黒潮のアテーナー

Katyusha

第1話覚醒

新年度が始まった4月、八王子女子学園に1人の教諭、久平聡史が赴任してきた。日本史が担当の聡史は学園公認部活である歴史研究会の顧問になるが、そこには2年生になった豊浦優花里、島朱美、菊池紗希、工藤詩織がいた。


歴史研究会では、毎年2冊、八王子の歴史を紹介する冊子を作成している。この冊子は無償で八王子市内の図書館や公民館に配っていて、市民からの評判も良い。ただし、学園からの援助金も含めて部費のほぼ全てが冊子の作成に充てられるために財政的な余裕が全く無いことが歴代部長の悩みの種でもある。歴史研究会は毎週水曜日に校庭の外れの部室棟にある部室で定例会を行っている。4月10日(水曜日)、今日は上期の冊子のタイトルを決めるのだが、喧々諤々の結果、[八王子市内の神社仏閣 partⅢ]に決まった。優花里は[八王子市内の中世城郭]を提案するも即行で紗希に却下されたのである。


「ゆかりん、どうする?」

朱美が優花里に尋ねる。

「滝山城には金毘羅社があるし、八王子城には八王子神社があるしね。そうそう、片倉城には住吉神社がある!」

「ゆかりん、今回はお城から離れようよ・・・」

提案を却下されたにも関わらず、優花里は嬉々として城郭内にある神社をリストアップしていたが、何事も城郭に結びつけてしまう優花里に朱美は溜息をついている。

「あっ、地震だ」

「最近地震多いよね。大きな地震が来なければいいけど・・・」

「首都直下地震とか言ってても、オリンピックしようとしてるんだから大丈夫でしょ?」

優花里と朱美が話していると、ドサッ、ガラッ、バサッと物の崩れる音がする。2人が驚いて振り向くと聡史のロッカーの上に載せてあった段ボール箱が崩れ落ち、ロッカーの扉が開き中の私物が崩れ出ている。部活に関係のない書籍や資料、戦車のプラモデル(1/35のТ-34/76 1943年 チェリャビンスク工場生産型)、エアガン(ГП-25を装着したАК-107)まである。

「おのれ、神聖な部室に何時の間に持ち込んだ!」

「ちょっと、紗希ちゃん!何処行くの?」

「職員室に決まってるでしょ!」

副部長の詩織が慌てて制止するが、部長の紗希は怒りにまかせて職員室に走っていく。やがて、職員室から聡史を連れてきた紗希は、問答無用で聡史に後片付けをさせる。

「そもそも先生は・・・」

紗希に小言を言われながら、聡史は私物を片付け始めた。

「先生、将来尻に敷かれるタイプだね。それにまるで夫婦漫才じゃん、あの2人」

「そうだね。でも、あの様子だと先生って女の子に命令されるの嫌いじゃない、というか好きなんじゃないの?紗希ちゃん、綺麗だから女王様みたいだし」

「何か言った?」

朱美の軽口に優花里も笑いなが同調する。2人がニヤニヤしながら紗希と聡史のやり取りを眺めていると、紗希が優花里と朱美を睨んでいる。もっとも、紗希は常日頃から目つきがきついのでそう見えるだけで、本人は睨んでいるつもりはない。

「何も言ってないよぉ~」

朱美はしらばっくれる。

「朱美、これ食べる?」

聡史と紗希のやり取りを見物しながら、優花里は紙袋を朱美に差し出した。

「おっ、東京牛乳の白い生キャラメルじゃない!滝山で買ったの?」

「この前、久しぶりに滝山城に行ってきたんだけど、帰りに寄ってみたら売ってたんだ」

「ありがとう!いただきまぁ~す」

「豊浦、島、キャラメル食いながらでもいいから手伝ってくれよ」

優花里と朱美が呑気にキャラメルを食べていると、紗希から部活に関係ない私物は全て家に持って帰れと言われてその私物を片付けていた聡史が助けを求めてきた。

「甘やかさないでよ!」

「紗希ちゃん、厳しいねぇ」

間髪いれず紗希が優花里と朱美に釘をさすが、キャラメルを口の中に残した朱美がもごもご言いながら聡史の手伝いを始める。

(紗希ちゃんはああ言うけど、仕方ないな・・・)

