個人史はSFになりうるか?

板野さんがSF競作として宣伝されていたので興味を持って拝読しました。

合成音声のモデルとなった今は亡き女性の元夫による述懐。
という掌編として捉えれば、話の筋は通っていて面白いのですが……。

「SF」として見ると、うーん、と首をかしげる部分もあります。

何が「うーん」なのか、大きく二点にわけてご説明します。

一点目は、サイエンス・フィクションとして読者を納得させる理屈付けの欠落です。
個人の肉声をもとにした合成音声というのは、恐らくボーカロイドあたりから着想を得たのではないかと思いますが。
しかし、なぜ、声優や芸能人でもなく、地方訛りもある一般人の声が、全世界で使用する合成音声のモデルとなりえたのか?
読者が当然抱くであろうその疑問について、作中にエクスキューズがありません。

SFとは技術史です。作中に出てくるサイエンス要素については納得のいく説明が必要です。
現代人の目から見て不可思議に思えるモノであればあるほど、なぜその世界でそれが受け入れられるに至ったのか、読者を唸らせる説明が作者には求められるんですね。
その点、この作品では、物語の根幹であるはずの「コニーという個人の声が全世界の自動音声のスタンダードとなった」という出来事に筋を通す説明が欠落しており、「作者がそう決めたからそうなのだ」としか受け取れない内容になっています。
これでは、何歩か譲って「すこしふしぎ」なショートショートとしては成立の余地があるとしても、「サイエンス・フィクション」にはならないんです。

二点目は、話のスケールの小ささ、そしてそれに起因する「問題提起の欠落」です。
作中、コニーの声が世界に溢れることを悲観的に受け止める者が元夫しかおらず、世界の話ではなく彼個人の話になっています。
小説として間違いではありませんが、SFとしては決して面白くはない構成です。
良質のSFとは、作中で描かれる未来が果たしてユートピアなのかディストピアなのか、読者一人一人に判断が委ねられ、どのような受け止め方も許容される「問題提起」となっている作品のことではないでしょうか。
その点、この作品は、元夫の個人的見解を通じてしか読者が世界に迫ることができず、いわば、ただ一つの受け取り方をあらかじめ提示されてしまっているのです。
端的に言うと「ダンナさん、かわいそう」で感想が終わってしまうんですね。
世界全体にとってコニーの声は是なのか?非なのか? といったスケールの話にどうにかして発展させないと、SFとして名作にはならないのです。

と、厳しいことを書きましたが、これはあくまで「SF」として見れば、の話です。
「個人の身に起こった少し不思議な出来事の話」として見れば十分に面白かったです。作者さんの得意分野も活かされていますしね。
最後、セックスロボットの方面に話題が飛ぶのは、好みが分かれる部分だとは思いますが。個人的にはそのくだりは無い方が話がスッキリしていいと思いました。

その他のおすすめレビュー

@k_keisukeさんの他のおすすめレビュー4