第7話 外国語こわい
――――――せんせー、外国人ってなんで日本語を話さないの?みんな同じ言葉喋ればいいのに……なんで色んな言葉喋るの?
――――――みんな生まれた場所が違うからよ。
――――――どういうこと?
――――――例えば××ちゃんが世界中のみんなと伝言ゲームを始めました。最初××ちゃんが話したことを70億人目に聞いた子が全く同じことを話すかな?
――――――うーん、話さないと思う。
――――――この間、バスのなかでやった7人の時でも違ったものね。
当時の担当教諭はそう言ってほほ笑んだ。幼い私はなおも理解できなかった。12歳で完成するという未熟な脳ではこの問題の本質も理解できていなかった。故にこの問題はいつしか私の記憶の片隅にしまい込まれ、その
ちょうど今日までは。
「へー、このみん、外大に行きたいんだ!知ってた、ダービー?」
私を因縁の対決のように称する、今ドキ女子の
「初耳」
氷が溶けて味の薄くなったジンジャーエールをストローを使い、口に通水する。ずずず、と音を立てて干上がった底を眺めると、店内の音楽がやけに大きく聞こえた。これはジャズだろうか、ボサノヴァだろうか。音楽はあまり詳しくない。
「あんまり……その、恥ずかしくて、みんなに……言ってないんだけど」
耳を赤くして口をぎゅっとつぐむクラスメイト、加藤このみは御覧の通り極度の恥ずかしがり屋である。固く握った両手を膝の上に置き、伏し目がちに口を開いた。
「あの……周りに、言わないでね」
「えー?なんでー?恥ずかしがることないじゃん、立派な目標だよ」
あの加藤このみが外国語に興味があるとは思わなかった。もっとも彼女は理系脳だと思っていたし、何より先般の模試では数学科目で全国二位だったはずだ。なぜ言語の道に進もうと思ったのか、少し気になる。
「その……外国人ってこわくて、ほら、私ってこんな内気な性格だから……上手く会話できなくて。私なんかが外大って……思われないかなって」
「このみんってば気にしすぎだよ」
「本当に英語だって……大した点数とってないし」
「多分だけどアタシよりいいよ」
私は希美の言葉に頷く。
「ううん、でもやっぱり苦手なの……外国人を前にすると、あ、外国語話してこられる…!みたいな感じで……」
「ふうん、でも外大行きたいなんて変わってるね」
「こういう自分を変えたいから、敢えて……」
いわゆる大学デビューというものだろうか、少し意味合いが違う気もするが近からず遠からずか。大学に行って劇的に変わった彼女も見てみたい気がするが、全くその姿が想像できない。三点リーダーを多用したような話し方を変えれば、あるいはなんとかなるかもしれない。何にせよ自身の苦手分野を克服したいという気概は素晴らしいと思う。
「でも大学で変わりたいだけだから……、今は……こわい」
「ふーん……」
希美の空返事に私は妙な予感を感じる。素っ気無い返事をするときは決まっていつも何か考え事をしている時だ。彼女の目線を静かに追ってみた。店内に飾られているオーナメントか、いやその先のカウンターか。そうでなければ―——店主らしい黒人の男性か。ツルツルのスキンヘッドに無精ひげをしっかりと蓄えた屈強な男がそこにいた。朧気ながら希美の考えていることが分かってきたような気がする。
「アタシちょっとトイレ行ってくるね」
席を立つ彼女は笑みがこぼれていた。間違いない。あの店主に外国語を話させようとしているのだ。自分が話したいわけじゃない。他でもない、加藤このみと話をさせるためだ。
彼女は加藤このみに見えない位置で店主に耳打ちをする。どうやら日本語は話せるらしい。店主は初めこそおどけた様子を見せていたが、事態が飲み込めたのか、任せろとでも言うように力強いウインクを返した。
それから店主はキッチンの中に消えたかと思いきや、一杯のコーヒーを乗せたシルバートレーを手にこっちに向かってくる。
そして私たち二人の座る席の前に立つと、加藤このみに向かってその大きな口を開いた。
"Won't you have another cup of coffee?"
流暢な英語が加藤このみの脳天を貫く。
私には英語だということは分かったが、アナザーとカフィーしか単語を聞き取れなかった。しかし、この状況なら理解に難くないだろうか。
"Please...please with cleam on top".
鈴木このみは酷く緊張した面持ちだったが、何とか答えたようだった。ようだった、というのは彼女の英語もまた流暢でよく内容が分からなかったのだ。ただクリームという言葉は聞き取れたので、クリームをつけるようお願いしたのだろう。
店主は顎をさすって感心したような目で彼女を見た。しかし、その目は彼女の英語力に感嘆する目ではなく、見習い弟子を受け入れる師範代の目つきであった。
"
店主が口を動かすのと同時に何かを意味するらしい音声が聞こえた。口の動きと連動しているその音声は店主の言葉だったようだが私には全く理解できなかった。だが、なぜだろう。店内の音楽と融和しているようにも聞こえた。
"
加藤このみはそう答えた。今度は狼狽えることなく、店主の言葉に続く。店主は目を丸くし、ほおと息をつく。そして、一瞬のうちに目の色を変えた。
そして―――。
「
「
街中で度々耳にする、中国語だった。
しかし、加藤このみはそれをも華麗に対応したらしい。店主は"Fantastic..."と声を漏らし、「参ったよ」というようにニンマリと笑みを浮かべて加藤このみに握手を求めた。彼女は戸惑った様子でぎこちなくその手を握った。
一体、彼女は何者なのか。数学の全国模試二位の理系人間ではなかったのか。
私はその場から音を立てず去ると、希美の横に立った。
「希美。どういうこと?」
「いやアタシに聞かれても……このみん、凄すぎだよ」
希美は加藤このみに羨望の眼差しを向けていた。渡した『まんじゅう』がまさかこんな結果を生むとは彼女も予想だにしていなかっただろう。
「数学で全国二位をとる実力もあるのに、外国語もできるなんて凄い」
「数学?あれ、古典じゃなかったっけ?」
さて私たちは何億人目の伝言を聞いたのだろうか。
加藤このみは素性はよく分からない。
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