手伝い始めた優花里が偶然手にした本をパラパラめくっていると、金色姫伝説を紹介した件があった。


=====

蚕影神社御神徳記


人皇三十代欽明天皇ノ頃、天竺の旧仲ッ国の帝を霖夷(りんえ)大王、皇后を光契(こうけい)夫人と呼び、姫君が一人おり、金色(こんじき)姫(ひめ)といった。ある時、皇后にわかに亡くなり、後后を迎えた。姫君を邪見にし、獅子吼山(ししこうざん)という悪獣の住む深山へ捨てたが、悪獣かえって姫君を礼拝し、背に乗せて王宮に送り返した。後后はいよいよ悪だくみ、今度は姫を鷹群山(ようぐんざん)という熊鷹の多い山へ捨てた。しかし、帝の兵士が鷹狩に来ており、木の根に座っている姫君を見て驚き、都へお送りした。後后はますます姫君をにくみ、海眼山(カイゲンザン)という岩ばかりの離れ島へ流してしまった。ある時、釣り船が島に寄ったところ、姫君を見つけ都へお送りした。今度は大王の留守を伺い獄人を使い、清涼殿の庭を七尺堀り、姫を生き埋めにした。大王が帰還し姫が見当たらないのを歎いていると、清涼殿の花園より光明が放っているのを見た大王が、直ちに掘らせたところ姫君が出てきたので大変お喜びになった。

そこで大王は、この国でこのような目に合うよりは、他の国へ流した方が安心だと、桑の木で穿船(クリブネ)を造り、姫君に宝珠と一寸八分の勢至菩薩をお守りとして授け、「汝は仏神の化身なので、仏法を信じる国に流れついて人々を救いなさい。」と泣く泣く船を沖へ送り出した。そして船は流れ流れて、常陸の国筑波郡豊浦湊に着き、この浜の権ノ太夫に引き上げられ姫は大切に育てられました。しかし間もなく姫は亡くなり権ノ太夫夫婦は歎き悲しみ唐櫃(カラビツ)に姫を納めました。


その夜の夢に姫が現れて、「私の食物を与えて下さい、必ずあなた方のご恩にお報いします。」といった。そこで唐櫃を開けてみると姫は小さい虫になっていました。そこでこの姫の乗ってきた船が桑であったので、桑の葉を与えたところすくすくと成長した。ところがまもなく、桑を食べず頭を上げて、わなわなとしているので、驚いていると、また夢枕に「私が国にいた時、獅子吼山、鷹群山、海眼山、そして清涼殿の庭と、四度の苦しみを受けましたが、それが今、休眠となって現れているのです。一度目を獅子の休といい、二度目を鷹の休といい、三度目を船の休といい、四度目を庭の休といい、この後、繭を作ることを穿船で学びました。」と教えました。そしてこの繭を綿にして、更に糸を取ることを筑波山の蚕影道仙人より教えられました。これがわが国の養蚕の始めであります。


また欽明天皇の皇女各谷姫が筑波山へ飛んで来られて神衣を織り、その方法を授けられた。こうして蚕より繭ができ、そして糸を取ることを知り、更にこの糸を織って布にする事ができたので、権ノ太夫は大変富栄えたということです。


新井清 かながわの養蚕信仰-調査資料集成 1998

=====


「なになに?」

興味を持った優花里が読んでいると、朱美が覗き込む。

「へぇ~、面白そうだね」

優花里が本を見せると、朱美も興味を示した。

「お前達も城郭や戦国大名だけじゃなくて、地域の産業史も調べたらどうだ?八王子は養蚕が盛んな地域だったからね。北条氏邦が養蚕に熱心だったことは、後北条ヲタクの島なら知ってるだろ?」

「エヘヘヘ、実は知らないのでした」

優花里と朱美の様子を見ていた聡史が2人に話しかけると、照れ笑いをしながら朱美はポリポリ頭を掻いている。

(豊浦の蚕影神社?私の名字と同じだ・・・)

「先生、八王子にも蚕影神社ってあるんですか?」

「えっと、確か鑓水の諏訪神社の境内に蚕影神社があったよ。それと、この界隈だと立川の阿豆佐味天神社の境内にも蚕影神社があるけど、ここの蚕影神社は猫返し神社としても有名なんだ」

