてそんなことになったのかね?」

「いや、よく分かりません」

「分かりませんはないだろう。カエルの解剖の仕方とは違うんだ」


「すみません、さらっと私をイジってますか?」

 安田先生が思わず校長先生に疑いの目を向けている。でも、オレには笑えない。まず髪の謎で引っかかっていてそこまで頭が回らない。


「あと、髪を染めることなら、他にも色んな人がやってますけど」

「金髪、銀髪、茶髪といったものはまあ良しとしているがな、だが髪の色は一色のみが基本だ。もしくは黒も含めて二色。お前のは何色あるんだ?」

「ええ、何色って言われましても……」


「私の机の前に来て、頭を差し出しなさい」

 オレは言われるがままに、校長先生の目前に頭を出した。

「い~ち」

 と言いながら校長先生が黙々とオレの頭を露骨に指で突きながら色を数え始めた。

「に~、さ~ん、し~、ご~、ろ~く、な~な。安田先生が行ったある日のネズミの解剖で卒倒した生徒の数と一緒だ」


「そうでした、内訳は男が一、女が六、って、何を引き合いに出してるんですか」

 安田先生が淡々のノリツッコミをこなしている。でもオレはそんなものに構っている暇はない。


「とにかく、健全な髪の色に染め直しなさい。それまで出席を認めないものとする」

「えっ、停学ですか!?」

 オレは稲妻に打たれたような思いに駆られた。我ながら人並みには真面目に学校生活を送って来たはずのオレが、まさか停学に至るって、どういうことだ。

「まあ、染め直して来れば今日一日限りで済む話だけどな」


「ほら、帰った帰った。お前はここから家が近いから徒歩だろうが、せいぜい事故には気をつけろ。生徒の解剖まではNGだしな」

「頼んでません」

「オレだってそんな髪頼んでねえよ。校則では虹色の髪、それが見えたら終わりなんだよ」

「腹いせに子供を殺したりしないことを祈るよ」


「虹色の髪が見えたら終わりだもんな」

 校長先生と安田先生によるディスの連携プレーである。さらっとパワハラだよね、これ。て言うかオレが虹色の髪のせいでピエロに見えるからってそこまで言うことないだろ。

「子供どころか、虫一匹殺せやできませんよ」

 精一杯にそう返して、オレはチャイムの中、校長室を後にした。


 オレはその足ですぐさま、町の一角にある小さな美容室で、髪の毛を黒に染め直してもらった。なけなしの有り金の半分ぐらい持ってかれたけど、状況が状況だけに仕方ない。店のショーウインドウに映る、元のありのままの自分を確かめ、オレは安堵した。その時、オレのブレザーのポケットに入れていたスマホに着信がかかる。着信元の名前として、美緒の名前がハッキリと書かれていた。


