第20話運命の出会い

期末試験が終わり一息ついた優花里は、今までに4回も見た不思議な[夢]のことを考えていた。幼女や女性が危難に遭遇している[夢]を見た時、必ず金属板が光を放つ。それを強く握ると時空を超え、12人の武将に命じ幼女や女性を助け出している自分が何者であるかがわからない。やはり、4月に朱美と訪れた蚕影神社で体験した出来事に何か秘密があるのではないか・・・


12月15日(日曜日)の午後、祖母に連れられて優花里は優樹と一緒に1945年8月2日の八王子空襲で亡くなった家族と従業員の墓参りのために八王子市散田町にある真覚寺を訪れた。本来なら八王子空襲があった8月2日に家族揃って墓参りをするのであるが、今年は祖母の体調があまり芳しくなかったので8月2日は両親だけで墓参りを済ませ、祖母と優花里、優樹の墓参りは延び延びになっていた。この寒い中、あえて無理をすることもない、という家族の意向もあったのだが、年内には墓参りを済ませておきたいとの祖母の強い意志で出かけることになったのである。


「誰も信じてくれそうにないから今まで誰にも話さなかったけど、今話しておかないともう機会がないかもしれないから・・・」

帰宅後、優花里が居間でくつろいでいると古いアルバムを抱えた祖母が入ってきて、優花里の正面に座る。祖母は八王子空襲の時に体験した不思議な出来事を優花里に語り始めた。

「深夜の空襲だったので逃げ遅れた私は炎の中に1人取り残され、泣きながら必死に助けを求めていた。すると空中から光が差し込み、12人の眷族を従えた少女が現れた。青い光が走ったかと思うと眷族の1人が私の前に降りてきて、すぐに私を抱きかかえて安全な場所まで連れて行ってくれたので私は助かった。だけど、燃える家の中からそこまでどのようにして連れてこられたのか全くわからない。暫くすると久平のおじいさんが来てくれて、父親が復員するまで久平家で大切に育てられた。しかも、光の中に現れた少女は、年格好が今の優花里ちゃんにそっくりだった・・・」

優花里が成長するに従い、[光の中の少女]に次第に似てきたことを祖母は不思議に思っていたのである。祖母は過去の記憶を正確に辿ろうとするかのように、ゆっくりとしっかりした口調で話していた。優花里は愕然とした。祖母が語った話は、以前気を失った時に見た[夢]と同じ内容である。

「その頃の私の写真だけど」

(あっ!)

話が終わると祖母は傍らに置いたアルバムを開き、優花里に1枚の写真を見せた。アルバムの写真には毎晩のように夢に出てきた幼女が映っており、優花里は驚きのあまり言葉を失ってしまう。

(おばあちゃんを助けたのは私?)

祖母の話は優花里の理解を超えていた。


八王子空襲で燃える家の中から幼女を助け出した最初の[夢]は、幼き日の祖母の記憶と完全に一致している。本当に信じ難いことだが、68年前の敗戦間際に実際に起きた出来事なのだろう。そうであれば、検証のしようがないものの、残りの[夢]も実際に起きた出来事である可能性を否定できない。縣氏が朱美に話していたヌクテによる乎獲居暗殺も事実に違いない。ヌクテが乎獲居を暗殺した後、出奔したと[夢]の中で縣朝将が確かに語っていた。そして、縣次任がヌクテの子孫だということも・・・

(もう一度蚕影神社に行ってみよう。このネックレスがあれば、今度はメッセージがはっきりと聞き取れるかもしれない)


12月22日(日曜日)、優花里は諏訪神社を訪れた。蚕影神社の前に立つと、再び[懐かしい暖かい光]に包まれた。

「私はコカゲ。あなたの始祖」

光の中から女性の声がする。今回ははっきりと声を聞き取ることができる。人物の姿が次第に明確になり、物静かな女性が現れた。彼女が着ている服は[つくば市神郡旧家解体・記録保存調査報告書]に掲載されていた復元案とほぼ同じもので、その服には祖母からもらったネックレスの金属板と同じ模様が施されている。

