第2話沈黙のメッセージ
「長谷川と五十嵐、ちょっと来て」
体育祭(八王子女子学園の体育祭は、1~3年のクラス連合によるクラス対抗戦である)を間近に控えた4月30日(火曜日)、クラス対抗リレー(400mのない変則スウェーデンリレーで、1年生が100m、2年生が200m、3年生が300mを担当する)の公式練習の当日、練習の前に陸上部の部室で出場メンバーをチェックしていた3年E組(八王子女子学園は生徒数600人に満たないが、1クラスを25人以下にしているので各学年8クラスある)の小倉佳織が2年E組の陸上部短距離選手である長谷川郁美と五十嵐恵理香を呼んだ。
「このカチューシャ(八王子女子学園には以前からクラスを女性名詞で呼ぶ慣習がある。E組は元々エカテリーナ(Ekaterina)と呼ばれていたが、いつの頃からかその愛称形であるカチューシャを自称するようになり、この呼称が既成事実化した。このため、たまに他のクラスから[K組]と揶揄されることがある)の100mとリレーのメンバーは何?2年の100mは長谷川が最適だからこれでいいとして、リレーは何故豊浦さんなのかな?計測値は五十嵐の方が上じゃない。それと、1年は何考えてるの?まるでデタラメじゃないの」
「小倉先輩、1年のカチューシャには陸上部部員がいません。たぶん、アミダとかで決めたんじゃないですか?」
「私、優花里と100mを2回走りましたけど、最初の50mまではリードしたものの、60m辺りで抜かれて2回とも完敗でした。あの子、相手がいると本気出すけど、計測だと手を抜くんですよ。優花里の計測値はあてになりません」
「そう・・・2年は大丈夫そうだけど、1年が問題よね。戦わずして負けたか・・・」
「小倉先輩、諦めるの早いですよ。優花里はダークホースですから、何か面白いことしでかしますよ」
「そうそう、意外なところでバカ力出すからね、優花里は。1年が下位で入ってきたらそれこそ本気出しますよ」
早々に勝負を諦めた佳織が溜息をつきながら呟くと、恵理香と郁美が口を揃えて優花里を持ち上げる。
「五十嵐、あなた豊浦さんのことさかんに褒めてるけど、負けて悔しくないの?」
郁美と恵理香があまりにも優花里のことを持ち上げるので、怪訝に感じた佳織が恵理香に問い質す。
「いやぁ~、悔しいというよりも、一緒に走ってわかったんですけど、優花里って私とは次元が違うんですよ。何て言うか、優花里には天性の素質みたいなものがあるんですよね。だから私、陸上部に何回か誘ってみたんですけど、体育会系は嫌いと言われちゃいました」
「優花里はスプリンターと言うより天性のハンターですよ。恵理香と優花里の競争、優花里はまるで獲物を追ってる豹みたいだった」
郁美も恵理香に同調している。
「そうなの?まぁ、体育祭当日になればわかることだけどね。じゃ、練習しましょうか」
佳織が席を立ちグランドに向かうと、郁美と恵理香も後に続いた。
グランドにはクラス別にクラス対抗リレーの出場者が集まっていた。
「あれっ、豊浦先輩じゃないですかぁ?」
歴史研究会の1年生部員である原田舞が優花里に声をかけてきた。
「ああ、舞ちゃん。舞ちゃんもリレーに出るの?」
「私、アミダでリレー引いちゃったんですよぉ。そんなに足速くない、むしろ遅いんですけどぉ・・・」
舞は場違いなことになったと言わんばかりに事情を話す。
「勝負じゃないんだから大丈夫だよ。頑張れば十分!」
「豊浦さんと原田さんね。アンカーの小倉です、よろしく」
優花里が舞を励ましていると、佳織が優花里と舞に声をかけた。
「よろしくお願いします!」
「走ること自体は今更練習してもあまり意味ないから、バトンの受け渡しを集中的に練習しましょう。最初に豊浦さん、私にバトンを渡してみて」