自分の名字と同じ地名の土地にある神社が気になった優花里が聡史に聞くと、聡史は本を段ボール箱に入れながら答えた。

「何で蚕影神社と猫なんですか?」

「猫って、鼠を狩るだろ?養蚕家は鼠害から蚕を守るために猫を大切にしたんだ。養蚕家にとって、猫は蚕の守り神だったんだよ」

「そうなんですか・・・知らなかった・・・」

「ふ~ん、八王子にも蚕影神社、あるんだね。じゃ、もう一つのテーマは追々考えるとして、次の日曜日に鑓水に行ってみようよ?ゆかりん」

「そうだね。念のために・・・」

優花里は書棚から[八王子市内の神社仏閣]と[八王子市内の神社仏閣 partⅡ]を持ってきた。項目を見ると蚕影神社はまだ誰も調べていない。

「ところで、諏訪神社までの経路は・・・」

優花里が部室のPCで確認する。

「片倉の駅から大塚山公園経由で絹の道を通って絹の道資料館を経由すれば、歩いて通常1時間くらいだね」

(げっ!ゆかりん、歩く気だ!)

優花里が急に振り向いて朱美に話しかける。朱美はしまったと後悔したが、既に優花里は高校1年生の10月以来のお気に入りの曲であるDreamRiserを鼻歌で歌いながら地図をプリントアウトしていた。


4月14日(日曜日)の10時、優花里が八王子駅の改札で待っていると朱美が歩いて来るのが見える。ただ、朱美とすれ違う通行人の多くが振り返り、朱美のことを奇異な目で見ている。

「ごめんね。待った?」

「そんなことないよ」

返事をしながら優花里が朱美を観察すると、朱美は腰に特大のひょうたんを2個もぶら下げている。

「これ、何?」

「これ?自作の水筒だよ。今日は気分出そうと思ってね」

優花里が聞くと朱美は屈託なく答える。

(恥ずかしくないのか・・・)

朱美の[奇行]は今に始まったものではないが、高校入学以降、加速度的にエスカレートしている。一緒にいる優花里も周囲から奇異な目で見られることが少なくない。

(女子高だと男子の目を気にしなくて済むからな・・・)

「じゃ、行こうか?」

優花里は朱美と改札に入った。


「さっきからこっちをジロジロ見てる人が多いんだけど、何だろうね?キモチ悪い」

横浜線に乗って暫くすると、朱美が如何にも気持ちが悪いという面持ちで優花里に小声で話しかけた。

「ひょうたんだよ、ひょうたん。今時、こんな大きなひょうたんを2個も腰にぶら下げてる女子高生なんていないでしょ?」

「な~んだ、そんなことか」

優花里も小声で朱美に答えると、朱美は軽く受け流してしまう。


優花里と朱美が片倉駅から歩き始めると、平坦だと思っていた住宅地は鑓水峠に向かってダラダラと上り坂が続いている。

「ゆかりん、楽勝、って言ってたよね・・・」

「・・・」

「この坂、何?」

優花里はGoogle Mapsで道順を確認しただけで、地形図まで見ていない。住宅地でこれほどの高低差があるとは考えもしなかった。

「ゆかり~ん、もう疲れたよぅ。タクシー使おうよぉ。お金払うからさぁ~」

暫く歩いていると、ついに朱美がヘタレて泣きごとを言いだす。

「タクシーに乗るお金あるなら後で美味しいもの食べようよ。歩くとダイエットにもなるじゃない?それに住宅地にタクシーなんてそもそも走ってないよ」

「・・・」

「朱美ってさ、1月のマラソン大会で総合2位だったじゃない?1年生だと1位だよ。しかも陸上部の長距離走選手に大差をつけてさ。あんなに持久力があるのに何故?私なんて何時も最下位グループなんだから」

「あれは無理やり走らされたからだもん。嫌なことは早く終わらせたいからね!」

朱美はふくれながら優花里に渋々ついてくる。


そうこうするうちに2人は八王子バイパスを超え、もうじき鑓水峠という場所で長い石段に出くわす。

「これ、登るの・・・マジでヤバイんですけど」

「これ登ったら後は下り坂のはずだから、もうちょっとだよ」

ぼやく朱美を優花里が励ます。


石段を登り詰めると、そこには絹の道が古の姿のままで佇んでいた。振り返ると片倉の街並みが眼下に広がっている。

「今までの道とは完全に別世界だね」

2人は感嘆しながら一息つくと、古道を進み始めた。まだ幼い新緑が暖かな日差しを受けて鮮やかに照らされている中、優花里と朱美は歩みを進める。沿道の遅咲きの桜が花弁を散らし、風が吹くと花吹雪が舞う。