「もしもし」

「翔太? 椿がアンタと連絡先交換したいって言うから、待っていたんだけど」

「そうだったんだ、ごめん」

「で、アンタ、髪の毛、虹色に染めて帰されたって? 担任の菅野先生が言っていたけど」

「悪い。美容室でもう黒に染めてもらったよ」


「先生にバレる前に、まず親にバレない?」

「母は最近夜勤続きで、今日の朝もいない。それに昨日の夜風呂に入った時、洗面所の鏡を見たら、その時はまだ黒いままだった。寝ている間に変わっちゃったんだろうな」

「寝ている間に変わった?」

「やっぱり虹虫に刺されたせいかな? 一日目刺されるとモテモテになるけど、二日目以降はヤバイことになるって奴じゃない? ほら、副作用的な。髪の毛の変色がそうだよ」

「昨日、帰った後に、神奈川昆虫リサーチセンターっていう虫の研究所のホームページに、例の虫の写真を添付して問い合わせたけど、まだ返事は来てないんだよね」


「神奈川昆虫リサーチセンター?」

「そこは神奈川県内の昆虫研究の権威で、新種の虫にも精通しているらしいから、そこに聞けば、あの虫の謎も分かるところだと思ってるんだけどね」

「そうか。珍しい虫だからやっぱり調べるのに時間かかってるんじゃないか?」

「それにしても、レインボーヘアーのアンタ、ちょっと見たかったな」

 美緒が軽く残念そうな声色で言ってきた。


「しょうがないだろ、校則違反なんだし。とりあえず今日一日停学で、大人しくしてなきゃいけないんだ」

「あっ、そう。じゃあ、明日、待ってるから」

「分かったよ」

 電話を切ったオレは、ため息をついた。

「さあ、気が進まないが家に帰るか」



 翌日、オレは昨日の理不尽な帰還命令によりなめた辛酸を少しばかり引きずりつつも、一歩一歩確実な足取りで学校に向かっていた。しかし、前を歩いていた女子が一瞬だけ後ろを振り返った途端、驚いた様子で二度見し、道の脇に逸れて立ち止まった。オレも何事かと思い、立ち止まった彼女を見返すしながら通り過ぎていった。おかしい。昨日、虹色に染まった髪の毛はちゃんと直したはずだ。もしかしたら髪の毛の黒い色素が取れて、虹色が蘇っている? いや、しっかり地毛に戻したんだ。その記憶に揺らぎはない。そんな簡単に虹色に戻るわけがない。オレはそう決め込んだまま、学校まで進んで行った。


「おはようございます」

「おは……ちょっと待て!」

 警備員に早速呼び止められた。オレにはサッパリその理由が分からない。急停止したオレに、警備員が早足で寄ってくる。


「その頭から生えているものは何だ?」

「えっ?」

「その頭から生えている変なものだよ」

「髪の毛ですけど? あの、昨日虹色の髪の毛で行って怒られて、帰されちゃったから、黒く染め直したばかりなんですよ」

「確かに髪の毛は真っ黒だ」

 警備員もさも当然のように言った。


「だが、頭から二本、変なのがビヨーンと生えているよ」

 変なものが二本ビヨーンと? これもまた初耳だ。

「そうだ、こちらに来なさい」

 オレは警備員に入口付近の管理棟のもとへ案内された。

「ここを見てごらん」


 オレは警備員に促されるままにガラスの窓を見つめた。そこにかすかに映るオレの頭からは、確かに二本、これまた虹色の変なものが生えている。オレは昨日に続き、声を失った。

「何で、何でこんなものがあるの?」

「それはこっちが聞きたいよ。何か変なもの食べた?」

「いや、食べてないですよ。むしろ昨日の夜はどん兵衛で、今日の朝はベーコンエッグトーストぐらいです」


「とりあえず、保健の先生に見てもらった方がいいな。君、クラスは?」

「一年B組です」

「じゃあそこの担任の菅野先生には、君が遅刻するかもしれないと私から伝えておくから、早く保健室に行きなさい」



「あいたたたたっ!」

 ベッドに座ったオレの触覚の一本を、保健の那須川先生が引っ張っていた。

「嘘、どうしても抜けないなんて」

 思った以上にオレの頭に根付いた触覚に、先生も面食らった様子だった。て言うか、これ、本当に触覚なの? オレ、マジで虫になっちゃったの? だとしたら、髪の毛が虹色に変わる以上にある意味ヤバイぞ。オレ、どうすりゃいいの?


「とりあえず、切っておきますか」

「えっ、切るんですか!?」

 先生からのさりげないながらエグい提案に、オレはベッドに座ったまま思わずのけぞった。


「何、昨日までついていたものじゃないんでしょ?」

 那須川先生は優しく諭しながら、机の引き出しよりハサミを取り出した。

「いや、そうですけど」

「じゃあ、何のことはないわよね?」

「わ、分かりました」


 オレは素直に頭を差し出すことにした。二本の虹色の触覚の根元近くに、ハサミが入れられる。根元の残った部分は、先生が髪の毛を整えることで隠してくれた。忌まわしい触覚は、室内のゴミ箱に放り込まれる他なかった。


「頭から触覚生えた以外、体に異常はないわよね?」

「一応、大丈夫です」

「それじゃあ、教室に行ってもいいわよ」

「分かりました」


 昼休みに購買部で買った明太子にありつこうとしたが、周囲のどこか不自然ながらも華やかな気配がオレを落ち着かせてくれない。それもそのはず、オレの周囲にはクラスのほぼ全員の女子たちが、それぞれの昼食を机に置く形でオレをU字状に囲っていたのだ。しかし、オレが椿と仲良くなったことに配慮してか、各々、オレから人一人通れる分の距離は確保していた。それでもオレは女子たちにより、昼食ついでの観賞する相手となっている。おかげでオレの心は、やっぱり上機嫌に弾んでいる。


