第12話恵理香様!
「ゆっかりん!夏休みどうだった?」
9月2日(月曜日)、始業式の放課後に部室で図書館から借りてきた日本城郭体系(第4巻 茨城・栃木・群馬)で筑波地方の城址を優花里が調べていると、部室に入ってきた朱美が威勢よく話しかけてきた。
「群馬と長野で10城攻略したよ!これでスコアは68!イヴァーン・コジェドゥーブ(第二次世界大戦における連合軍最多撃墜王)の62を抜いたよ。次の目標はリヒトホーフェン(第一次世界大戦における最多撃墜王)の80だ。今回はね、群馬から始まって最初が箕輪城、次が大胡城、続いて長井坂城、沼田城、それに名胡桃城。長野に入ってから真田城、上田城、小諸城、龍岡城。群馬に戻って松井田城!」
よくぞ聞いてくれましたと、優花里は嬉しそうに答える。優花里は訪れた城址の数を[スコア(撃墜数)]で表すのが常である。
「どうやってそんな遠くのお城を10も・・・」
以外すぎる優花里の返事に朱美は驚いている。
「お父さんが同業の人と親睦を深める、って理由をつけて群馬と長野を車で回ったんだけど、それに便乗したの。お父さん、毎晩のようにお酒飲んでたけどね」
「ゆかりんもお酒飲んでたんじゃないの?」
「まさか?私は酔っ払いと関係なく、ホテルで攻略した城郭の写真や資料の整理してたよ」
優花里は笑いながら答える。
「優花里さん、ちょっと」
紗希が優花里を呼んでいる。
「何、紗希ちゃん」
「理恵さんから聞いたけど、練習だけの約束で陸上部に入ったんだって?」
(しまった!言うの忘れてた!)
「紗希ちゃん、ごめん、てっきり言うの忘れてて・・・」
「責めてるんじゃないのよ。理恵さんが喜んでたからね、よかったな、って」
「???」
「6月の中旬頃からね、理恵さん、優花里さんが陸上部に来ないかな、ってしきりに言ってたのよ」
「そうなの?」
「結果、良かったんじゃないの?長谷川さんと五十嵐さんも喜んでるみたいだし」
「紗希ちゃん・・・」
「相変わらず我が道を行く、だね」
紗希は笑っていた。
「優花里、いる?」
9月21日(土曜日)の放課後、けたたましくドアを叩く音がしたと同時に、恵理香が部室に入って来た。
(あっ、恵理香様だ!)
1年生達がキラキラした瞳で恵理香を見つめている。
(何だ?この視線・・・)
自分に向けられた熱い視線を奇異に感じた恵理香は、それを無視するかのように優花里に紙袋を渡した。
「これ、この前預かったシューズ。修理できたよ」
「ありがとう、恵理香!これで来週からまともな練習ができるよ」
(何だか居心地悪いな・・・早く練習に戻ろう・・・)
「これこれ!すごいことになったよね!2000年前にベトナムから織機が渡来してたなんてね!しかも、未知の織機の可能性があるんでしょ!誰が持ってきたのかな?この人達も私達の祖先なのかな?」
自分の挙動が監視されているような居心地悪さを感じた恵理香は早々に立ち去ろうとするが、PCのモニタに映し出されたウェブニュースを目にした途端、突然大声を上げた。この日の午前、つくば市神郡小字館で出土した木製品を分析した結果、2040±34年前にベトナム北部で製造された織機の部品であると、つくば市教育委員会が記者会見で発表していた。未知の織機の部品である可能性が高いという島教授のコメントと、紀元前に渡来したことも否定できないとする杉原氏のコメントも付されていた。
(わぁ♡恵理香様が声をかけてくれた!)