「ありがとう。私の徴を身に付けてくれて」

コカゲは優花里が身に付けているネックレスを見て微笑む。

「あなたにお話ししたいことがあります。しかし、ここは豊浦から距離があり、長い時間お話しすることができません。私が住まう豊浦の蚕影山神社まで来てください」

コカゲは優花里に告げた。優花里は何が起きているのか理解できずに茫然と立ち尽くしているのみであった。

「クンビーラ」

「はっ」

コカゲが呼ぶと、優花里の後ろから聞き慣れた男性の声がする。驚いた優花里が後ろを振り向くと、そこには聡史が片膝を突いていた。そこにいたのは姿かたちは聡史そのものだが、いつものいい加減でだらしのない聡史ではなく、片膝を突いていても威厳さえ感じる全く別人の聡史であった。

「姫を頼みます」

「御意」

コカゲの命に聡史は静かに答える。

「姫、蚕影山神社でお会いましょう・・・」

コカゲの声を聞いた優花里が振り返るとコカゲの姿は徐々に消えつつあった。

「姫君、明日、12月23日の朝10時、明神町の東京都八王子合同庁舎の正門前でお待ちしてます。豊浦までお連れします」

聡史は片膝を突いたまま淡々と話す。

「先生、立って・・・」

混乱したままの優花里がかろうじて聡史に語りかけると、聡史は黙って立ち上がり、一礼した後に去って行った。


12月23日(月曜日)、優花里が東京都八王子合同庁舎の正門前に着くと既に聡史は来ていた。今日の聡史もこれまで学園で接してきた普段の聡史ではない。まるで主君に仕える武人のような威厳がある。聡史が優花里を車に乗せ走り出し、国道20号に入ると前後に2台ずつ単車がついてくる(YAMAHA FZR400RRSPの他、YAMAHA TZR250SPR、HONDA VFR400R-NC30(SPユニット付)及びHONDA NSR250R-MC28-SP)。右前方を走る単車は以前八王子城で見た。ライダーのヘルメットにも見覚えがある。あれは久平将史だ。

「先生、あれは何?」

優花里は訝しくなり聡史に聞いた。

「護衛の者達です」

「護衛?」

優花里は唖然とする。

「我々は今まで悟られることなく姫君を見守ってきました。ですが姫君がコカゲ様にお会いになられた以上、既に我々には隠れる必要がありません」

聡史は運転しながら淡々と答える。

(そう言えば、小さい時、自転車で転んで怪我をしたら近くにいたおじさんがすぐに手当てをしてくれた。海で溺れかけた時にもすぐに助けられた。中学生の時、朱美と一緒に出かけた夏祭りの屋台でヤンキーに絡まれたら近くにいた青年が間髪いれず助けてくれた。他にも色々な危険な場面で私は誰かに必ず助けられてきた。八王子城の時も・・・あいつも先生も久平・・・)

「あなた達、私を見張ってたの!それに気安く姫君、姫君って言わないでよ!」

これまで絶えず[監視]されていたことに怒った優花里はブチ切れて怒鳴ったが、優花里のことなど無視するかのように聡史は黙ったまま車を運転している。

「車から降ろしてよ!」

怒鳴りながら優花里は聡史の胸ぐらをつかみ、髪を引っ張る。それでも聡史が車を止めないので、段々エスカレートした優花里は勢い余って聡史の鼻を強打してしまった。聡史は鼻血を出すが表情を変えない。

「先生、ごめんなさい」

優花里もさすがにしまったと思い聡史に謝る。

「姫君の御怒りはごもっともです。ですが、コカゲ様のお話だけは聞いてください」

聡史は車を走らせたまま静かに語った。しかし、優花里は怒りが収まらない。


豊浦に着き、歩いて蚕影山神社の本殿まで進むと、優花里と聡史は[懐かしい暖かい光]に包まれ、その光の中からコカゲが現れた。

「ありがとう、クンビーラ」

コカゲは聡史を労う。

「アーディティヤ十二将筆頭も姫には形無しですね」

衣服と髪が乱れ鼻血を出したままの聡史の姿を見て、コカゲは静かに微笑んだ。聡史はコカゲに黙ったまま一礼すると、その場を去った。

(クンビーラとアーディティヤ十二将・・・[夢]に出てきた12人の武将だ・・・)

