第十章:虫の脅威はすぐそこまで来ていました

「アンタ、一体この学校に何やってんの?」

「学校襲ってんの。本当はどこでもいいんだけどね。でも、ここには若い男の子と女の子が一杯。そういう子たちは確実に私と年齢同じだったり近かったりするわよね? この年頃は体力やら活気やらが有り余っている。だからみんな虫化させて、私の味方にする。バグランドの労働力にするわよ。あと、運動神経すごいのは、バグスポーツの強化選手にしてもいいわね」


「バグバグうるせえんだよ」

 オレは怒りに身を任せ、カバンを床に置き、改めて殺虫剤を取り出さんとした。次の瞬間、ムシデンプレスの丸ノコのような切れ味の回し蹴りがオレの左こめかみを襲った。オレの体がふわりと宙に浮きあがり、まるでぬいぐるみのように床を転がった。


「へえ、これで私を倒そうと? 銃を持ったおまわりさんでも気取っているわけ?」

 ムシデンプレスは嫌味を垂らしながら、立ち上がるオレに歩み寄った。彼女は殺虫剤をこちらに向けている。まるでそれこそ、銃を警官から奪った犯人のような憎々しさを帯びて。

「無駄な抵抗はやめることね。童貞は童貞らしく自分の無力を嘆いていなさい」


「な、何で知ってるんだよ?」

「見たら分かるのよ。アンタみたいな男子、私の目から見ても魅力ないオーラが丸見えよ。何て言うか、両肩に貧乏神がもれなく乗っているような感じ。そんな奴、バグランドでもモテやしない。正直アンタだけは、バグランドに招こうかどうか迷っちゃうわね」


 ムシデキズに刺されるよりも痛烈な屈辱が、オレに浴びせられた。しかも、オレはムシデンプレスに告白なんてしていない。する気さえもないのに。フラれた女子リストの五百二人目として名前が載るにふさわしい、壮絶な一幕を迎えてしまった錯覚が、オレの脳を揺らした。


「一人で、そこでオネンネしてな」

 ムシデンプレスが殺虫剤をオレに突き出し、頂上のボタンに指をかざした。

 そのとき、ムシデンプレスの背中に美緒がカバンを軽くぶつけ、振り向いたところで手元にカバンをフルスイングした。その瞬間、ムシデンプレスの手から殺虫剤が吹き飛び、下駄箱に当たり、玄関の奥まで弾け飛んでいった。


「何てことを!」

 ムシデンプレスが額の角で美緒を突かんとした。そのとき、美緒がすかさずカバンを盾にする。美緒の角が、カバンに突き刺さる。美緒がカバンごと思いっきりムシデンプレスを押して、引き離す。虫の女帝が思わず倒れ込んだ隙に、美緒はカバンから殺虫剤を取り出した。


「さあ、覚悟なさい!」

 上体だけを起こした状態のムシデンプレスに、美緒が殺虫剤を放った。しかしムシデンプレスは瞬時に転がってかわす。立ち上がったところを美緒が再び殺虫剤で狙うが、美緒は前かがみになり、再び空を切る噴流の下に潜り込む。その瞬間、美緒の腹に、女帝の角がめり込んだ。美緒が苦しみに顔をしかめる。その表情から、正に本物の針で制服を貫かれ、腹を抉られるような痛みが美緒を襲っていることが窺えた。


「美緒!」

 オレも思わず立ち上がり、彼女の名を叫んだ。ムシデンプレスが美緒を放すと、彼女は床に倒れ込んだ。

「そんな、美緒に何をしたんだ」


「何、私の針には殺傷能力はないわ。ただちょっとチクッとするだけ。まるでお注射みたいな感じよ。まあ、私に刺された者は、明日急激にモテ期到来、そして翌日には……ウフッ」