恵理香は普段の癖で意味もなく大声を発しただけなのだが、ウェブニュースを見ていた1年生部員の及川恵は自分が話しかけられたと勘違いして立ちあがる。
「恵理香もこのニュース速報見たの?ホント、すごいことになったよね」
「・・・あの・・・日本人って、何処から来たんでしょうね?」
朱美が話していると、恵がもじもじしながら恵理香に話しかけてきた。
「それ、正確じゃないよ」
「ハイ!何でしょうか!恵理香様・・・じゃない、五十嵐先輩!」
恵理香の呟きともとれる言葉に、恵が畏まって応えた。
(恵理香様?ああ、あのことか・・・)
第66回全国高等学校対校陸上競技選手権大会の100m競走で優勝した恵理香を慕い、1年生が恵理香親衛隊を作ったらしい、という噂を恵理香は既に耳にしていた。しかし、優勝したとは言っても、腰を痛めていた土井杏南に勝ったところで恵理香にとって意味は全く無く、本当に勝ったと言えるのは彼女が持つ11秒43という高校女子日本記録を塗り替えた時だと恵理香は肝に銘じていた。まして、厳重な緘口令を敷いているので一部の者しか知らないが、優花里は裕香の指導の結果、天性の才能が開花し既に11秒39まで計測値を伸ばしている。まだまだ成長する余地があり、11秒を切ることさえ十分可能だと裕香から評価されていた。土井杏南の日本記録を更新したとしても、自分は真の女王にはなれないことを恵理香は十分理解していたのである。そんな自分のために親衛隊とは、1年生の気持ちは嬉しいものの、恵理香の心境は複雑だった。
「日本人は何処から来たか、じゃなくて、誰が、これは複数形だけどね、日本人になったのか、が正確な言い方じゃないかな?それにね、どうしても日本人の出自を言いたいのであれば、それが何処かもう答えは出てるよ」
「えっ?何処ですか?」
「アフリカ。出アフリカやミトコンドリア・イブの話、知ってるでしょ?全ての人類の故郷はアフリカなんだよ」
「ははは、恵理香、それ、身も蓋もないよ」
朱美が恵理香に突っ込みを入れる。
「科学的に裏付けされた事実じゃん」
「もっと詳しく説明してあげて、恵理香様」
恵理香が反論していると、今度は優花里が恵理香を挑発する。
「あ~、わかった、わかった。まずね、Y染色体のハプログループD2だけど、これ、縄文人特有のY染色体と言われてるよね。だけど、本州日本人のD2の遺伝子頻度は40程度でしょ?」
恵理香は頭をポリポリ掻きながら説明を始める。
「そうですね・・・」
「じゃ、残りの本州日本人は何なのかな?縄文人だけが日本人の祖先だとすれば、D2を持ってない人達は日本人じゃないのかな?それとね、Y染色体ハプログループO2bは本州日本人で20~30の遺伝子頻度があるけど、このO2bがこれだけの頻度で現れるのは本州日本人と朝鮮半島に住む人達だけだよ」
「・・・」
「それとね、ミトコンドリアDNAのハプログループで比較すると、本州日本人は朝鮮半島に住む人達や北方漢民族にすごく近くて、アイヌの人達や琉球の人達とは遠い関係にあるんだ。わかるよね?太古の昔から日本人っていう固有の民族が存在してたんじゃなくて、初めに旧石器時代にこの列島に辿り着いた縄文人の祖先達がいて、その後、朝鮮半島から断続的に大勢の人達が渡来してきて、混血を繰り返しながら混在してるのが[日本人]の実態なんだよ。[日本民族]なんて幻想なんだよね」
恵理香は一方的にまくしたてる。
(恵理香の話、しっかりした知識に基づいてるから説得力あるよね・・・)
既に何回か恵理香の[持論]を聞いている優花里はフムフムと頷いていた。
(恵理香様、すごい!)
(何でも知ってるんだぁ!)