優花里はこれまでに見た[夢]を思い出した。

「お話ししたいことは・・・」

コカゲが語り始めた。それは旧仲国の絹織物の技術とそれによる繁栄、漢との戦い、王宮からの脱出、豊浦郷までの航海、豊浦郷や関東各地での絹織物の生産再開等々、優花里の想像を絶するものであった。話の内容は金色姫伝説に類似してはいるが、内容は遥かに壮大で具体的だ。コカゲは大勢の犠牲者を出してこの地に伝え、一旦は関東各地に根を下ろし人々の暮らしを豊かにすることができた技術が倭の侵略により根絶やしにされてしまったことを嘆く。

「あなたは特別な人。私の継承者を護り、旧仲国の絹織物を復活させる力があります。あなたの周りにはアーディティヤ十二将の1人、クンビーラの子孫である久平一族と復活したアーディティヤ十二将がいます。私達の良き理解者であり最大の協力者であったアガタ一族の末裔もいます。彼らと共に私の継承者を護り、旧仲国の絹織物を復活させてください・・・姫、私はいつもこの地にいます。何かあればこの地に来てください。次の機会を楽しみにしています・・・」

話が終わると、コカゲの姿は静かに消えていった。

「ちょっと待って、何故私でなければならないの?」

優花里が問いかけても、既にコカゲの姿は消えている。優花里は釈然としない。

(だけど・・・コカゲさんが着てた着物がここの旧家で発見されたものであるなら、あの着物の謎は全て説明できる。この模様はコカゲさんの紋章。その紋章が標されたネックレスの金属板も、コカゲさんの子孫が私に至るまで代々受け継いできたものなのだろう。私の名字の豊浦もここに由来するものだろうし・・・何より、コカゲさんは私の目の前に現れ語りかけてきたし、私はアーディティヤ十二将と一緒におばあちゃん達を助けた。受け入れるしかないのか・・・それにアガタ一族って・・・何も知らなかったのは私だけなのかな・・・)


蚕影山神社の下では、聡史と護衛の4人が待っていた。優花里の姿が見えると5人は一斉に片膝を突く。

「先生は・・・クンビーラなの?」

「はい」

聡史は答える。これまで優花里の[夢]に現れたクンビーラは、他のアーディティヤ十二将と同様、精悍な青年武将であり、確かに風貌は聡史に似ているものの、いい加減でだらしない聡史とは全く別人のようであった。しかし、今、優花里の目の前で片膝を突いている聡史はクンビーラそのものである。

(久平君・・・あなたの護るべき人って・・・)

優花里は片膝を突いたままの将史を見つめる。

「先生、さっきは乱暴してごめんなさい・・・みんな立って。人が見てるかもしれないから・・・帰りましょう」

5人は立ち上がり、優花里を連れて帰路についた。


「コカゲさんが話してくれたこと、もう一度聞かせてください」

帰路の車中で、優花里は聡史に頼んだ。

「コカゲ様と視点が違うかもしれませんが・・・」

聡史は前置きして、クンビーラとして体験したことを優花里に語り始めた。コカゲが話したことに加えて、漢との壮絶な戦いで自分を残して王宮親衛隊第2大隊ヴァイシュラヴァナが隊長以下全滅したこと、隊長のバイシャジャからコカゲ達の守護を託されたこと、航海の途上でまだ20歳だというのに旧仲国の絹織物を平和な土地で再び生産しようとするコカゲの熱意に触れコカゲに絶対的な忠誠を誓ったこと、異国から流れ着いた我々を豊浦郷の人々が暖かく迎え入れてくれたこと、絹織物の生産再開にアガタ一族が尽力してくれたこと等々・・・