 ムシデンプレスはしてやったりの笑みを浮かべながら、割れた窓を通って校舎を飛び去った。


「美緒、大丈夫か」

 オレはすかさず彼女を介抱しに行った。

「アイツ……」

「ムシデンプレスにまた刺されたんだぞ。明日になったら」

「焦ることはないわ」


 美緒は決め込んだかのように言葉を絞り出した。

「何でそんなに冷静でいられるんだ」

 オレは達観したような美緒の様子に、若干畏怖の念さえ感じ始めた。

「明日になったら男たちが群がるだけ。副作用が出るのは明後日なんでしょ。じゃあ、遅くとも明日までに決着を付ければいいってこと」


「でもムシデンプレスは逃げちゃったよ」

「そうよ。でも、それだけじゃないでしょ」

 美緒は真剣な顔でオレに語りかけてきた。まるでバイト先の意識高い系の先輩のような、威厳ある視線がオレに注がれる。


「まだアイツの手下は残ってる。アイツらがやられたと知れば、ムシデンプレスもここに戻らずにはいられなくなるわ」

 覚悟を決めた美緒の言葉に、オレは息を呑んだ。

「さあ、殺虫剤を取りな。行くわよ」

 オレは美緒に気圧されるままに、玄関の奥に転がったままの殺虫剤を拾い、彼女の方へ戻った。すかさず美緒が移動を始めたので、オレも軽く慌てながらそれについて行った。


 廊下を曲がると、そこではなおも生徒や先生たちがムシデキズの餌食になり、その場にうずくまったり、所狭しと走り回ったりと、パニック状態となっていた。美緒が意を決して踏み出したので、オレも追従する。


「覚悟!」

 美緒が男子生徒の後頭部に貼りついたムシデキズに、思いっきり殺虫剤の噴霧で一撃した。するとムシデキズの体から力が一気に失われ、ぱたりと男子の後頭部から抜け殻のごとく落ちて行った。倒れたムシデキズを見て、オレも腹を括った。

 オレと美緒は、生徒や先生たちにまとわりつく、ムシデキズというムシデキズに殺虫剤を見舞い、被害者たちを救い出して行った。


「翔太、その中!」

 美緒が指した方向は、職員室の戸口だった。オレはまさかと思い、その中へ突入した。

「何だ、コイツは!」

「やめて、やめなさい! 何なの、この生き物!」

「虫だったら何をやっていもいいのか! 教師をなめるのもいい加減にしろ!」

「ちょっと菅野先生、何とかしてくださいよ!」


 すでに副作用発生済みの菅野先生は、同僚を一瞥するが、本当にただそれだけで机の方に向き直り、他人事のように湯呑みをすすっていた。どうやらすでにムシデキズの被害を受け、副作用を喫した者にまたムシデキズが刺しにいくことはないようだ。その代わり、ムシデキズに一度でも刺されれば、他の被害者を見捨て、ほぼ奴らの味方になってしまう。それは安田先生をはじめとする、他の数名の餌食済みの教師たちも一緒だった。みんな素知らぬ顔で、同僚を助けようとしない。まるで社会の深い闇の部分を見てしまっているようだ。


 その現実に唖然としながらも、オレは先生たちにまとわりついたり、飛び回ったりするムシデキズを一匹一匹始末していった。まさにこれは、人間と昆虫との戦争であり、オレはその前線に立っているのだった。

「先生の皆さん、今、助けてあげますからね」

 美緒も職員室に飛び込み、次から次へと殺虫剤を振り撒いていった。無我夢中でムシデキズを蹴散らして行った結果、遂に職員室内の全ての奴らを倒した。床中にはおびただしい数のムシデキズが転がっている。


「そうだ、ムシデキズに刺された先生たちにも、これをかければ」

 オレはそう思い立ち、菅野先生の方へ歩み寄った。

「い、いきなり何だ~い?」

 菅野先生は、相変わらずキザな素振りを見せた。

「これであなたの虫化を治せます。いいですか?」


「おいおい、殺虫剤をかけるのか? 臭くて今晩踊りに行けなくなるだろう?」

「こんな手荒なマネしか思いつかなくてすみません!」

 オレは先生に必死で詫びながら、彼の体に殺虫剤を噴射した。

「……何も起きないじゃ……」


 その時、先生のハサミと化した右手が、じわりと、本物の人間の手にその形を変えた。

「今のはまさか……!」

「治ったんですか?」

 目の当たりにした先生たちが驚きの声を上げる中、菅野先生の鼻の穴から飛び出していたイバラも、するりと奥へ吸い込まれるように消えていった。菅野先生は自らの両手を確かめ、さらに懐から手鏡を取り出し、自分の顔を確かめ、戸惑ったように首を傾げた。


「ぼ、僕は一体……?」

「ムシデキズに憑りつかれていたんです」

 美緒が真顔で先生に説明した。

「ムシデキズ……」

 先生はそう呟きながら、下を見ると、ハッとした様子を見せた。

「何でこんなに虫が転がっているんだ」


「今、床に散らばっているのが、全てムシデキズなんです。私たちが殺虫剤で全てやっつけました。このムシデキズに刺されると、次の日には急にモテモテになりますが、そこからさらに二十四時間経つと、常識ではありえないような副作用に襲われるのです。あまりに危険なので、私たちが殺虫剤でやっつけました」


