え? 本当に?!
お隣の神崎さんが引越しをしてから、二週間ほどが経っていた。
部屋のクリーニングも先日済み、そろそろ新しい入居者がやって来てもいい頃だろう。
お祖母ちゃんに次の人はどんな人か訊ねたけれど、「ふふふ」なんて女学生みたいな笑いを零しただけで教えてくれなかった。
何をもったいぶっているんだろう。
そんな話を土曜の午前中から、私の部屋で櫂君へと話していた。
何故櫂君が、土曜の朝から私の家に居るのかといえば。
金曜日の会社が終わる頃、櫂君から突然土曜日にランチのお誘いを受けたのだ。
だったら、家じゃなくて外で待ち合わせ、となるのが普通だけれど。櫂君が、「お昼よりも早めに行ってもいいですか?」と訊ねるので、特に断る理由もなくオーケーしたわけ。
ただ、私は自覚症状ありありになっていたから、そのお誘いに意識しすぎて内心ドキドキしていたんだけれど、当の櫂君はいつもと変わらず。
「あのラーメン屋さんに行きましょう」なんて、意気揚々と提案してきた。
自分の気持ちに気づいたとはいえ、それを櫂君へ伝えたわけでもないのだから当たり前か。
そういうわけもあって、早朝からやってきた櫂君に、お昼までの時間潰しをしながら私の部屋で、次に入居してくるお隣さんのことを話していたわけです。
「変な人じゃないといいんだけどなぁ。まー、お願いしている不動産屋さんは、お祖母ちゃんと昔っからの知り合いだし、人を見る目もあるとは思うんたけどね」
若干の不安を覚えて櫂君に話していると、インターホンが鳴った。
「ん? 誰だろう」
私が立ち上がると、櫂君も後ろをついてきて一言。
「多分、僕にです」
「え?」
何で櫂君に? ここ私の家だよね?
考える間もなくいると、櫂君が勝手にインターホンに出てしまい、相手に「宜しくお願いします」なんて言っている。
誰に何をよろしくしたの?
「お隣さんが、越してきたみたいですよ」
ハテナ顔の私に向かって、櫂君が満面の笑みを向けてきた。
「どういうこと?」
わけも解らずいると、櫂君が私の手を引き外へと連れ出す。
三階の渡り廊下に出ると、引越し業者の人が忙しなく荷物を運ぶ準備をしていた。
その人たちの方へ、櫂君が徐に近づいていく。
「あ、どうも。藤本です。宜しくお願いします」
業者の人へぺこりと頭を下げると、櫂君は以前神崎さんが住んでいた部屋のドアを躊躇いなく開けた。
「え? 櫂君? なに、どういうこと?」
さっきから疑問しか口にしていない私へ、櫂君は得意気な顔で告げた。
「お隣さんは、変な人じゃないみたいですよ」
「へ?」
どうしてそんなことが解るんだろう。
孫の私でも知らない情報を、他人の櫂君が知っているなんて、おかしな話だ。
もしかして、今開けたドアの中に、誰かいるの?
そう思って中を覗き込もうとしている私に、櫂君がとびきりの笑みを向ける。
「お隣は。どちらかといえば、酒飲み友達のゆかいな仲間といったところです。今度、お醤油、借りに行きますね」
「え? それって、うそ……」
驚く私を、櫂君がしてやったりという顔で見ている。
「神崎さんからの、置き土産です」
それを聞いて、ピーンと来た。
なるほど、そういうことだったんですね、神崎さん。
凄い置き土産じゃないですか。
櫂君が言うには、引越しを決めた際に、神崎さんは次の入居者として櫂君をお祖母ちゃんへ紹介したらしい。
更に、そのことを口止めまでしていたという、なんとも抜け目のない行動だ。
そして、なんて素敵な置き土産なんでしょう。
驚いて口をあんぐりしたあとは、嬉しすぎてその辺一帯をジャンプしたり走り回りたいくらいの気持ちになった。
「ずごいっ。凄いよ、櫂君! 念願のお部屋に住めるんだね。おめでとう」
張り切って話していると、櫂君が穏やかな表情を向けてきた。
「何より嬉しいのは、菜穂子さんのそばにいつでも居られるってことです」
「か、櫂君」
余りの直球に、体中がぽっぽと熱を持つ。
「顔、赤いですよ」
「だって、それは、櫂君が――――」
余りにストレートすぎるから、という私の言葉は、櫂君に抱きしめられてしまうという幸せに、遮られてしまった。
「菜穂子さん。大好きです」
応える代わりに、私は胸の中で何度も頷いていた。
だって、今更口にする愛の言葉が恥ずかしすぎて、心臓が止まりそうなんだもん。
こんなにずっとそばにいてくれた櫂君。
いつだって、私の我儘を受け入れて、私を助けてくれていた櫂君。
そのお返しは、お醤油を貸したら赦してくれるのかな?
なんて。
桜舞う四月。
櫂君と見た桃色の景色は、私の宝物になった――――。
おしまい
桜まち 花岡 柊 @hiiragi9
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