「アガタ一族って・・・朱美も先生達の仲間なの?」

「朱美殿は何も御存知ありません。観応2年2月26日(新暦で1351年3月24日)、上杉能憲により高師直殿をはじめ高氏一族は殺害されましたが、師直殿と行動を共にしていた縣一族はこの観応の擾乱に巻き込まれて一族の大部分を失い壊滅状態になり、その12年後の貞治元年12月25日(新暦で1363年1月10日)には縣下野入道殿が訴訟に敗れて縣郷を失ってしまいました。縣下野入道殿は筆頭郎党の島左衛門尉殿に身を寄せることになりますが、その後、縣一族は何処かに去ってしまいます。それ以来、我々も永い間縣一族の所在を確認できずにいました。朱美殿と朱美殿の御兄上様である舜輔殿が初めてアガタ一族の末裔として確認できたのはほぼ1年前、今年の1月です。6年前に朱美殿が姫君の御学友になられて以来、朱美殿は姫君と常に御一緒でいられる。これは全くの偶然です。現時点では朱美殿と舜輔殿以外のアガタ一族は残念ながら確認できてませんが、アガタ一族は我々臣下の者とは異なり、かつてのように対等な立場で姫君に協力してくれるはずです。朱美殿の御母堂様が蚕糸工学の権威であることを考えれば、姫君はコカゲ様のおっしゃるとおり、旧仲国の絹織物を復活させることができる特別な人なのです」

「先生、縣さんはどうなんですか?」

「有力な候補者として調査中です」

「でも、名字は縣だし、いろんな伝承を受け継いでるって、期末試験の前に朱美から聞きましたけど?」

「他者の名字を使い伝承を取り込んだ後に、その名字と伝承があたかも自分自身のものであるかのように思い込み振る舞ってしまうことはよくあることです。名字と伝承だけでは要件を満たしません。ただ、個人的には確実だと考えてます。この御時世に国家公務員、しかも霞が関の官僚という安定した地位を捨てて故郷の復興に尽力するなど、並大抵のことではありません。それを当たり前の如く自然にしてしまう。大学を休学してまで東北の復興に心血を注いでいる舜輔殿同様、縣殿にもアガタ一族の熱い血が流れてるんでしょう」

「そうですよね、きっと・・・」


=====

Episode 5  旧仲国からの脱出


旧仲国は最上質の絹織物を生産していた。長安でも非常に高値で取引されており、時の皇帝(成帝(劉驁)。在位BC33年~7年)も贔屓にしていた。だだし、その技術は王室の管理下にあり門外不出であった。前漢の呉国は鉄と塩の産地が領内にあったことから、民衆に税をかける必要が無い程に富んでいたと言われている。旧仲国も呉国と同様に絹織物の専売で王室は莫大な富を得ており、その分国民の税負担は軽く、国は豊かに栄えていた。


河平4年(紀元前25年)の初夏、漢帝国の首都長安から新たに赴任してきた交趾郡郡太守劉延は、突然旧仲国王リンエに絹織物に関する技術の供出を命じた。劉延は品質で旧仲国産の絹織物に対抗できない長安の絹織物業者と癒着しており、交趾郡郡太守に任命されたことをきっかけに、旧仲国の絹織物技術を手に入れようとしたのである。実際、交趾郡郡太守の任命も長安の絹織物業者が裏に手をまわした結果であった。劉延は、旧仲国が絹織物技術を供出すればそれでよいし、供出しなくてもそれを理由に旧仲国そのものを滅ぼせば長安の絹織物業者の邪魔がいなくなるのでそれでもよしと考えていた。王室の重要な収入源である絹織物の技術を手放したくないリンエ王は、供出したとしても簡単に模倣できるものでもなく、まして供出を拒めば漢との戦争になり元も子もないとする大臣達の反対を押し切り、劉延に対して正式に供出を拒否した。


