ホラー 合わせ鏡


 なんでいつも私ばかり。

 そうして虚空に叫びたくても内向的な自分に出来る事は、自らの内側へ怒りの矛先を向けるしかない。それですら幾年にも渡る傷の積み重ねが圧迫し、まるでブラックホールのように己の精神を殺しにかかるのだ。

 私はただ間違ったことをしたくなかっただけだ。

 小学生、中学生、そして今となる高校生にかけて和を保とうと、不快にさせまいとしてきた。だってそう、学校で教えられたのだから。

 

 だが現実はどうだ。和を保とうと思えば思う程に孤独を感じる。

 それは、私である必要はある必要はあるのかと考えてしまう。だから人に自分を晒すことも出来ず、悪戯に自分を傷つけてしまう。

 しかし、しかしだ。

 ある日輪の片隅で、何時ものように薄ら笑いを浮かべて聞き耳を立てていた頃の話だ。

 

「ねえ、そういえば『合わせ鏡の悪魔』って知っている?」

「なにそれぇ?知らなーい」

「うん、合わせ鏡の悪魔って言うのはね

真夜中0時に合わせ鏡をして、よく見るとひとつだけ『後ろ』を向いた自分がいるらしいのよ」

「へぇ~、それで?」

「なんだよドライだなぁ。ま、いいや。実は興味ありげっぽいし」

「なんだよ、焦らすなよ」

 

 相槌を打った者の上半身は前のめりになっていて、語り手はニヤニヤと愉しんでいる。

 

「うん、それでさ。それに気付いたら『振り返って』くるらしいんだわ

で、こっちにゆっくりと合わせ鏡の道を渡りながらゆっくり向かってくる。ああ、これがなんか鏡の主の姿を借りた悪魔らしいのね」

 

 語り手は嬉しそうに声に感情を込めた。何かを表現したいのか半開きの掌を上に向けて、まるで虚空を掴もうとしているようにも見えるが、それはプルプルと震えていて何かの副作用にも見える。

 自分語りと云う危ない薬と捉えるならそれは当たっているかもしれない。

 

「で、最後の最後に鏡から飛び出して来て……

バクリ!」

 

 語り手は目を見開いて掌を思い切り閉じた。

 聞き手は少し驚いて、しかしそれだけだ。

 

「……うわー、くだらね。ラスト雑過ぎんだろ」

「そんな事言われても、私だって聞いただけだしなあ」

「噂話なんてそんなもんか。適当に継ぎ接ぎしただけなんだろうな」

「そうだね。あ、そろそろ休み時間が終わる。あ、そうそう藤田さん」

 

 藤田とは私の姓だ。名を呼ばれる事は滅多にない。

 思わず一拍置いて、やっと自分が呼ばれたのだと気付き、目を合わせる。

 

「消しゴム貸して」

 

 彼女は言った。だから私は思う。

 なんで私ばかり。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 深夜11時53分。

 下らない話だ。そう思っていたのに何故か私は手鏡を持って、洗面台の鏡の前に立っている。背筋を夜特有のゾワゾワする寒気が走り、手鏡を持っていく事を躊躇わせる。

 ここで引き返せば良いではないか。

 ここで引き返せば何事も無い日常を迎える事が出来る。

 だがしかし、私は手鏡を顔の横へと持っていっていた。

 洗面台の鏡に沢山の私が映し出される。こんな顔だったのか、自分の顔はよく覚えていないと云うがここまで覚えていないとは意外だった。

 そして、角度を付けながらよく見る。すると居るではないか。後ろを向いた私のような姿をした『悪魔』が。それは驚くほどあっさりと見つかったものだ。

 

 今のところ悪魔はじいと佇んでいるだけで動く気配はないが、変な義務感が私の目線をそこに固定していた。

 そして悪魔は振り返る。顔はモザイクでもかかったかのようにボヤけてよく見えない。

 只々口元だけがいやにハッキリとしているのが妙に不気味だった。

 悪魔は歩く速度で合わせ鏡の道をゆるりと進んでいく。

 ここで鏡の角度を変えれば直ぐに辞める事が出来るだろう。しかし私は義務感の為と言い訳をする。

 とうとう残り一枚の鏡を潜れば悪魔は私の目の前に来るだろう。

 私の内心は意外と落ち着いていた。空っぽなだけだったとも言える。最期の筈なのに、振り返るべき思い出が無いのだ。この悪魔の顔のように。

 

 そして悪魔は、私を食べなかった。

 直前で踵を返し、合わせ鏡の道の奥へと消えてしまったのだ。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 次の日も、そして次の日も。

 私は透明な時間を学校で済ませた後に、悪魔に会う事を誰にも語らず続けた。分からない、何が私をそんなに必死にさせるのか私自身にも分からない。

 そうして私はある日、何時ものように踵を返した悪魔に叫んでしまった。

 

「ねえ!なんで何もしないの!?

毎日毎日、チャンスはあるのに、何で私をこの世から跡形も無く消してくれないの!?」

 

 ああそうだ。私はそうして欲しかったのだ。

 自分が居ても居なくても良い毎日、それでも私が死ねば跡が残り迷惑をかけてしまう。だからクラゲが死ぬとき、海に溶けるように消滅したかったのだ。

 悪魔は歩みを止めた。悪魔は振り返った。何時もと変わらない、顔の無い顔の筈なのに、それがとてつもなく怖いものに感じて身震いした。

 悪魔はこちらに向かい、そして鏡の縁に手を添えると窓から身を乗り出すかのように鏡から飛び出した。何故か私は、顔を直視できず下を向いていた。

 悪魔は語る。聞いたことはあるが、聞き覚えの無い声で。私の声で。

 

「不快だからだ。

身勝手な人間程、理由を『外』に求める。その理由に利用される程私は節操無しじゃない」

 

 

 私が勇気を出して前を向いた時、そこには何もいなかった。

 ただ、目の前の鏡に映る私の頬を、涙のひとしずくが伝っていた。

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