第6話
宿に到着すると、一人で先に撮影予定の桜を見させてもらう。
障子を開けると目に飛びこんでくる枝垂桜。苔むした中庭にどっしりと根差したその老木は、樹齢一体何年になるのか、節くれだった太い幹からは年月を積み重ねた重厚さが感じられ、そよ吹く風に柔らかに揺れる花々は繊細で神秘的だ。荘厳な雰囲気に圧倒される。
緩やかに舞い落ちる花びらは、そのまま時を止めてしまいたいほどに美しく、思わず息を呑む。
いやでも緊張が増してくる。
こんな圧倒的な存在感の桜の前で撮られるなんて……。
「うわ~! すご~い!」
背後からの咲のはしゃぐ声がその緊迫感を破る。
「琴、着物預かってきたよ。すっごく素敵だよ!」
咲と先輩たちが入ってきて着物を広げて見せてくれる。
品のある高貴さ漂う京紫の地に艶やかな辻が花。裾へむけて深い瑠璃紺へのグラデーションがかかっていて、目前の枝垂桜にも見劣りしない華やかさがある。
どうしよう。こんなの、着こなす自信ないよ。
「琴ったら。このメンバーだと、いつものクールな仮面が剥がれて本心だだ洩れだね」
言われて自分が装っていないことに気づく。咲以外の人前でこんなにコントロールできないことなんて、今までなかったのに……。こんな調子でモデルなんてできるんだろうか。
宿の人に着付けてもらった着物はちょっと窮屈で、背筋がシャンとするような感覚を運んでくる。髪も結い上げてもらい、緊張しながら撮影する部屋へ移動する。
「かなり緊張しているね」
ふわっと優しく微笑んだ要先輩が出迎えて、立ち位置まで案内してくれる。そしてカメラのところへ戻ると、部屋の隅にいる咲に声をかけた。
「咲ちゃん、普段通りにおしゃべりしてあげてくれるかな」
「え? しゃべってていいんですか?」
「かまわないよ。いつもの様子が撮りたいから」
最初は緊張していたけれど、咲とおしゃべりしながらなので、何枚も撮られているうちに段々気にならなくなってきた。時々、身体の向きや手の仕草を指示するほかは、要先輩も会話に入ってくる。いつもの昼休みと変わらないおしゃべり。
「ええ? あのジンクス、要先輩が流したんですか?」
「二人がずっとラブラブだからかと思ってました」
「だから信憑性が増しただろ? 虫よけは何重にもしておくにこしたことはないと思ってね」
「
そんなことまでしてたなんて驚きだ。やっぱり侮れない。
ゆったりと撮影を続けてしばらくすると、何の前触れもなく樹先輩と咲が部屋から出ていった。
二人がいなくなると、とたんに不安になる。
要先輩は知らん顔で撮り続けている。
そして落とされた爆弾発言。
「琴音ちゃんのコンプレックス。その容姿だからこそ受けてきた心の傷と、得てきた友情があるだろう? そういうのもひっくるめて、君が好きだ」
え?
突然の告白に、どう反応していいかわからない。いつもなら即答で断るけれど、どぎまぎして答えられない自分がいる。私は……?
「今すぐ返事しなくてもかまわないよ」
そのまま撮り続けながら言葉を続ける。
「斜め後ろを向いて月を見上げて」
指示通り振り返り見上げる。まんまるな月はさっきよりもかなり高い位置に昇って桜を照らしている。
「咲ちゃんの写真を撮ったあの時、自分の気持ちに気づいたんだ」
「でも、その後どっちかというと、酷いところばかり見せてませんでしたか?」
思わず訊いてしまう。
「先に最悪なところ見せちゃった方が、普通のこともよく見えるだろ?」
確かに。
写真をネットに流したときは最低だと思った。
「意味あり気な行動で興味を持ってもらおうとしたんだ。男に関心がない君の興味をひくにはインパクトのあることをしないとね?」
その通りだ。いつもつかみどころのなさにイライラした。つまり、意識させられたわけね。なんだかまんまと術中にはまったような……。
「今回、私が撮影に応じなかったらどうするつもりだったんですか?」
「もちろん口説き落とすつもりだったよ。君以外で撮るつもりはなかったから」
それだけ言うと、後はしゃべらなくなってしまった。黙々と進む撮影。
真剣な眼でじっと見つめられて、心の中まで見透かされそう。
シャッター音だけが響く中、桜の花びらが舞い落ちる。
「ゆっくり振り返って」とか「顎をもう少し下げて」とか低く指示を出すほかは何も言わなくなった先輩が、不意に腕組みして止まってしまう。じっと見つめられて射竦められたように動けない。
「帯、解かせてもらうよ」
え? と思う間もなく近づいてくると、するりと帯紐をほどいてしまう。あまりの暴挙に文句でも言いたいところだけど、真剣な眼差しに何も言えなくなる。
「そのままじっとしてて」
ドキドキしている私に全く頓着せず、するすると帯揚げを解き帯もはずしてしまうと、後ろに回り裾を広げる。数枚撮っては裾の形を変えたり、袖を広げてみたりして、今度は
「髪下ろすね」
と、結い上げた髪も解いてしまった。ブラシを持ってきて優しく梳いて整え、また撮り始める。
無言の撮影が進むにつれて、だんだん身体が火照ってくる。
月明かりでは顔が赤くなっているのまではわからないのが幸い。心臓がどきどき跳ねて、呼吸がままならない。気づかれないようにしたいのに、真っ直ぐに見られている。暗闇の中、先輩の顔なんてはっきり見えないのに、響くシャッター音が、先輩が自分を見つめていることを告げている。
息苦しいほどに見つめられて、心掻き乱される。
ああ、もう、なんだかおかしくなりそう。
撮影が終わると、なんだかもう考えるのにも疲れてしまって放心状態。ぼんやりと桜月を眺めていると、後ろでカタンと音がした。
機材を片づけに行った要先輩が戻ってきたようだ。
振り返ると、じっと見つめてくる。
「琴音ちゃん」
そして両手を広げてみせる。返事は急がないって言ったくせに。
きっとさっきの撮影でバレバレだったのね。
ああ、もう!
この落とされちゃった感。たまらなく悔しいんだけど!
それなのに。
きっと私は今、誰にも見せたことのない極上の笑顔で微笑み返してる。
「はい」
小さく返事をして、広げられた腕の中へ飛びこんだ。
桜月夜に惑わされ……。
桜月夜に惑わされ 楠秋生 @yunikon
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