旨いメシマズ
脳幹 まこと
あなたの夕飯は何ですか?
勘違いしないでほしい。
ウチの智美は決してメシマズ……作る手料理がどれもこれも不味いなんてわけじゃあない。
むしろ、風味は優れている方だと思う。香りだって良い。味見だってする。
出汁だって取るし、灰汁だって取るんだ。それなりの手間はかけてる。
彼女は性格だっていいんだ。食べたくなければ、取り下げてもらえる。「別に気に病むことでもない」と言ってくれる。好みは人それぞれだってことを分かっているから、自分の考えを強制したりもしない。
だから、面と向かって「料理が下手」なんて言われると、正直カチンとくる。
ああ、身勝手なのは俺の方だよ。こんなに恵まれているはずなのに、愚痴を吐かずにはいられないなんて。
・
智美の料理を初めて見たのは、付き合って三ヶ月程して、初めて彼女の部屋に誘われた時のことだった。
関係が進展して高揚していた俺は、その場のノリで「料理を作ってくれないか」と言ったのだ。当時の智美は静かに微笑みだけ浮かべて、台所へ向かった。
手伝おうとも思ったが、彼女の部屋には初めて上がったばかりだし、包丁すらまともに握ったことのない俺がでしゃばったところで、余計な手間を増やすだけだと諦めた。
十五分ほどすると、香ばしい良い匂いが漂ってきた。これは、期待できそうだ。
「おまちどおさま」
それは、白と茶色の混ざった何かだった。
おかずとして作ったらしいが、満遍なくどろどろになっており、箸で持ち上げることも出来なかった。
手元に置かれたレンゲを使って掬ってみて、匂いを改めて確認する。
「どうしたの。毒なんて入っていないわよ」
苦笑気味に言われ、申し訳なさでいっぱいになる。
レンゲでズズズと啜るように食べてみてようやく、これが世間一般で麻婆豆腐と呼ばれているものだと言う事が分かった。
味は間違いなく旨い。香りも申し分ない。豆板醤と山椒も良い具合に効いている。なのに、肝心の豆腐もひき肉も、すべて細かく崩れてしまっている。
「どう?」と訊いてきた彼女に、俺はなんと言い訳したのだったか……
・
その後も智美の作る料理は、その一点だけが欠けていた。
橙色と黄土色の何かとなった肉じゃが。
赤い粘液となり果てたミネストローネ。
食べている部位が親なのか子なのかも分からない親子丼。
彼女は食材に恨みでもあるのだろうかと思う位には、すべての具材がミキサーにかけられたようにどろどろなのだった。
その中で俺は摩耗していった。一番きついのは、昼食で外食した時に、原型をとどめた料理が出されることだった。否が応でも食感を楽しまなくてはならなくなるからだ。
うっかり豚カツなんて頼んだ日には目も当てられない。衣のサクサクという音、肉が本来持つ歯ごたえを十二分に楽しむことになる。こんなの味わったら、もう流動食まがいには戻れなくなってしまう。その日の帰り、俺は電車の中で静かに泣いたよ。
無論、断ることも出来た。冒頭の通り、彼女は「好みは人それぞれ」ということを知っていたから、少し切なげな顔をしながら、自分の分だけ作って啜るんだ。
好きな女と食卓を囲っているのに、こちらだけ、コンビニ弁当を食わなきゃならない気持ちが分かるか。
「今日は美味しく出来たな……」なんて一人呟くように語られるんだ。俺にはそれが呪詛のように感じられて仕方がなかった。
でも、申し訳ないと思いながらも、やっぱり手は伸ばせなかった。
おかずどころか、主食すらもどろどろな有り様じゃあ、こちらの精神が参ってしまうことを知っていたから。
ご飯が粥で、パンがオートミールみたいになってる状況じゃあ、言わずもがなだろ。
・
そして俺と智美は結婚した。
料理のこと以外なら、彼女は完璧と言っても良い。
まあ、見てくれこそは世俗受けはしないだろうが、それも俺好みだから問題はなかった。
昨日がちょうど一年目の結婚記念日。あいつは盛大に用意してくれたよ。
『腕に寄りをかけて作ります。早く帰ってきてね』
メールでそんな文章送られてみろ。大体の男は屈するぜ?
いくら、普段がああでも――別に普段も文句はないが、それでも、昨日の仕事中はずっと浮かれていたものさ。
そのせいで会社中の男から小突かれる羽目にはなったけど、全然悪い気なんてしなかった。
今日は何を買ってきてやろうか。いっそのこと、ダイヤとかはどうかなんて張り切っていたものさ。
約束通り定時で上がって、プレゼントを買うのに少し時間をかけたが、それでも午後八時には自宅に戻れた。
ドアを開いた先には、普段とは異なる、飾りの付いた廊下。
せっせと準備していたのだと思って、ここでもう半泣きになっていた。
居間の机には白のテーブルクロス。壁には精一杯の愛情表現。
「ワイン、冷えてるよ」
グラスに注がれる赤ワイン。
机の上にはディナーのフルコース。ケーキはもちろん、クリスマスでもないのにターキーまである。
喜ばしいことだった。でも悲しいことでもあった。
俺の涙は既に乾ききっていたんだ。
お互いに向かい合い、労をねぎらう。
「いただきます」
智美はそう言うと、スプーンで皿の中身を掬い始めたんだ。
悲しいよ。俺とお前は同じものを食べているはずなのにな。夫婦って経験を共有し合うものだと思い込んでいたからさ。
お前は俺に配慮してくれてるんだよな。だから俺の方だけ、形を遺してくれたんだろう?
そう思って、俺は向かい側の料理を見てみる。
クリームとスポンジとイチゴの境界すら分からなくなったケーキ。
輪郭を知らないターキー。
「口に合わなかった?」
液体を口で拭い、心配そうにこちらを見やる嫁。
いいや。そんなことはないんだよ。
きっと美味しいんだろうな。涙が出る程。香りもいいし、見てくれだっていいんだ。
俺の身勝手だってことは分かってる。
でも、記念日くらい。二人で同じものを食べたかったよ。
――だから、明日。そのことを愚痴にするね。
胸の中に去来する思いを堪えながら、俺は智美と同じもの――皿に盛られたシャトーブリアンにナイフを入れたのさ。
旨いメシマズ 脳幹 まこと @ReviveSoul
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