ポケット中に入れていたマナーモード中のスマホから牧歌的な着信音が鳴った。美緒からLINEが届いていることが分かった。

「今日はちゃんと学校に来れて良かったね」

 オレは「心配してくれたんだ」と打ち返す。しかし、同じクラスなのに、何でわざわざLINEなんだと思って周囲を見渡したが、他の女子たちが作り出したアルティメット級にハーレムな状況のおかげで、彼女の姿は見えない。


「幸せそうね、女子たちに囲まれて。それでいいのかどうかは別として」

 余計な一言を足しながら美緒はオレの薔薇満開なシチュエーションを祝福した。オレは気を良くして、「お前はここに加わらないの? クラスメート同士が同じ教室でLINEって言うのもどうかと思うんだが」と送信し、改めておにぎりをかじる。


「勘違いしないで。私にとってアンタはあくまでも知人男性の一人でしかない」

「アンタの隣にいたら付き合っていると勘違いされかねないでしょ。だからこの距離からLINEを打っていること、ちゃんと覚えなよ」

 くどくどと冷めたことを云う美緒に、オレは目を閉じながらため息をついた。

「そうだよね」


その時、オレの机にもう一つの机が密着させられる音が響いた。周囲が一斉に「おお」とざわめき立つ。何事かと顔を上げると、椿がオレの目の前で、一つ前のイスを正面に向けるところであった。椿はさらに一つ前の空席に一時的に置いていた弁当袋をくっつけた机の上に置くと、笑いかけながらそこに座った。


「一緒に食べない?」

 オレは一瞬、何のことか分からずキョトンとしながらも、椿がオレと二人きりを望んでいることを理解した。

「い、いいよ」

「良かった」

 椿は丸めた両手を合わせて安堵を示すと、早速ナプキンを広げ、桃色の小さめな弁当箱を取り出し、中を開けた。


「いただきます」

「いただきます、オレはもう食べ始めちゃってるけど」

 オレの余計な一言を椿は屈託なく笑ってくれた。オレもそこに気分を良くして、またおにぎりを一かじりした。

「それ、明太子なんだ」


「好きだからね。て言うか母さんが福岡県出身なんだけど」

「私のはたらこ」

 椿は得意気に箸でたらこを軽く掲げて見せると、一口で食べた。しっかり噛みほぐして呑み込むと、「う~ん、おいしい」と呟く。


 そのとき、再びLINEからの反応が出る。

「教室デート始まったね」

 後ろを振り向くと、スマホに指を添えながら美緒が確信犯的に唇をせり上げていた。

「あ~んしてもらいなよ」

 オレを嘲笑うような美緒のLINE攻勢が続く。


「何でだよ」

「交際してんだから」

「別に椿はそこまで言ってないだろ」

「あれ、食べないの?」

 ついついLINEに夢中になっていたことを言葉の裏で諭された気がした。

「アハハ、ちゃんと食べるよ、あと一言だけ打たせて」

 オレは椿にそう断ると、「後で話そう。それまではここで応答しない」と美緒に送信した。


「お待たせ」

「あ~ん」

 椿が奇襲のような形でオレの口にエビフライを挿入した。オレは大胆なまでの椿の勢いに押されるがまま、エビフライをかじり取ってしまった。

「どう、美味しい?」

「うん、旨い」


 その時、また着信音が鳴るが、宣言通り無視して、スマホをポケットの中にしまった。この後も昼休み中、頻繁に着信音が鳴ったが、椿との時間に集中してそっちには答えなかった。