リンエ王に技術供出を拒否された劉延は、当初からの計画どおりに旧仲国に討伐軍を派遣した。緒戦、旧仲国軍は地の利を生かして善戦し討伐軍に犠牲を強要したものの、討伐軍の圧倒的な兵力の前に善戦空しく各地で撃破され壊走し、ついに王宮を包囲されるに至る。討伐軍による王宮包囲により、王宮は混乱し逃亡者が相次ぎ、リンエ王は自暴自棄に陥るが、娘のコカゲは旧仲国の絹織物を平和な土地で再び生産するために王宮内の養蚕と絹織物に関する書物や蚕と桑、織機を運ぶ輜重と技術者達を港まで護衛するように王宮親衛隊の最精鋭部隊第2大隊ヴァイシュラヴァナの隊長バイシャジャを説得する。当初は王からの命令がない以上勝手に部隊を動かすことはできないとコカゲの懇願を拒否したバイシャジャだが、母親が王宮の機織工だったことから旧仲国の優れた技術を後世に残したいという思いが強く、また、容赦ない討伐軍の王宮攻撃から劉延の目的を見破っていたこともあり、コカゲの熱意に打たれ護衛を承諾する。コカゲの兄ヴァルナが率いる王宮親衛隊第1大隊と第4大隊が国王脱出を演じて討伐軍主力を郊外に誘引し、王宮の包囲が緩んだ一瞬の隙を突いてコカゲ達は王宮を脱出。コカゲ達は古より東の海中にあると言われてきた仙境蓬莱を目指すことになる。


討伐軍主力を郊外に誘引することに成功したヴァルナ率いる王宮親衛隊第1大隊と第4大隊は、やがて圧倒的な兵力に物を言わせた討伐軍に包囲されてしまい第1大隊と第4大隊は多くの死傷者を出し壊滅、ヴァルナは降伏勧告を拒絶して自刃した。また、討伐軍による王宮包囲の中で自暴自棄に陥ったリンエ王も自刃してしまい、リンエ王とヴァルナの死により旧仲国は滅亡し故地は交趾郡に吸収され漢帝国に完全に組み込まれることになった。絹織物に関する技術も王宮の炎上と共に消滅した。


討伐軍の追撃を振り切るためにバイシャジャが採用した戦術は、各小隊を港に至る街道の要所要所に残置して討伐軍を拘束、狙撃により敵の指揮官を倒した後に全員で突撃を敢行し1人でも多くの敵兵を倒すことで、時間稼ぎと敵の指揮命令系統の破壊及び戦意喪失を意図するものであった。このため、王宮からの脱出の過程で第2大隊ヴァイシュラヴァナは次第に数を減らし、港に着いた時には325人の隊員が26人まで消耗していた。アーディティヤ十二将もクンビーラを残すのみとなった。バイシャジャはクンビーラに後事を託し、コカゲと技術者、物資を船に乗せ出港させると港に残された船を全て破壊し、残存の隊員24人と共に迫りくる討伐軍に最後の突撃を敢行する。


長い航海の後、コカゲ達は海中に浮かぶ雄大な島に至る。しかし、蓬莱と思われたその島は西半分が戦乱状態であったため、更に東を目指し、豊浦と呼ばれている平和な土地に辿り着く。その後、コカゲ達は豊浦郷でアガタ一族の支援を受けながら技術者を坂東各地に派遣して列島に養蚕と絹織物技術を伝え広めたのである。

=====


「コカゲさんが言ってた、倭の侵略って・・・」

「466年、乎獲居に率いられた倭の大軍が坂東に侵攻してきました。アガタ一族とクビラ一族は豊浦郷の人々と共に倭軍に抵抗し、一時は日高見国から追い出す寸前まで倭軍を追い詰めましたが、乎獲居の姦計で多くの指揮官を失い組織的な戦闘を継続することができなくなった豊浦勢は敗退し、豊浦郷も倭軍に蹂躙されてしまいました。その時、コカゲ様が旧仲国から運ばれた品々はコカゲ様が召されていた御直衣を除き全てが破壊され遺棄されたのです。この時、姫君が御自害寸前のウツギ様とシラン様を御救いなされたことは御記憶されているかと思います」