「綺麗だね・・・」

優花里が思わず呟く。

「でもさ、こんなとこまで車が入ってくるんだね。それに何、この不細工な柵は・・・折角の風情が台無しじゃん」

「そうだよね。もう少し景観考えてくれてもいいよね。こんな柵どかして休憩所にしてくれればいいのに」

朱美も優花里も、古道にはっきりと残る轍の跡や西武不動産が設置したあまりにも無神経で安っぽい柵の連続に不満を露わにした。

「住宅地がすぐそこまで迫ってる・・・この道、放っておいたら跡形もなく破壊されてたんだね、きっと。鑓水峠の手前みたいに・・・」

「そうだね。後の世代のことを全然考えてない、ホントデタラメだ・・・一度破壊されたら元に戻すこと、できないのにね・・・」

事実、八王子市北野台は1980年代の大規模開発で一変し、鑓水峠北側の絹の道は跡形もなく破壊さた。歴史を辿ろうにも、開発の名のもとで大部分が破壊されてしまった絹の道の現状を優花里と朱美は歯痒く感じていた。


鑓水峠に至るまでの区間を朱美がのろのろ歩いた結果、2人は2時間近くかかってようやく絹の道資料館に着いた。予定どおりにちょうど昼食時に資料館に着いたので、優花里と朱美は食事を摂ることにした。朱美とは小学校以来の長い付き合いなので、いつも優花里は朱美のヘタレ具合を想定してプランを立てているのである。

「はい、ゆかりんの分」

朱美は優花里に弁当を渡す。その量はちんまりしたダイエット実行中の朱美の弁当の4倍以上ある。

「ゆかりん、大食いだからねぇ」

朱美は自分のちんまりした弁当を取り出し、食べ始めた。

「ん~、朱美の料理、超美味しいね!この鶏の唐揚げ、全然べしょべしょしてないし!」

朱美の女子力は非常に高く、特に料理は他の追随を許さない。その朱美が作った弁当をほおばりながら優花里が感嘆する。一服した朱美は気力を取り戻した。


「そう言えばゆかりん家って、代々八王子で生糸屋さんだったよね?家に何か古い資料とかあるの?」

昼食を済ませ資料館の展示物を見学した後、休憩所のテーブルでひょうたんの水を飲みながら朱美が優花里に尋ねた。

「私ん家は戦争で焼けてみんな燃えちゃったから資料も何も残ってないし、それに明治時代の始めには八王子で生糸問屋してたことは確実らしいけど、それ以前のことは全然わからないんだ・・・朱美ん家は元々何処だったっけ?」

「お母さんは埼玉でお父さんは東京だよ。ただね、お父さんのお父さんのお父さんは栃木だったんだって。え~とね、確か足利の県ってところ。江戸時代にはそこで名主だか代官だかしてたとか聞いたことがある。そう言えば、この前、太平記に御先祖様の名前を見つけたってお父さんが大騒ぎしてたよ」