「とりあえず、気にしないで、この後もピコンピコン鳴るとは思うけど」

 オレはそれだけ告げて、おにぎりをかじる。

「朝早く起きて、弁当を手作りしたのよ」

「すげえ、料理得意なんだ」

「因みに一番の得意料理は、カレーライスなの」

「そう、じゃあ今度食べてみようかな。君のカレー」

「私のカレー」


 椿がはにかみながらオレを指差した。こっちは思わず目が点になる。

「なんちゃって」

 舌を出しておどけて見せる。その瞬間、理屈抜きに可愛いと思った。


「ねえ、何か頭から生えてきてるんだけど?」

「何それ、キモ~イ」

「もしかして、翔太くん、虫になっちゃった?」

 周囲の女子たちの物騒な声に、オレは思わず周囲を見渡した。その時、オレのスマホから何度目かの着信音が鳴った。


「頭から生えてるの何?」

 LINEには美緒からのメッセージでそう書かれていた。オレは念のため椿にも問いかけることにした。

「オレの頭に、何か生えてる?」


 椿が無言で頷く。オレは両手を頭の上にかざした。それぞれの手に一本ずつ、何かが触れた。間違いない。保健の先生に切ってもらった触覚がまた生えた。

「ごめん、オレ、また保健室行ってくる」

 オレはもう一個の明太子おにぎりをスマホとは違う方のポケットに入れ、早足で教室を後にした。



「頭の触覚、また切ってもらったの?」

「ああ」

 放課後、校舎出口の階段から少し横にずれた所で、オレはLINEの履歴を調べながら椿の問いに答えた。LINEには美緒から大量のメッセージが溜まっていた。


「単細胞な女子たちで見えないけど、あ~んされたの?」

「ねえ、あ~んされたかどうかぐらいには答えてよ」

「アンタぐらい、今幸せな高一の男子っていないと思うわ。だって、クラス中の女子に囲まれながら彼女と時間を共にしてんだもの」


「ライトノベルじゃハーレム状態はせいぜい一対三か四が良いところなのにね」

「で、椿にあ~んされたの?」

「何をあ~んされたの?」

「私から答えてあげようか、タコさんウインナー、それも真っ赤っかの奴」

 などなど。本当に辟易してしまう。


「それ、誰から?」

 椿が素朴な表情でこちらを覗き込む。

「美緒からだよ」

「私、思うんだけど」

 椿がどこか申し訳なさげに切り出した。


「食事中のLINEはやっぱりよくないと思う。あなたから美緒に注意してあげたら? そんなお行儀の悪さでは、虫にも嫌われるって」

「何か言った?」

 出口から美緒が冷徹な視線をこちらに向けていた。出口には三段の階段が設けられており、そこの一番上から見下ろす美緒は、異世界の小悪党かと思うぐらいのオーラを放っていた。そんな彼女が、堂々と階段を降りて、オレたちに並び立つ。


「そこのお嬢様、LINEのいいところ教えてあげる。いつでもどこからでも、誰とでも、スマホ一つで会話同然にメッセージをかわしあえること」

 美緒の堂々過ぎるとも言える語りに、椿は圧を感じたが、オレの体の右部分に背中を少し押しつけるように後ずさりした。


「て言うかそこで成り立っているのは会話そのもの。人類の多くは、ご飯を食べながら楽しくお喋りしてコミュニケーションしたいもの。LINEを使っている以上、それでコミュニケーションしたいのは食事中もそう。私はそうした人間の本能を満たしているだけ。LINEを使うことがマナー違反なら、あなたは人間による食事中のコミュニケーションを禁じていることになる」


 椿がさらにのけぞった結果、自らの背中をオレの体に押しつける形になる。彼女の人肌の温度はどこか優しく感じるけど、美緒のシリアスな魔女っぽいオーラがそれをまともに味あわせてくれない。


「口での会話は良くて、LINEでの会話がダメなんてありえない。LINEも世界的に認められたコミュニケーションの一種。アンタが翔太の口に真っ赤っかのタコさんウインナーをあ~んするのと一緒よ」