「先生、詳しく教えてください、倭の侵略・・・」

「はい」


=====

Episode 6  倭軍の坂東侵攻


466年の春、4万の兵士を擁する倭の大軍がアシガラ峠とコボトケ峠を越えて坂東に侵入する。无射志国(後の武蔵国)北部の豪族、笠原一族がすぐさま倭に恭順の意を表したために相武国(後の相模国の中部地域)・師長国(後の相模国の西部地域)と无射志国における抵抗は散発的なものとなり、倭軍は何ら障害もなくトネ川を渡河して日高見国と捄国の境である絹川に進出するが、絹川渡河の最中に猛烈な攻撃を受け甚大な損害を被る。夥しい犠牲を払いつつ橋頭堡を確保することに成功した倭軍は日高見国南部になだれ込むが、日高見国南部の豪族を主力とする日高見勢とアーディティヤ十二将筆頭のクンビーラから伝授された戦術と武具をより改良・発展させてきたアガタ一族とクビラ一族に率いられ訓練も充実していた豊浦勢で構成された日高見軍の抵抗は熾烈を極め、特に蚕養川の戦いでは日高見軍に半包囲された倭軍は大雨で増水した蚕養川に追い落とされて1日の戦闘で戦死者500、溺死者2000以上という大損害を被るに至る。その後、豊浦勢の執拗な撹乱により兵力を分散させてしまった倭軍は数的優位を活かすことができずに各地で各個撃破されていく。特に豊浦勢は包囲殲滅戦術に徹し、倭軍は至るところで包囲され全滅する部隊が続出した。倭軍が日高見軍に与えた損害は軽微なもので、倭軍は日高見軍の勢いを全く削ぐことができずに損害だけが増えていった。


464年の晩秋、海の道諸国と山の道諸国が倭軍に占領され、以降、倭の強圧的な支配が始まったとの情報が豊浦郷にもたらされた。アガタ一族とクビラ一族は来るべき倭軍との決戦に備え豊浦勢の増強と訓練を開始し、また、倭軍に対する基本戦術を策定する。それは、防御陣地で倭軍を拘束しつつ騎馬弓兵が両翼に攻勢をかけ、二重包囲による殲滅を図るものであった。当時、倭をはじめ各地方の豪族軍は丸木弓を使用していたが、豊浦勢は既に丸木弓の背側に竹を張り付けた伏竹弓の原型とも言うべきものを使用しており、箆の工作精度も優れていた。アガタ一族は豊浦勢の全員に弓を装備させることにより、アウトレンジからの濃密かつ正確な射撃を実現したのである。また、豊浦勢は騎馬による戦いにも長けており、日高見国で開発された蕨手刀を改良した毛抜形蕨手刀を使用することにより、馬上戦闘を有利に行うことができていた。なお、豊浦勢が使用した馬は高志国(後の越後国、越中国、能登国、加賀国及び越前国)から阿賀野川を遡上し会津盆地に入植した新羅系渡来人がもたらしたものであり、この新羅系渡来人経由で伝わった北方騎馬民族の戦術もアガタ一族とクビラ一族に影響を与えている。


絹川を渡河して日高見国南部に侵攻してから1月も経たないうちに、倭軍は8000人の兵が既に討ち取られていた。負傷者や逃亡者を含めれば、日高見国南部に侵攻した乎獲居直属の2万のうち、既に1万3000以上の兵を失う大損害を倭軍は被っている。このままでは日高見国南部を制圧することができないばかりか、日高見軍の果敢な抵抗に励まされた无射志国南部の民衆が各地で武装蜂起し倭軍の補給路を脅かし始めたことで、倭軍は敵中に孤立する危険が生じてきた。日高見国南部から倭軍が駆逐された場合、笠原一族が造反する危険もある。倭軍は損害が日に日に増加するなか、補給が次第に途絶え食料だけでなくあらゆる装備が欠乏してきた。逃亡する兵士も後を絶たない。特に豊浦勢による容赦ない夜襲により兵士の疲労も限界に達していた。