朱美が笑いながら答えた。

「それってすごいじゃない。誰、御先祖様って?」

「え~とね、縣の何とか。下は忘れた!お父さんに聞いとくね・・・さて、そろそろ行きましょうかね」

立ち上がった朱美がふと壁を見ると、バスの時刻表が貼ってある。諏訪神社の山を越えた南側、柚木街道に橋本駅行きのバス停があるとのこと。

「帰りは絶対バスにしようね」

朱美が優花里に釘を刺す。


諏訪神社に着き境内に入ると、そこは社殿の裏手にある桜が花弁を散らし、あたかも花弁の絨毯が敷かれているかのようであった。時折風が吹くと、花弁が境内を舞う。

「私、この国に生まれてよかったよ・・・」

「綺麗だよね・・・ずっと昔から繰り返してきたんだよね、この景色・・・絶対に無くしたくないよね・・・」

朱美が思わず呟と、優花里も朱美に語りかける。2人は暫くの間、無言で境内の情景を堪能していた。

「蚕影神社は何処かな?」

優花里と朱美は蚕影神社を探す。それは拝殿の左側にある小屋の中にあった。

「これ?」

朱美が驚きの声を上げる。

「左から二つ目、間違いないよ」

「何か、壊れてない?これ」

「そうだね・・・もう信仰の対象じゃないみたいだね・・・」

優花里は細部を見ようとして格子から蚕影神社を覗き込もうとする。その瞬間、優花里は突然[懐かしい暖かい光]に包まれ、聞き取れない微かな女性の声を聞く。

「ゆかりん、大丈夫?」

その場に茫然と立ち尽くす優花里を心配して、朱美が優花里の顔を覗き込む。

「大丈夫・・・何でもない」

その後、写真を撮り、メモを取り2人は蚕影神社を後にした。


「ついでだから八王子の郷土資料館に行って、蚕影神社のこと調べてみようか?八王子の駅から歩いて・・・」

「嫌!今日はこれ以上歩かない!」

橋本駅に着き、優花里が朱美に話かけると朱美はふくれてごねる。心底これ以上歩きたくないようだ。

「ごめんごめん。そうだ!スイパラ(スイーツパラダイス八王子店)行こうか?」

「もう、ゆかりんはお城と歩くことしか頭にないんだから」


家に帰り、部屋に戻った優花里はベッドに横たわり思いに耽った。

(あれは何だったんだろう?)

これまで休日は[城攻め]に熱中していた優花里だが、不思議な声の内容を確認するために翌週(4月21日(日曜日))も蚕影神社を訪れる。しかし、前回と同じく微かな女性の声が聞こえただけで、その内容を理解することはできなかった。


「熱いよぉ~。助けてぇ~」

その晩、夢の中に優花里によく似た幼女が現れ、炎の中から優花里に泣きながら助けを求めた。その後、毎晩のように幼女は夢に現れては優花里に助けを求める。優花里は焦燥感を増していったが、不思議と嫌悪感はない。


「優花里ちゃん、これあげる」

4月28日(日曜日)の晩、夕食後に居間で優花里が[歴史群像シリーズ 戦国の山城]を読んでいると、祖母がネックレスを持ってきて優花里に渡した。チェーンには紋章のような今まで見たことのない模様が彫られた銀製の金属板が付いている。相当古いものらしく、華やかさはないが落ち着いた優しい光沢があった。

「私が小さい時にお母さんからもらったものです。これがあなたを護ってくれますと言われたので今まで常に身に着けてたけど、この年で今更護ってくれるもないからあなたにあげます」

「ありがとう、おばあちゃん。なかなか渋いネックレスだね」

優花里がネックレスを受け取った瞬間、金属板が仄かな光を発し始めた。

「おばあちゃん、これ・・・」

「どうしたの?」

「ネックレスが・・・光ってるよ」

「あっ、確かに光ってるね・・・でも、どうして・・・」

優花里と祖母は驚きのあまり顔を見合わせて絶句してしまう。優花里は再度金属板に視線を向けて暫く見つめていたが、突然強い衝動にかられ金属板を握りしめる。同時に、優花里はその場で気を失ってしまった。


=====

Episode 1  八王子空襲


優花里は光の回廊の中にいた。暫くすると四方から更に明るい12の光の塊が飛んできて、優花里の周囲をゆっくりと回りながら次第に古代中国の甲冑を身にまとった武将の姿になり、優花里の前で片膝を突いた。すると光の回廊が消え、空襲で燃える夜の八王子の街が眼下に見える。その一角で助けを求める幼女の姿と声をはっきりと優花里は見聞きすることができた。西の空には本土防空航空隊の抵抗を受けずに爆撃を終え、悠々とテニアン島に帰還するB-29の編隊169機が見える。

「姫君、あれを」

クンビーラが指さす南西の空には、B-29の最後尾編隊16機が迫っていた。

「姫君、御下命を」

「これ以上爆弾を落とさないで!人を殺さないで!」

優花里はたまらず叫ぶ。

「今すぐあの女の子を助けなさい。そして、できる限り大勢の人も!」

眼下では明らかに戦時国際法に違反した民間人に対する虐殺が行われている。優花里は幼女だけでなく、他の市民も保護するように武将達に下命した。

「御意」

12人の武将は答えるとすぐさま陣を組んだ。呪文のような声がしたその瞬間、青く鋭い光が夜空を覆う。その光が消えた時、武将達は八王子の街に降りて行った。


1945年8月2日、この日の空襲で使用された焼夷弾はM50とM47A2。八王子空襲では1524.5tのM50焼夷弾と68.8tのM47A2焼夷弾が投下された。この空襲で八王子は死者445人、負傷者2000人、被災人口7万7000人、焼失家屋1万4249戸、被災面積3 km2という被害を被る。ちなみに、325機のB-29により10万人以上の犠牲者を出した1945年3月10日の東京大空襲の総投下量は1783t、38万1300発。東京大空襲に匹敵する焼夷弾が八王子の市街地に投下されたのである。