「あ~んしたのは、エビフライ」


 椿が勇気を振り絞って真実を告げた。その時、美緒はハッとした。気がつけば、彼女から不条理な魔女っぽいオーラが消えていた。

「悔しい~!」

 突然、ひざをついて俯く美緒に、オレたちは思わず拍子抜けした。

「真っ赤っかのタコさんウインナーじゃなかったのか。エビフライか。タコとエビ、海産物までは近づけていたのに!」


「タコさんウインナーって、あくまでも形がタコっぽいだけだぞ。本当にタコをあ~んされたわけじゃないからな」

「ちょっと待って」

 美緒が何かを思い出したように立ち上がる。そして、ニヤリとしながら、オレたちに歩み寄る。


「て言うか、あ~んしたんだ」

「し、しましたけど」

 椿が再び表情に畏怖を伺わせた。

「何で美緒が嬉しそうにしてるんだ? お前にとって、オレは知人男性の一人じゃなかったのかよ?」

「確かに知人。でもアンタは例え私の知人じゃないにしてもエピソードのインパクト大。なんと言っても学年のセンター女子が彼女となった。そこには興味を示さないわけにはいかないでしょ」


「じゃあ、何でお前はオレを囲む女子の輪に加わらないんだ?」

「あの子たちは何も考えないでアンタに近づいているだけ。そこに加わったら私までバカに見えるじゃない。私はアンタの知人という一歩踏み込んだポジションにいて、使える特権は使おうってわけ。しっかり目的意識持って行動している。彼女たちとは違うのよ」


「何か、筋が通っていると言った方がいいのか、破綻していると言った方がいいのか……」

 オレは美緒の言い分に対するリアクションに困った。

「あっ、もしかして体触れ合ってる?」

 美緒の指摘で、オレたちは、オレの体の右部分と椿の背中が引っ付いていることを思い出した。振り向いた椿が愛嬌たっぷりに笑って見せる。

「ほお、やっぱりアツアツじゃん」

 美緒がクールに言い放った。


「こ、これでも一緒にいたいだけなの」

「それを『交際』って言うんでしょ。アンタたち、もはや一緒に着陸した蝶々みたいに仲睦まじいわよ」

「まあ、あなたの目からはそう見えるかもしれないけど」

「はい、交際決定。人に付き合っているように見せるってことは、やっぱりあなたたちは『彼氏』と『彼女』ってことね」

 美緒はまたもオレたちを堂々と指差して断言した。椿はそんな美緒を前にして、どこか狼狽えている様子だった。


「で、明日土曜日だけど、どうするの?」

「何で美緒がそれを聞くの?」

「いや、ちょっと聞いてみただけ」

 美緒が斜め上を見ながらとぼけた。

「そうだ、明日どこか行かない?」


 交際決定と告げられて開き直ったか、椿が堂々とオレの腕を掴みながら問いかけてきた。

「えっ、どこへ行くかって? いきなり言われても決めづらいな……」

「観覧車のある所がいいな。例えば、この市内にはキャンバスワールドがあったわね」

 キャンバスワールド、『色とりどりの楽しみ』をコンセプトとしたテーマパークで、目玉である巨大観覧車は、夜には全体が虹色のイルミネーションに煌く。


「そこでいいの?」

「一度でいいから、同じ高校の人と行ってみたいなと思ってたの」

「じゃあ、オレ、明日君とそこへ行っていいか、家族に話してみるムシ」

「ムシ?」

 椿が急に戸惑いの表情を見せた。

「あれ、オレ、何かおかしなこと喋ってたムシ?」

 椿が無言で頷く。


「オレ、何か、変ムシ?」

 美緒も無言で頷く。確かにオレ、いつから語尾に「ムシ」とつけるようなった? て言うか、オレ、こんなキャラになる気あったか?