「なるほど、そうか」

 菅野先生は、一応の納得を見せた。

「確か、奇妙な虫が大量発生して人に危害を加えているというニュースを聞いた気がしたんだが、このことだったのか」


 そのとき、オレは背後からいきなり、川底の古びた苔のような色をした、帯状のものに巻かれた。その物体を包むぬめりが、制服越しでもはっきりと感じられ、オレを一気に不快にさせた。

「ぐああああっ、何だこれ!」

 振り返ると、何とその帯は、安田先生の口元から放たれたものだと分かった。そう、これは安田先生のベロ。ムシデキズに刺された副作用で、彼の舌は変色したばかりか、伸縮自在となっていた。


「うがああああああああああっ!」

 大人の男に、それも先生に舐められている。ある意味、これほど不愉快極まりないパワハラはないとさえ思った。オレはたちまちパニックに溺れた。


「プシュー!」

 美緒がすかさず安田先生の体にも殺虫剤をかけた。そのとき、苔色の舌が解け、元の赤みと小ささを取り戻しながら、安田先生の口元へと戻って行った。彼はついさっき何をしていたのか理解できないようで、キョトンとしていた。

「オレは、一体、何を……」

 安田先生は現実を確かめるように辺りを見回し、床に目を向けた。


「不思議な虫が一杯転がっているのは何でだ。それにやたらとデカいな。巨大なハエか? 色もそれぞれ違ってバラエティに富んでいる。そうだ、今度解剖するときはこの虫でもいいかな」

 奇妙かもしれないが、これが、安田先生が元に戻ったと分かった瞬間だった。

「安田先生」

「どうしたんだ、白藤」

「先生、ムシデキズに憑りつかれていたんです」


「ああ、それはどうもありがとう」

 安田先生はオレに微笑みかけた。そして、オレの手から殺虫剤を手に取った。

「それでもこれは没収だ。生徒が学校内に持ち込むものじゃないからな」

「あの、それ、まだないと困るんです。職員室の中だけでこの状態ですから、他の所でもムシデキズが誰かを襲っているかもしれないんですよ?」


「ダメだ。生活指導担当として特例は認められない」

「ちょっと待ってください。実際にムシデキズの被害は学校以外の至る所でも起きているんですよ?」

「そうです。学校にも何件も報告されていますし、ニュースにまでなっていますから」


 他の先生たちの説得に、安田先生はしばし押し黙った後、こちらへ向き直った。

「本当に殺虫剤じゃなきゃ虫を殺せないのか?」

 安田先生がしつこく質問を継ぎ足す。

「あと、ドライヤーとか、そういう強い風を当てれば、ムシデキズの成分が飛ぶとは聞いたんですが」


「じゃあ刺された後にドライヤーを浴びればいいんじゃないか」

 安田先生にうまくまとめられた。オレは自分で墓穴を掘ったと知って、我ながら情けない思いに駆られた。その時、静まり返った職員室の窓の向こうから、かすかに、超音波のような奇声が聞こえた。窓の向こうで、再びムシデンプレスがシャウトしていたのだ。


「伏せて!」

 オレは一同に呼びかけながら、自らも床に伏せた。その直後、窓が木っ端微塵に砕ける音が職員室にこだまし、オレの周囲にも大量のガラスの破片が降りかかった。

「あれは一体何?」

「何なんだ、君は!」


 先生たちの戸惑いや憤りの声が聞かれる中、オレはおそるおそる立ち上がった。ムシデンプレスが、不敵な笑みを浮かべながら、机の上で羽をはためかせていた。

「おのれ!」

 美緒が怒りに身を任せるようにして、手前の机に上がった。それぞれの机の上で、敵同士がにらみ合っている。


「覚悟!」

 美緒が殺虫剤を放つが、ムシデンプレスはひらりとかわし、その勢いのままに職員室を飛び出した。

「あっ、待ちなさい!」

 美緒も床の上に降り、ムシデンプレスを追って外へ出た。オレもつられて、二人を追う。

「待ちなさい! このウジ虫女!」


 美緒はそう叫びながら、ムシデンプレスを追って、ひたすら階段という階段を上って行った。オレも考える余裕がないまま、修行のようなスピードで、次々と段を踏み越えて行った。


 オレたちは屋上にたどり着いた。美緒が見据える先で、ムシデンプレスがすました顔で佇んでいた。それだけではない。その左隣には、あの椿が堂々と並び立っていた。

「また来たの」

 椿のその口ぶりは、どこか横柄にも感じられた。ダメだ、やっぱり椿にこんな姿であり続けてほしくない。五百人にもフラれてやっと彼女になってくれた人を、放ってはおけない。そんな気持ちが、オレの中で沸々としていた。


