第四章:それでも椿とのデートは幸せだと思っていました

「アハハハハハ……すみません。彼、高校生にしてちょっと中二病で、マジシャンもかじっているものですから、ついつい仕込んだまま忘れていたマジックのタネが暴走してしまったんですよね」

 美緒が愛想笑いしながらオレの前に立って懸命にフォローする。その後ろでオレは必死に糸を噛み切り、残りは呑み込み、外に出た分は拾い上げた。オレも美緒にばかり尻拭いさせては申し訳ないと思い、彼女の隣に立った。


「そう、彼女の言う通りなんですムシ。中二病ってところ以外はムシ。見苦しいところすみませんでしたムシ」

 平謝りするオレの口を美緒が塞ぐ。

「本当、何でもないんです。この人がちょっとしたムシオタクなだけなんですよ。それじゃあ皆さん、気にしないでくださいね」


「何とか、あれ以上の混乱は避けられて良かったね、翔太」

 椿がオレの腕に優しく絡み付く形で寄り添った。オレは椿の人並みにしっかりと出来た胸の谷間から腕へと通じる温もりに慰められながら、電車の中で揺られていた。

「もうこの際触覚はいいから、語尾を何とかしたいムシ」


 電車の中でも、オレがムシムシ喋っているのが気になるのか、周囲の目線が痛く感じる。オレは再び口を押さえて自分の望まぬ口調を呪っていた。その時、電車が急カーブに入り、オレたちは二人して、空いた座席に吸い寄せられるように倒れた。オレが下で、椿の胸が見事にオレの顔を埋めた。

「さすがに苦しいムシ」

「はい、交際決定」

「聞こえてるムシ、それ何回言うムシ!」



「ここがキャンバスワールド?」

 美緒が不思議そうな顔で入園口を眺めていた。

「真っ白にキャンバスに描いたカラフルな絵のようなファンタジックな世界をコンセプトにしたテーマパークだから」

「と言っても、オレたちが目にしているのは、まだチケット売り場ムシ。楽しみはここからなんだよねムシ?」


「その通り、レッツゴー」

 上機嫌な椿にリードされる形で、オレたちはチケット売り場へ進んだ。

 買ったチケットを手にオレたちは園内に進み出た。

「うわあ、スゲエムシ」


 見晴らしの良い広場の向こう側には、早速コースター専用と思われる黄色いレールが左側にそびえ立ち、さらにピンクのレールが園内を堂々と横切り、色彩の調和が取られていた。右側の赤と青の縞模様の屋根と床を数本の紫色の柱でつなげた建物は、ピンクのレールを通るコースター用のチケット売り場か。


 しかし、それ以上にすごいのは、どこぞの有名な怪獣にも匹敵するほどの大きさを誇る観覧車だった。遠くからでもゴンドラの一つ一つの色が違っているのが分かり、まるでこの世の色が隈なく観覧車のデザインのために使われているようだった。そのゴンドラを目で一周結んでみれば、正に虹のような彩りであることが分かった。


「うわあ、すっごい。あそこに乗らない?」

 椿が無邪気な小学生みたいに観覧車を指差した。

「いきなりムシ?」

「行こう」

 椿が再びそれなりにある胸でオレの腕に絡んできた。プラスその訴えかける目の奥から覗き出す無垢なる愛嬌が、オレの思考をコントロールしているように思えた。


「よし、行くムシ」

 オレも大歓迎とばかりに快諾した。早速椿がオレの手を引いて観覧車を目指し始めた、と思いきや。


「と、見せかけて!」

 椿は唐突に声を上げるや否や、オレもろとも急ブレーキをかけた。

「やっぱりあそこにしよう!」

 あっけらかんとした顔で、椿が指差したのは、今まさに向かって右側にある、紫色の剥き出しの柱が目につく建物だった。

「まさか、ジェットコースタームシ!?」


 余りに不純な気まぐれに、オレは狼狽した。

「そうそう、何か、ゆったりと観覧車に長い間揺られるよりも、短い時間で清々しい風を一気に感じてみたくなったの」


 しかし、オレの心構えはすでに観覧車へと向ききっており、天と地、いや、ウサギとカメ、いやリニアモーターカーとカタツムリぐらい程スピードの違う乗り物に予定が変わると、余りに気持ちがついて行けない。そんなオレにも構わず、椿は半ば強引にオレをチケット売り場へ連れ込んだ。


 オレは思わず、美緒の方を振り向いたが、美緒はいつもの冷めたような顔のまま、手だけを振っていた。椿の強烈なまでの気まぐれに、何の感情も抱いていないつもりなのか。それとも、ただ振り回されるオレを嘲笑っているだけなのか。


「これでよし、っと」

 オレと椿は隣同士の座席にて、安全バーでしっかりと体を固定する。ここで正直に言おう。オレはジェットコースター、初体験だ。リアルに、怖い。リアルに、心臓が異常な鼓動を走らせている。同じドキドキ感でも、教室で女子に囲まれている時とは意味が真逆だ。


「それでは、出発進行」

 アナウンスとともに、ジェットコースターがゆっくり動き出した。レールはピンク色。つまり入場したところで見えた二台のうち、規模のデカイ方だ。

 凶暴なマシンは、オレたちを乗せたまま、問答無用で上り坂を進んでいく。戦々恐々するオレたちをからかうような超低速域で、上り坂を進んでいく。正直、この様子は、外から見ていても軽く悪寒が走るぐらいだったのに、実際にマシンに乗って体感するとなれば、もはや死を待っているのかとさえ思えてくるような冷たい緊張を覚えた。