(神様はなんて不公平なんだろう・・・恵理香様には二物も三物も与えちゃって・・・)
1年生達は話の内容より人類学を饒舌に語る恵理香を崇めているようであった。もはや信仰の対象である。
「日本人、ってのは[日本に住んでる人]程度の意味しかないと思うよ。日本人が何か固有の[種]であるかのような話は、明治時代にできた俗説にすぎないんじゃないかな。明治時代って今の国際問題の根源を作りだした厄介な時代でもあるからね。明治時代以降に定着した[常識]を鵜呑みにしたら危ないよ」
「私、感動しました!」
恵が手を胸の前で組んで目を潤ませながら恵理香に歩み寄る。
(いや、感動って・・・何か調子狂うな・・・)
「悪いけど私、練習があるから・・・じゃ!」
恵理香は逃げ出すように部室を出て行った。
9月24日(火曜日)の昼休み、食堂で優花里、恵理香、郁美の3人は昼食を食べていた。
「歴研の1年って、皆親衛隊なの?」
力なく箸を置いた恵理香がぼっそっと優花里に話しかける。
「実は・・・そうなんだ・・・恵ちゃんが・・・隊長・・・みたいなんだけどね・・・何だか秘密結社・・・みたいで・・・実態が・・・よくわから・・・ないんだよ」
盛りそばを4枚重ねて食べていた優花里はそばを食べながら答える。
「優花里、食べるか話すかどっちかにしなよ」
郁美が優花里の不躾に突っ込む。
「・・・んん、紗希ちゃんが口頭やメールで全国大会の宣伝を繰り返ししてたからね。テレビ見る以上、主将が出場する走高跳だけじゃなくてうちの選手が出場する決勝戦は皆見て当然でしょ。そこで恵理香が優勝したもんだから・・・」
「はぁ~、よりによって何で私なんだろ・・・記録的にもルックス的にも主将の方が相応しいのにね・・・そう言えば、主将の親衛隊って、全然聞かないね?」
「そうだね。主将、大会2連覇で日本記録タイなのにね」
「あのさ、これ、私の印象だけど・・・」
盛りそばを2枚食べ終えた優花里が遠慮がちに話しだした。
「何?」
「主将って、自分に厳しいけど人にも厳しいでしょ?」
「確かに、そういうとこあるよね・・・」
「それに美形過ぎて、親しみにくいんじゃない?」
「私ゃその逆かい?」
恵理香が苦笑いしている。
「いや、そういう意味じゃなくて、恵理香、性格がサバサバしてるし、言動が男の子みたいでしょ?ここ、女子校だからね・・・」
「なるほどね!小倉先輩も1年・2年に人気あるけど、恵理香と共通点多いよね」
「何の話してるのかな?」
郁美が優花里に同調していると、横から理恵の声がする。
「そこ、いいかな?」
言うと同時に盛りそばを4枚重ねたトレーを携えた理恵が席に着いた。
(優花里と同じことしてる・・・)
「主将、恵理香親衛隊のこと、知ってますか?」
郁美が理恵に尋ねた。
「話だけは・・・聞いて・・・るよ・・・1年が作った・・・らしいね」
理恵もそばを食べながら会話に加わった。
(あちゃ~!主将まで・・・)
(優花里の不躾が主将に伝染したのか?)
恵理香と郁美が理恵の不躾を嘆いている。
「私、現時点で11秒48まで計測値が伸びているので、この調子で頑張れば来年の全国大会で日本記録を確実に更新する自信があります。だけど、優花里は・・・誰が真の女王なのか・・・」
恵理香は遠くを見るような眼差しでぼそぼそと話す。
「そんなこと、どうでもいい」
あっという間に盛りそばを2枚平らげた理恵が話し出した。
「えっ?」
「この学園の陸上部って強豪と言われて久しいけど、まだ誰も高校女子日本記録を持ったことないよね?私もようやく高校女子日本記録タイになっただけ。優花里ちゃんの計測値は極秘事項だから緘口令敷いてるけど、五十嵐と長谷川の計測値は全てオープンにしてるじゃない?新聞部が取材に来れば隠さずに話してる。長谷川の11秒52という計測値もね。だから、五十嵐と長谷川なら高校女子日本記録を必ず更新できると皆期待してるんだよ。この学園初のレコードホルダーになるのが確実だとね。五十嵐と長谷川、2人共、皆の夢を託されてるんだからつまらないこと考えてないで全力で記録を獲りに行きなよ」
「・・・」
「来年度の大会は優勝するだけじゃダメ。必ず高校女子日本記録を塗り替えて圧勝するのよ。親衛隊の子達のためにもね」
「はい!」
「優花里、もう食べちゃったの?」
「途中から話に入れなくなっちゃったからね。もう食べないの?なら私が・・・」
優花里はおもむろに郁美のエビフライを箸で摘まもうとする。
「ダメ!私達が食べ終わるまでお茶でも飲んでてよ!」
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