「もしかして、翔太、本当に虫になっちゃうの?」

 椿が悲壮感を帯びた顔でオレを心配した。オレは椿の一言に、ちょっとした悪寒がした。

「ま、まさかムシ。オレは人間だムシ」

「『人間だムシ』って、人間の喋る言葉とは思えないわよ。やっぱりおかしいわ」


「な、何でこうなっちゃたんだムシ!」

 オレは思わず口元を押さえた。

「ごめん、今日はちょっと帰るムシ」

 オレは申し訳なく歩き出した。数歩進んだところで、椿の方へ振り向いた。

「明日大丈夫なら、一緒にキャンバスワールドへ行こうムシ」

「う、うん。赤家駅で、朝十一時に待ち合わせしよう」

 椿はどこか引きつった顔で頷いた。オレは逃げ出すようにその場を去った。



 朝十時五十五分に駅前に到着したオレを見て、周囲の所々にいる大人たちは目が点になっていた。

「はいはい、見世物じゃないですからね。すみませんね~」

 美緒が冷めた声でオレに近づこうとする同年代ぐらいの女子たちに大袈裟なまでに腕を振って牽制していた。


「あのさ、何で美緒がいるムシ?」

「何て言うか、昨日あなたが帰った後に、一緒に行かせて欲しいって。キャンバスワールドにも、虫が棲み付く隠れスポットがあるっていうのが理由らしいんだけど」

「そうかムシ」

 オレはやれやれと言う感じで美緒の後姿を一瞥した。


「ところで、相変わらず頭から触覚生えてるけど、大丈夫?」

「昨日、母に病院に連れられたムシ。頭から触覚生えてるから医者や看護師にドン引きされたムシ。隈なく全身MRI撮られもしたけど異常なかったムシ、ただの中二病と言われたムシ、って何でこんなに『ムシ』がもれなくオレの語尾としてついて来るムシ!?」


 オレは口を押さえて、望まれない語尾を憎んだ。

「ふう、何とか追い払った。切符買いに行こう」

 戻ってきた美緒の一声により、三人で券売機へと向かう。しかし、いざ着いた途端、オレと機械の間をハエがうざったく彷徨っていた。だからオレはすかさず、ソイツを両手でバチンと挟み込んだ。左の掌に潰れたハエがしっかり引っ付いている。


「ちょっと待って、今の何?」

 財布を持った美緒が問いかけてきたので、オレは何を言わず、掌を見せた。その瞬間、美緒はうつむきながら、財布をゆっくりとポケットにしまった。


「翔太、歯を食いしばってくれる?」

 オレは意味も分からないままに美緒の一段と深刻さの増した声に従った。次の瞬間、美緒はオレの襟首をむんずと掴み、券売機前に据えられた台に詰めると、怒髪天を突くような勢いで逆水平チョップを乱射した。


「てめえ、ハエをいとも簡単に潰してんじゃねええええええええええ!」

「ど、どうしてムシイイイイイイイイイイ!?」

 プロレスラー顔負けの速射砲に、オレは崩れ落ち、息苦しさの余りひたすらムセた。

「決まってんだろ! ハエにだって尊い命があるんだよ! ハエも含めて、どんな虫にも、人と同じ命を持って、虫なりに一生懸命力強く生きてんだ! だから私は虫を愛してんだ! てめえ、そのナリでよく虫の生命たるものを冒涜できるな! ふざけんじゃねええええええええええ!」


 美緒に強引に引き起こされ、再び速射砲チョップの餌食になるオレであった。

「すみませんムシイイイイイイイイイイ!」


 重なり過ぎた痛みの余りに熱くなった胸板を押さえながら、オレはその場に四つん這いで倒れ込んだ。すると、美緒はそんなオレの背中を堂々と踏み潰してきた。

「いいか、今度ハエに遭遇しても、二度と掌でバンと潰すな! あとゴキブリは掃除機で吸うんじゃねえぞ、バチ当たるからな!」


「わ、分かりましたムシ……」

「美緒、キャラ変わり過ぎ」

 椿の畏怖の念がこもった声が聞こえる。

「これはキャラ関係ねえ。虫を愛する者のプライドだ」


 美緒はそこまで言い切ると、やっとオレから足を退けることで自由の身にした。

「翔太、大丈夫?」

 椿がオレの横に寄り添った。オレは美緒の猛攻のダメージの余り、またムセた。


「落ち付こう。深呼吸してごらん」

 オレは椿の言われるがままに、大きく息を吸い込み、吐いた。

「キャアアアアアアッ!」

 その瞬間、近くにいた先ほどの女子たちが、悲鳴を上げて逃げ去った。他の周りの人たちも、それぞれゾッとした顔でこちらを見ている。目の前を見ると、白い糸クズが散らばっていた。その糸クズは、オレの口元へと繋がっていた。


「あの、糸、吐いた?」

 椿さえも唖然とした様子でこちらを見ている。いや、それ以上に一番衝撃を受けているのは、オレだった。虹色の髪の毛、頭から生えた触覚、不自然極まりない語尾さえも食うような奇怪な現象に、オレは絶叫した。

「嘘おおおおおおおおおおおおおおお……ムシ!?」

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