 次の瞬間、コースターは完全に上り坂のてっぺんに到達するや否や、本性を現したかのようにその先の下りを獰猛なスピードで駆け下りた。殺人的なスピードにいたずらな重力が絡み、オレはひたすら絶叫した。口から糸がここぞとばかりに噴出しているだろうと思っても、そんなのに構っている暇はなかった。隣で椿も叫んでいるが、それ以上にオレ自身の悲鳴が、我ながら一番凄まじいんじゃなかったと思えるほどに叫びまくった。高度は地面に近くなったかと思えば、すぐにビルの三、四階ぐらいの高さまで急上昇し、トンネルという名の暗黒世界を突っ切り、時にはマシンごと逆さまになったりした。こんな筋立ての破綻したプロセスを、ジェットコースターは常人には理解しがたいスピードで消化していった。そんなカオスな状況の中でオレにできることは、ひたすら、口から糸じゃない何かまでもを吐き出しそうなほどに、叫ぶだけだった。


「お疲れ様です」

 ゆっくりと乗降口に戻るコースターを従業員のお姉さんが出迎えた時には、オレは全身から力が抜け、もはや何もする気力も残っていなかった。


「あ~、楽しかった」

「翔太……あれ、どうしたの?」

 椿がオレを不思議がっている。オレはゆっくりと、背もたれに密着したままの顔を彼女の方へ向けた。すでに彼女はバーを上げた後だ。対してオレは、もはや後を引く壮絶な恐怖の余り、この身を包む込むバーにすがりたい気持ちだった。

「ごめんね、オレ、こういうの、マジで苦手みたい」

 オレは椿を心配させまいと、正直はことを言った。しかし、椿の困惑した表情は変わらない。

「どうしたの?」

 今度は逆にオレが椿を心配する。

「消えてる?」

「えっ、何が?」

 オレは慌てて頭を無造作に触った。確かに、それまで生えていたものが、消えていた。

「まさか、触覚か?」

 椿が大きく頷いた。


「お客様、どうされました?」

 お姉さんが声をかけてきた。どうやら不用意にマシンに長居し過ぎたようだ。

「すみません、今、降ります」

 お姉さんのサービススマイルに笑って返したオレは、乗降口の通路に踏み出すと、さらなる事に気が付いた。


「オレ、『ムシ』って言わなくなったな」

 思わずそうこぼした。その瞬間、オレは自由を手に入れたかのように、体が軽くなるのを感じた。

「元に戻ったんだ」

 椿が嬉しげに語りかける。オレは試しに、何もないところへ大きく息を吐いてみた。

「糸も出て来ない。つまり、オレ、もう虫みたいじゃないんだ」

 そう気づいた瞬間、椿が全力でオレに抱き着いた。


「翔太、良かったね、人間に戻れて」

「う、うん」

 唐突なスキンシップに不意を突かれたが、正直、この時の椿の体から直に感じる温もりは有難かった。何か、快気祝いのハグって感じで、すごく嬉しい。オレは抱きしめられたまま、アトラクションを後にした。


 アトラクションから地上に降りると、美緒がオレたちの方へ駆け寄っていた。

「おかえり。早速だけど、触覚ないね、どうしたの?」

 彼女はさらりとオレの変化を問うた。

「虫の呪縛から解放されて嬉しいが、正直何故かは分からない」


「ジェットコースターに乗ったら虫じゃなくなるなんてことはあるのかしら」

 その時、オレは閃いた。

「風だ」

「風? そうか!」

 美緒も納得したように声を張り上げた。

「ジェットコースターに乗って、超高速のスピードに晒されれば、オレたちは台風並の風をモロに受けることになる。オレの頭の触覚も、それで吹っ飛んだんだよ」


「でも、『ムシ』って言う語尾や、口から糸が出なくなったのも、風のせいかしら?」

「きっとそうなんじゃないか?」

 オレは強引気味に結論を取りまとめた。

「とりあえず、ジェットコースターみたいな強いショックに晒せば、翔太の身に起きた現象は一通り拭い去られるってことでいいのね?」


「そうだよ、多分」

 オレは堂々と頷いた。

「ああそう、じゃあ、デートを続けて……」


「ごめん、やっぱり翔太とは、恋人関係になれない」

 突然の場違いな言葉に、オレの中で時が止まった。オレはおそるおそる椿の方を見てみると、椿はいつしかオレから一歩離れ、それまでの愛嬌に満ち溢れた笑顔もなしにこちらを漠然とした様子で見ていた。


「もしかして今、君が言ったの?」

「そう。もう翔太になんか興味がなくなったと言うか、今の私、こんな感じでいいのかなと思ったと言うか……」

 冷え切った言葉に、オレの顔が青ざめ始めた。

「とにかく、ごめん。こっちから一方的に言い寄っておいて、迷惑なのは重々承知しているけど、やっぱり自分の気持ちに嘘はつけないの。さようなら」


 椿はそのままエントランスの方へと走り去ってしまった。想定していなかった後姿に、オレは愕然とし、その場にくずおれた。

「な、何故だ……」

 そう呟くことしか、オレに出来ることはなかった。

「気持ちの整理がつかないの分かるけど、立ちなよ。周りがみんな見てる」

 真横に立った美緒の言葉にも、オレの重たくなった腰は上がらない。美緒が仕方ないとばかりに、オレの両脇を抱えて立たせた。


「そんな、折角、折角、初めて正式に彼女ができたのに、何で、何で……」

 あっと言う間に椿に逃げられた自分が、情けなくて仕方がなかった。

「何故だああああああああああっ!」

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