「椿を元に戻してくれ。彼女を返してくれよ」

「あら、それは無理ってものね。この学校の生徒たちという名の、将来有望な人材が欲しいからね」

 ムシデンプレスが少し前に進み出し、お高くとまったという言葉がいかにもふさわしい態度で言い放った。


「椿だってそのうちの一人。れっきとしたアタシの協力者なの」

「そう、この学校の生徒たちを皆、バグランドへ連れていく」

「何ですって!?」

 美緒が憤慨した。


「アンタたちはあまりにも反抗的だからここに残してあげるわ」

 ムシデンプレスのさらなる傲慢な言葉である。

「そうはいかない! 大切な高校をめちゃくちゃにされるなんて、たまったものじゃない!」

 美緒はもはや感情を抑えなきれない様子だった。


「こんな奴らに、これ以上構う価値はなしね。さあ、椿、運動場へ行くわよ。そこにある木を通ってバグランドへ行くの。今から虫化した奴らを全員、バグランドに集わせる。そしてみんなであの木を通れば、計画完了」

「大勢の人間を誘拐する気!? ふざけんじゃないわよ!」

 遂に本格的にキレた美緒がムシデンプレスに殺虫剤を吹きかける。しかしムシデンプレスはひらりと避けると、椿とともに屋上から飛び立ってしまった。


「あの木に向かう気だな!」

 オレはそう声を上げると、屋上から、再び階段という階段を美緒とともに駆け下りて行く。オレたちは校舎の西側にあるグラウンドへと飛び出した。グラウンド北側の中央辺りに、例の木が立っている。その手前に、奴らがいる。しかもムシデンプレスが天に向かって指を突き上げ、呪文のようなものを唱えていた。呪文と分かったのは、彼女の指先に灯った金色の煌めきが、グラウンド入り口のこちらにも充分に見えていたからだ。


 オレと美緒は無我夢中で、ムシデンプレスと椿のもとへ駆け出した。

「させない!」

 椿がすぐさま行く手を阻みにかかるが、オレたちはすんなりとその両サイドをすり抜けた。美緒がムシデンプレスの指先に殺虫剤を当てた。


「キャッ!」

 ムシデンプレスのリアクションとともに、彼女の指先の煌めきは跡形もなく消えた。

「何するのよ!」

「こっちの台詞よ!」


 美緒が殺虫剤をムシデンプレスの顔面へ噴射した。しかし、ムシデンプレスは、ひらりと横に逸れてかわした。まるで、殺虫剤が放たれるタイミングを見透かされているようだった。ムシデンプレスが、美緒をあざ笑う。

「この……キャアッ!」

 椿が羽ばたいたまま、美緒に飛び蹴りをかました。美緒は思わず殺虫剤を落とし、椿が転がる缶を拾い上げる。


「ああっ……」

 絶望を悟った美緒の息を呑む声が聞こえた。オレは彼女を助けようと、美緒の前に立つ。しかしオレは、ここであることに気がついてしまった。

「しまった、殺虫剤がない!」

「嘘……アンタ、どうしたの」

「安田先生に取られたままだったんだ」

「もう、しっかりしてよ」

 美緒が呆れたように言い放った。


「だってしょうがないじゃん、安田先生、さっと返してくれなかったから」

「あの人は生活指導の先生。殺虫剤みたいな普通学校に持ち込まないもの持ち込んだら、警戒されるのも当然よ。あなたの作戦ミスね」

 椿が冷徹にオレを笑う。目が笑ってない。オレが好きだった、顔いっぱいに燦然と輝いた微笑みを見せてくれる椿は、やはりそこにいない。


「椿、頼む、目を覚ましてくれよ」

「何で?」

「お願いだ。あの頃の愛くるしい椿に戻ってくれよ」

「ダメよ。私は、バグランドに行って、アンタの数倍愛くるしい虫と結婚して幸せになるのだから。アンタみたいな女々しくて、オネエ臭い人とは、さようなら」


 椿からの非情な罵倒であった。遂に、アイツは、オレの五百一人目の女になってしまったと言うのか。

「いや、君がオレにとっての五百一人目の女だなんてありえない。ほら、本当は、君だってこんなことしたくないんだろう? 目を覚ましてくれよ。ありのままの椿の姿に戻ってくれよ。そんな冷たい笑い方じゃなくて、屈託ない笑みをもう一度みたい。もう一度君と一緒にお弁当食べたいし、遊園地にもまた一緒に行きたい。頼むから、戻ってくれよ」


