虹色の虫に刺されたら

STキャナル

第一章:非モテ男子が虹虫に刺されたら……

「好きです、付き合ってください!」

 オレは魂を込めた言葉で、同じクラスの丸田くるみに両手を差し伸べた。

「ごめんなさい」

 それを聞いた瞬間、オレは絶望の余り、体育館裏の草まじり砂地に崩れ落ちた。

「じゃあ、これまで付き合ってきた一週間は?」

 くるみを見上げながら、オレは問いかける。


「う~ん……」

 くるみは見た目上は朗らかな笑みを浮かべながら、数秒間首を傾げた。

「確かに一週間、共にいたけど、あなたと一緒にいると、何て言うか……つまらない」

「そんな……」

 穏やかな声色とは裏腹に、冷徹な五文字が放たれた。


「何て言うか、個性が感じられないわよね。そんじょそこらの普通の草食系男子。家にもお邪魔させてもらったけど、勉強机の小棚に並んでるの、ほとんどライトノベルよね? それもエロ系ラブコメ」

「ま、まあ、何て言うか、憧れちゃうんだよね、あんな感じで女の子とイチャイチャ出来たらと思うと」

「それ、普通にキモイから」

 くるみは微笑みを崩さぬまま、強烈なディスを決めて来た。


「と言うわけで、あなたとの関係はこれにて完全終了。さようなら」

 くるみはリボンの下から流れるような長い髪をたなびかせながら、去って行こうとした。

「あの、これからも君がバイトしているセレクトショップに……」

「次来たら殺すから」


 凶悪な一言にオレの背筋が凍った。くるみは振り向きもせずに、オレの前から消えて行った。彼女が去ったことで、オレは現実に立ち返り、強張った全身をリラックスさせ、息を整えた。オレはカバンから「彼女候補リスト」を取り出した。学校でもらったプリントの裏面に、これまで告白に失敗した女の子の名前に「×」を上書きしたものがラインナップされていた。学校でもらったプリントの裏を五枚重ねてホッチキスで左上を止めてある。オレはそれを体育館の外壁に添える。


「これで、五百人目か……」

 ブレザーの胸ポケットから取り出したシャーペンで、丸田くるみの名前に×をつける。ブツブツしたコンクリートの上だから×の形もちょっと歪になる。オレはプリントをポケットに戻してため息をついた。


「また逃げられた?」

 やれやれと言わんばかりの女子の声に振り向かされた。彼女は、腕を組んで、学校の外側を隔てる壁に寄りかかっていた。

「美緒?」

「何て言うか、アンタがフラれるのってもはや日本の伝統みたいね」

「それは言い過ぎだろ。そう言えば、オレが告白失敗した後にお前が来るのも、毎回じゃないけどよくあるよな」


 美緒はこちらに歩み寄るなり、わざとらしくため息をついた。

「もういい加減、認めたら? 自分は世界一モテない男だって」

「そうはいかないよ。このオレにだって、人間として、男として生きている以上、きっと女の子と付き合えるはずだ。それを証明するために、挑戦し続けてるんだ」


「あっ、そう。で、五百一人目はどうするの?」

 美緒の口から唐突に出た数字に、オレは一瞬ギクッとした。

「何で知ってるの?」

「アンタが『これで五百人目』と嘆いていたの、曲がり角で聞いたのよ」

「やっぱり聞かれてたのか」


 オレは改めて、自分が直面している残酷で、一筋の光も見えない現実に肩を落とした。

「正直、その数字、異常すぎてドン引き。いや、ドン引きの域さえも超えて、もはやリアクションする気にもならないわ」

「でも、そうやって何度も当たっては砕けて、砕けた欠片を取り繕ってはまた次の女子に挑むアンタの姿勢、何か感じるわね」

「じゃあ、オレと付き合ってくれるのか?」

「無理」

 即答である。オレは再びうなだれた。


「五百一人目に私を記録するのもナシよ。最初からアンタに彼女候補と思わせるつもりも一切ないからね。私にとってアンタは、永久的に知人男性の一人でしかない。それ以上でもそれ以下でもないってことよ」


「でも、オレが何人もの女の子に告白しているのを見て、何かを感じたって言ったよね? オレに何を感じたんだよ?」

 答えをせがむオレに対し、美緒はアゴを軽くつまみながら、斜め上を眺めて考えた。

「哀愁」

 謎の答えにオレはリアクションに困った。


「どういうこと? もっとポジティブな意味合いじゃないの? ほら、何度告白に失敗しても諦めない『たくましさ』とか、『健気さ』とか」

「いいや、哀愁です」

 美緒は淡々と強調した。


「常識の中で考えてごらん、フラれた女の子の数が五百人にも達する人なんて、日本中、世界中、いや、宇宙の隅から隅まで探してもそうそういるもんじゃないわよ。逆に言うと、五百人にフラれるまで懲りずに挑み続ける男って、確かにアンタの言う通りたくましくも見えるけど、痛々しさが同居している。すなわち、これこそ『哀愁』という言葉がふさわしいなって思うわけ」