「隊長、10時の方向・・・ジーザス!」

B-29の副操縦士が叫ぶ。隊長が10時の方向に目を向けると、空中に光を背にした1人の人物とその周りを取り囲むようにして12人の人物が浮いている。

「主と十二使徒?まさか・・・」

12人の人物が動き出し隊列を組んだ瞬間、青い光が襲ってきた。

「何だ、これは!各部署、報告急げ!」

隊長を兼ねる機長が各部署に指示を出す。

「エンジン全て異常なし!」

「レーダー異常なし!」

「射撃管制装置異常なし!」

「爆弾倉・・・油圧系統に異常!爆弾倉扉開閉不能!投弾できません!」

「隊長、3番機より入電、ワレ投弾不能。続いて9番機より入電、ワレ投弾不能。続いて14番機も・・・全機投弾不能です!」

各部署からの報告が続く最中、通信士が隊長に報告する。

「一体何が起きているんだ!」

「隊長、もう止めましょう・・・日本は既に終わっています。これ以上爆撃して、市民を殺して何になるんですか!こんな狭隘な地区にM50を1500t以上も投下するなんて狂気の沙汰です!それに、主が人を殺せと命じられたことはありません!むしろ、主は汝の敵を愛せよと・・・」

「黙れ・・・黙れ!軍人なら命令に従うだけだ!」

副操縦士が思わぬ抵抗をする。他のクルーも内心は副操縦士と同じであった。だが、隊長は人であることよりも軍人であることを強要する。

「・・・主の御前では、命令に従わざるを得なかったとか、そういう一切の言い訳は通用しないと僕は教会で学びました。このままでは僕達は主の裁きで地獄に堕とされるに違いありません!僕はこれ以上人を殺したくない!」

爆撃手は叫ぶとノルデン爆撃照準器の電源を切ってしまう。

「使徒達が地上に降りて行く・・・火の海から人々を救えと主が命じられたに違いない」

「主の御意思に逆らったんだ。俺達はもう終わりだ!」

「隊長、編隊がパニックに陥っています!主がお怒りだと錯乱している機長もいます!」

クルーに動揺が広がる中、通信士が隊長に報告する。

(このままだと何が起こるかわからない・・・)

「編隊へ通達!投弾中止、全機編隊維持、回頭、帰路につけ!通信士、イオウジマへ緊急打電、緊急着陸を要請しろ!焼夷弾を満載した状態でテニアンまで飛べない!」

隊長は編隊に指令を出す。

「主よ、我々の罪をお許しください、お許しください・・・」

副操縦士は泣きながら十字を切る。B-29の最後尾編隊は焼夷弾を投下せず旋回し去って行った。


(これが戦争なの?この戦争を始めたのは日本かもしれないけど、あの人達が何をしたと いうのよ!何故殺されなければならないの!戦争を始めた政治家や軍人は安全な地下壕でのうのうとしているというのに・・・)

優花里は怒りに震えながら無言で燃える八王子の街を見つめていた。


暫くすると、武将達が優花里の下に戻ってきた。

「姫君、女の子をはじめ、助けられる者は全て助けました」

クンビーラが優花里に報告する。

「あの子のお母さんは無事だった?」

「いえ、残念ながら間に合いませんでした」

「そう・・・みんな、ありがとう。帰りましょう」

優花里が武将達に声を掛けると再び光の回廊が現れ、武将達は光の塊となって四散した。

=====


「優花里ちゃん、優花里ちゃん」

祖母と母親の声で優花里は意識を取り戻す。どれだけ時間が経ったのだろうと祖母に聞くと、せいぜい1分程度だったという。それにしては長時間で鮮明な記憶が残っている。不思議なことに、その晩から幼女の夢を見ることはなくなった。

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