 オレは熱くなった目頭を感じながら、必死に椿に訴えた。

「何言ってんの。私はあなたの彼女じゃない。友達でもない。そこの美緒みたいなただの知り合いでもない」

 椿の言葉には、もはや血は通っていなかった。コイツの心にはもはや血が通っていない。彼女の言葉は、そんな空虚となって、オレの耳に流れ込んで行った。


「私は、あなたの、敵よ」

 フラれるよりもひどい通告が、オレの胸に突き刺さった。

「……さっさと死んでくれる? 弱虫さん」

 椿は平然とオレの真ん前に殺虫剤を突き付けた。


「危ない!」

 その時、美緒の声がするとともに、オレは思いっきり押しのけられ、地面に転がった。

「キャアアアアアッ!」

 悲鳴の方を振り返ると、美緒がその場にうずくまっていた。その前で、椿が美緒を上から見下ろしていた。手には、殺虫剤が構えられたままだった。


「あーあ、よせばいいのに。どうしたの? おめめが痛いの? かわいそうね」

 ムシデンプレスが美緒をおちょくる。オレはうずくまる美緒を介抱する。

「大丈夫か?」

「水、水を頂戴」

 殺虫剤をかけられた美緒は、早急に目を洗う必要があった。オレは美緒に肩を貸し、校舎へと向かった。武器を失った今、もうアイツらに対抗する手段はなかった。

「さあて、邪魔者は消えたし、儀式を再開しましょう」


 オレの背中の向こうで、ムシデンプレスの情け容赦のない言葉が聞こえた。オレは屈辱をこらえながらも、とにかく手負いの美緒を何とかしなければと思い、校舎の中へ入った。

「おう、どうした」

 校舎に入ると、ちょうど、殺虫剤を持った安田先生がこちらへ歩いて来た。

「美緒が、美緒が」

「まさか、あの女王様気取りの女子にやられたか?」

「はい」


「痛い……殺虫剤を取られて、顔をやられました」

「いいから、ここは私に任せて、君は逃げるんだ」

 安田先生は自ら美緒に肩を貸す形でオレから介助役を引き継いだ。

「これ、必要なんだろう?」

 先生は手に持っていた殺虫剤を床に置いた。


「いいんですか?」

「あの虫の女王様、やっつけたいんだろう? 今だけ特別に許可してやる」

「ありがとうございます」

 オレは殺虫剤を取り戻した。

「それじゃあ、コイツを保健室へ……」


 安田先生が振り返ると、正面から虫化した生徒が、ゾンビのような挙動不審な動きで、次から次へと脇をすり抜けて行った。

「きゃっ!」

 蛾のような羽をはためかせていた女子が、美緒の肩にぶつかり、安田先生もろとも床に倒れ込んでしまった。羽に加えて触覚までしっかりと生えたその女子は、謝る素振りも見せずにその場を抜けていく。


「オイ、何ぶつかってんだ!」

 オレが憤りを示しながら彼女を追いかけた、その先だった。

「何だこれ……」

 階段の踊り場から、正面から、そして背後から、虫化した生徒たちが次々と玄関口から外へと抜け出していく。それも悪魔からの手招きを受け、憑りつかれてしまったかのように。あまりの異様な光景に、オレはドン引きしてしまった。


 最後尾の男子の離れた後をつけるようにして、オレも外へ出た。そこを右へ曲がり、校舎前の道を抜け、再びグラウンドへと近づく。


 そこでは、ありとあらゆる方向から、虫化した生徒や先生方が、グラウンドに集結していた。その数は四百人ぐらいいそうなぐらいだった。中には虫化しておらず、前段階として異性に群がられたままこちらへ舞い込んでしまった生徒もいた。どうやらムシデンプレスが今、グラウンドでかけている魔法は、刺されただけで効いてしまうほどの、恐ろしい効力を持っているに違いない。それだけでなく、虫化した生徒を引き留めようとした、まだ正常である者たちに、ムシデキズが襲いかかる。襲われた者たちは逃げざるをえない。奴らの周到な連携プレーが憎かった。


 それにしてもその光景に対して、圧巻だなんて言えない。みんなそれぞれ、虫の触覚、羽、脚などをまとっていて、中にはろくろ首かと思うぐらい首が伸びていたり、背後にいる生徒の顔面を、さっきの安田先生みたいな伸び切ったベロでグルグル巻きにした、別の先生の姿まであった。


「ムシデンプレス!」

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