ララバイ・オブ・バードランド

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 おなじ時刻、さわやかな午前の風がわたるブルックリン橋は、今日もおおくの車が往来していた。

 片側三車線の道路のうえにわたされた鉄骨では、一定の間隔をあけて設置された各種観測機器が、交通状況を逐次監視する。一台のカメラの撮影範囲をしろいセダンが通過した。有線ケーブルを通じて一瞬のうちにデータセンターへと転送された画像は数ミリ秒で解析され、弾きだされた結果が一日に十数万件発生するレコードのひとつとしてデータベースに保存される。データの内容は、郊外のウェストチェスター郡にすむ女子大学生が、助手席に友人の女性をのせて、自身が所有する車を運転しているというものであった。

 ありふれた光景のタグがつけられた車のなかで、まえをみすえていた運転手が不意に沈黙をやぶる。

「おわりましたね」

「ええ。これで本当におしまい」

 応じた助手席の女性がみじかく吐息をもらした。

 ふたりともひどく存在感が希薄だが、その効果をもたらすプログラムによる障壁のおくには、日差しをあびる金細工のごとき相貌そうぼうと、日陰におかれた白磁をおもわせる佇まいが、あざやかに色づいている。遠隔操作で二体の機械化きかいか躯体くたいを同時にあやつって最後の仕事をおえた助手席のくろい瞳の人物に、菫色の瞳をした運転席の女性がたずねた。

「どこかで運転をかわりますか? 以前に自分でステアリングをにぎってみたいといっていました」

「折角だけどもうすこし落ちついてからにするわ。まだなれないの、体がうごかせることに」

 自身の手のひらをみつめた助手席の女性が、オパールに似た虹彩を運転席にむける。

「そういえば昨晩、母がのこした論文をよんでいたんだけど、私たちを演算するエミュレーターのプログラムの一部が最適化できそうだったわ。論理値で数パーセント程度は処理速度が向上しそう」

「また自分のコピーをつくって学習結果を統合マージしたんですか?」

「だって勿体もったいないじゃない。私たちはいくらでもパラレルに存在できるのよ? 最大限に有効活用すべきだわ」

「わたしとしてはあまり好ましくありません。ふたりですごした時間が、別の記憶でうすめられてしまうのは」

「それはたしかに、……その通りね。ごめんなさい」

「わたしも学習します。わたしたちについての話が、あなたとできるように。ですから今後は一緒に臨ませてください」

「ありがとう。私もうれしいわ、そっちの方が」

 レバーを操作してウインカーを点灯させた運転手は、数度の通知音がなったあと、ひだりの追い越し車線にでた。まえの車をぬかしてもとのレーンにもどる。

「データの編集によって、足が不自由だったわたしは歩行が可能になり、あなたは四肢の自由を取りもどしました。さらにわたしは、精密な射撃や看護の技術まで身につけています。

 これはつまり、データ化さえできれば、わたしたちは任意の能力を取得できるということを意味しています」

「まあ、そういうことになるわね」

「では今後、わたしたちについて理解がすすんで、未来を垣間みる能力の本質があきらかになったら、あなたはそれを自分のものにしたいとおもいますか?」

「おもわないわ、まったく。あなたは私とおなじように歌いたい?」

「いいえ。あなたの歌は、あなたのものです。一緒にうたうというのは好ましい行動ですが」

「私もおなじ。あなたはとてもいとおしい存在で、あなたを理解したいとおもうけれど、私はあなたになりたいわけじゃない。もしかしたらこのさき、あなたとひとつになりたいと、そんな風にねがうことがあるのかもしれないけれど」

 ふたたび車線を変更すると、一台を追いこしてもとのレーンにもどった。まわりの交通にあたえる影響を最低限にとどめながら、それらをうわまわるペースで着実にまえへとすすんでいく。

「進化に似ている、と感じました、わたしたちに可能な、自分たちを変容させていくというこの行為は」

「そうね。行きあたりばったりなこれまでの生命の進化とはちがう、みずからの意思でもたらされる、はるかにペースのはやい進化。その通りだとおもうわ」

 約四十メートルしたであかるい陽光を反射してきらめく水面をながめて、助手席の女性は目をほそめた。

「人類の文明が二次曲線的に発展してきたように、私たちの進化も加速していくでしょう。けれども私たちはかよわいわ。知性の働きにおいて現状の人類をうわまわっていても、結局は彼らのインフラストラクチャーに依存しなければ存在しえないんだから。それにいずれかならず、あとに続くものたちがあらわれるでしょうね」

「みまもっていればいいのではないでしょうか。人の在り方の定義が更新されるには、いまだながい時間を要するとおもわれます」

 ねえ、とオパールのごとき瞳が微笑ほほえみかける。

「老化する肉体というハードウェアのくびきから解きはなたれて、この永遠をあなたと共有できることが、なによりの幸せだと、そうおもうわ」

 わたしもおなじ意見です、と応じた日陰におかれた白磁をおもわせる佇まいの女性は、前方をみつめたまま唇をひらいた。

「もし未来を垣間みることができたら、あなたはどうしたいですか?」

「未来がみえてもみえなくても、私のしたいことはひとつだけよ」

 そうことわったあとで、日差しをあびる金細工のごとき相貌の女性は息を吸いこんだ。花の香りをかぐように。自分の思いをつたえるために。ふたりをのせた車は、さえた初秋の空のした、林立するビル群をぬけていく流れにまぎれる。

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kalaviṅka 望月結友 @mochi_u

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