現代 自転車を思い切りこぎたい

 思い切り自転車をこぎたい。ある日、そんな衝動にかられた。

 そこには根拠何てなくて、敢えて言うなら突然何か特定のモノを食べたくなった。それに近い衝動で、心理学的に解明される事は、きっとないのではないだろうか。きっとだが。

 しかし私の前には問題が立ち塞がっていた。

 

 今が食事の帰りだということだ。ひと段落して、自転車で。

 今自転車に乗っているのだからそれでいいのではないか。と、言えばそれまでだ。しかしながら如何せん、我が家と定食屋の距離は近い。これでは思い切りに走る事は成らず、きっと私は私を許す事が出来ないだろう。

 人は不思議と、してもいない後悔の為に動く生き物なのだ

 

 ならば、これからUターンをして一気にこぐべきか。

 それも一案に上がったが、脳内会議では却下となる理由は、軽い食事の為に薄着で来たのと、春はじめだと云うのに大分冷たいという理由だ。

 日もやや沈みかけていて、取り敢えずの目標は近所の本屋に無意識で決まっていたものなのだが、そこに着く頃には、この寒空の時分においてもはや夜中と定義出来る。

 これから向かうとして、また戻るまでの時間。それを踏まえても非常にデメリットが大きく、正直に言えば私のアイデンティティは部屋でゴロゴロすることを求めていた。

 だが。それでいいのか?

 

 人とは人間だ。人間は動物だ。即ちヒトとは畜生の一種であり、畜生とは本能のままに生きる。ここで己の突拍子を捨てる事は、もしかしたら動物としての己を捨てる事に他ならないのだ。そう、ここで諦めたらきっと後悔する。

 人は不思議と、してもいない後悔の為に動く生き物なのだ。

 

 私は全裸にならんばかりの勢いでUターンをする。

 そして思い切り自転車のペダルを踏み切った。

 

「うっほほ~~~い!!!!」

 

 解放感があった。

 我々はなんと小さな箱の世界に居たのだろう。日常とはある日を境に、予期もせず壊れるものだが自ら壊すのはここまで気持ちいいのか。ペダルの足は下げるより、寧ろ腿を上げる事に意識を向ける。加速の基本だ。

 

 このままでは私は間違いなく本屋まで体力が持たないだろうが、それでも良い。畜生がそんな下らない事を気にするものか。みんな、精一杯生きる事で精一杯なんだ。

 だからもう少しだけ、もす少しだけこの時間をくれないか。そうすれば私は何かになれる気がするんだ。

 そんな時だ。

 突然の降下感。壁があるでもないのに前に進まない。

 なんだと下を見れば、ドブのグレーチングにタイヤが挟まっていた。

 ゴムチューブは銀輪と躯体の間にあった為か、プシュウと嫌な音を立てて一瞬で息の根が止まる。

 

 私は後悔した。

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