「いやいや、だってオレはただ、モテたいだけって言うか」

「アンタみたいな無個性な童貞なんか、最初からモテっこない。その現実を受け入れることね。まずはアンタん家にたまっている変態めいたライトノベルを『ほんだらけ』で売ることね。それじゃあもう今日は、アンタにこれ以上語ることはないからさようなら」


 美緒は早口っぽくそう言い残すと、足早に引き返して行った。体育館裏という人気のない場所に取り残されたと分かり、この状況こそ、孤独なオレを象徴しているんだと思い知らされた。彼女どころか、彼女作りに夢中になり過ぎて男子の友達さえもいない。オレは正に、学校という社会の縮図の中で、誰にも相手にされないはみ出しものになっていたのだ。


 西側へ傾き始めた夕日を左側から思いっきり浴びながら、オレは美緒の言葉通りの「哀愁」に包まれつつ帰路を辿っていた。目の前の公園の出入り口の脇に立ち並ぶ木から、いちょうやら、名もなき枯葉が道の幅いっぱいにまで舞い散っているのを見ればなおさらか。

その公園の手前を通りかがろうとした時である。突如そこから、一匹の虫が飛び出してきた。


「うわあっ!」

 虫の異常極まりない見た目に、オレは思わず声を上げてしまった。何故ならオレの目の前を飛び回る虫は、クワガタと比肩するぐらい大きな蚊のようで、見るからに体全体が、赤から紫まで、美しくリアリティに溢れた、て言うかリアルな虹そのものの色彩に染まっていたからだ。まるでこの世の虫とは思えない、異次元の存在感を放ちながら、オレの目の前を飛び回っている。気色悪さを通り越し、奇天烈を極め切った存在感に引き込まれてしまう。


 虹色の虫はオレと真正面に向き合う形で滞空状態になった。

「何? 何なの?」

 虹色の虫はいきなりオレの鼻先へと飛び込んできた。ソイツはガチで、口元の針的なものでオレの鼻を刺した。


「イテッ、ちょっと、何すんだ、やめろ!」

 それはあたかも蜂に刺されたかのような不快感だった。オレはたまらずその蚊か蜂か分からないような謎過ぎる生物を、素手で振り払った。その虹色の虫は、警察官に現行犯の容疑で追われる犯人のように、帰り道の逆を突き進んで行った。ソイツを見届け終えると、未知の生物に刺されてしまったという事実に含まれる、漠然とした恐怖が精神を支配し始めた。


 オレは鼻先を押さえ、自分は大丈夫かと不安になった。

「オレ、大丈夫か。まあ、マダニとかヒアリじゃないから、まさか死にはしないだろうけど」


 オレは念のため、その場で深呼吸をしたり、両手両足を適当に動かしたりして、自分の体に異常がないか確かめた。体のどこかが苦しかったり、動かしにくかったりする感じは一切なかった。学校からここまでカバンを持ち続けたことで、軽く右腕が疲れてるぐらいだ。あと、鼻の刺された跡が少々疼くぐらい。

「……大丈夫か」

 オレはそう合点して、家を目指した。


「あ~、かゆいかゆいかゆい」

 その夜、オレは部屋の中で、虹虫に刺された鼻先を人差し指の爪でひたすらかきむしっていた。現実、鼻の先は掻きむしったせいで赤いが、それでも腫れ具合は、本物の蚊に刺された時よりは大分目立たない程度だった。イケないと分かっていても、このかゆみは爪で磨り潰さんとしなきゃ気が済まない。かゆみは、地味ながら人類にとって究極の天敵なのだ。


 オレは洗面所に駆け込んで、正面の鏡で自分の顔を確かめた。確かに鼻先がわずかに赤く膨れ上がっている。本当に蚊に刺されたみたいだ。でもそれ以外は何もない。しかし刺された相手は、高校一年生のオレは愚か、百歳まで生きている壮年の人でも、めぐり逢うことなど夢にも思わなかった虹色の虫、つまり虹虫である。これ以上かきむしることはよした方がいいと思い、タオルで自分の鼻を押さえた。見た目以上に重厚な布の優雅な触り心地で鼻先を癒やそうというわけだ。


「今日はもう寝よう」

 大きく息を吐いて、オレは洗面所の電気を消した。

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