倭軍司令官の乎獲居は一計を案じ、豊浦勢に比べ数は多いものの戦術では格段に劣る日高見勢に偽りの和睦を提案する。アガタ一族とクビラ一族は乎獲居の和睦提案は罠である可能性が高いので無視すべきであり、むしろ无射志国と相武国・師長国の民衆と呼応し倭軍の補給路を遮断し包囲殲滅すべきと主張する。日高見勢の指揮官達は既に倭軍に甚大な損害を与えていることもあり、話を聞かないうちはわからないと主張し、倭軍の本陣に指揮官全員で赴くことを決定してしまう。アガタ一族とクビラ一族は、負傷した者を残し同行することを余儀なくされる。この[負傷者]の中には、負傷したふりをさせて残置した者も含まれていた。


乎獲居以下、倭軍の将官達の振る舞いは極めて友好的であり、和睦案も日高見国にとって有利なものであった。そのため、日高見勢の指揮官達は皆油断し、倭軍が準備していた饗応を受け泥酔したところを倭軍の兵士に斬り込まれ皆殺しにされてしまう。饗応を受けずに倭軍陣内に留まっていたアガタ一族とクビラ一族は異変を察して脱出を図るが既に包囲されており、一族の主だった者の多数を失うことになる。


翌朝、倭軍は一斉攻撃を始める。全ての指揮官を失った日高見勢は統制された行動がとれず総崩れになる。豊浦勢も残されたアガタ一族とクビラ一族だけでは十分な指揮が執れないために後退を余儀なくされ、ついに撃破され敗走を始める。勢いに乗った倭軍は豊浦郷にも侵入するが、戦の狂気に取り憑かれた倭軍兵は破壊の限りを尽くし、コカゲ達が旧仲国から運んできた書物や織機、蚕を海岸線が後退し沼と化していたかつての浦に投げ捨てた。混乱のなか、コカゲの子孫であるウツギ、シラン母娘とクビラ一族の生き残りはクンビーラにより豊浦館から助け出され捄国のイワイに逃れ、アガタ一族は遠縁の一族が居住する毛野国に脱出する。


コカゲ達が辿り着いた平和な土地、豊浦郷は、倭軍の侵攻により旧仲国の絹織物と共に滅亡した。倭の坂東侵略はその後も続き、468年には坂東全域が倭の支配下に入る。技術者達が旧仲国の技術を伝搬した坂東各地も豊浦郷と同じ運命を辿り、コカゲがもたらした旧仲国の養蚕と絹織物の技術は倭の侵略により根絶やしにされてしまったのである。

=====


(あの[夢]も事実だったのか・・・それにしても酷過ぎる・・・)

優花里は一般論としてのヤマト王権の勢力拡大はもちろん知っている。しかし、埋もれた歴史の中にこんな悲劇があろうとは考えたこともない。

「コカゲさんが遺してくれた着物、今何処にあるんですか?」

「コカゲ様の御直衣は、コカゲ様が王宮脱出時に身に付けられていたもので、豊浦家の家宝としてコカゲ様の御子孫が代々受け継いできましたが、弘治2年(1556年)に豊浦家が小田原に移住する際に蚕影山桑林寺の御住職に豊浦帰還の意思表示として預けられました。蚕影山桑林寺は明治時代初期の廃仏毀釈により廃寺となり、寺の建築物が全て破壊されるという混乱の中でコカゲ様の御直衣も散逸してしまい、紆余曲折を経て最終的に神郡の旧家の手に渡りました。しかし、その旧家でも忘れ去られてしまい、永い眠りに就いていた御直衣は2008年に[発見]され、現在は小金井の東京農工大学工学部にある繊維博物館に保管されてます」

(倭の侵略で失われた旧仲国の絹織物技術・・・それでも桔梗さんは復活させようと努力してた。縣一族も桔梗さんに積極的に協力してた・・・桔梗さんだけじゃない、ウツギさんの子孫達は皆同じ思いだったに違いないんだ。私もコカゲさんの後継者である以上、何かしないと・・・でも、私に何ができるんだろう・・・それに、朱美も知らないうちに何か重いもの背負わされてるんだな・・・)

優花里は窓の外の景色を眺めながら考えていた。

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