佳織が優花里に指示を出す。優花里は佳織から50m程離れると、そこから加速して佳織にバトンを渡した。
(いい感じね。特に問題はない・・・)
「豊浦さん、問題ないわ。今のタイミングで本番もよろしくね。じゃ、原田さん、豊浦さんにバトンを渡してみて」
佳織は優花里のバトン捌きを3回程確認すると、今度は優花里と舞に指示を出す。先程と同様、舞は優花里から50m程離れると、そこから加速して優花里にバトンを渡そうとするが、優花里が前に出過ぎてバトンの受け渡しに失敗してしまう。
「豊浦さん、タイミング早すぎ!もう少し間をおいて!もう一度!」
佳織が優花里に指示を出す。しかし、優花里の加速が速いのと舞の鈍足が重なり、何度繰り返してもなかなかタイミングが合わない。何回もダッシュを繰り返した舞は呼吸を荒げて既にバテている。
「仕方ない。豊浦さん、バトンを渡されてから走り出して。本番でミスするよりましだから・・・」
「は~い、わかりました」
優花里が呑気に答える。
(これじゃ、練習しても意味ない・・・)
「今日は上がりましょう。もう練習はできないけど、本番は頑張りましょうね・・・」
「わかりました!頑張ります!」
勝負を完全に諦めた佳織は力なく話す。それを知ってか知らずか優花里と舞は景気よく返事をした。他のクラスが気合を入れて練習をしている中、E組のリレーチームだけが早々と引き上げていった。
クラス対抗リレーの練習が想定外に早く終わったので、優花里と舞は部室に赴いた。暫く雑談していると、朱美もクラス対抗リレーの練習から戻ってきた。
「さてと、再開しますか」
朱美はロッカーからブリキの箱を持ってくると、中からクレジットカードより一回り小さいプラスチック板を幾つか取り出した。そのプラスチック板を5~6枚束ねてクリップでしっかり固定すると、朱美は慎重にピンバイスで穴を穿けていく。1年生達は朱美を取り囲んで興味津々と作業を見ていた。
「朱美、また鎧造るの?」
優花里が朱美に尋ねる。
「そうだよ。今度は着背長を造ろうと思ってね」
「チャレンジャーだねぇ。でもさ、着背長だと小札、何枚必要なの?」
「大荒目の豪壮な赤糸威の着背長にしようと思うんだけど、それでも予備を含めて2000枚は必要かな。でもね、もう800枚以上造ったよ」
朱美は既に当世具足を1領造っていたが、今回は着背長に挑戦するようだ。
「そう言えば朱美、御先祖様の名前、わかった?」
暫くの間、1年生達に交じって作業を見ていた優花里は朱美に尋ねる。
「えっとね、縣下野守だって。下野国の梁田郡縣郷、今の足利市の渡良瀬川の南側にある県町が本貫地だったんだって。ホントに御先祖様なのかどうか怪しいもんだけどね。ついでに調べたら、関東幕注文に縣左衛門ってのがいたし、園太暦には山名時氏と京都で戦って高師詮と一緒に自刃した縣某ってのもいた。意外かもしれないけど、静岡県掛川市の小笠神社、ここにも縣氏の伝承があるんだって。調べてみると縣氏ってのは筋金入りの北朝だねぇ」
朱美は作業の手を休めて答える。優花里が部室のPCで縣下野守を検索してみると、四条畷合戦の際に白旗一揆5000余騎を率いて飯盛山に布陣、とある。
「へぇ~、すごいね、楠木正行と正面でぶつかってる・・・」
「ゆかりん、そのネックレスどうしたの?」
優花里が感心していると、脇からPCを覗き込んでいた朱美が優花里のネックレスに気が付き、優花里に尋ねた。
「おばあちゃんにもらったんだけど、変かな?」
「いや、そうじゃなくて、そのネックレスの模様、どっかで見たことあるんだけどね、何処で見たのかなぁ・・・ん~」
朱美は何時になく真剣な顔で考え込んでいる。
「家にある何かの本で見たような気もするんだけどな・・・まぁ、思い出したら教えてあげるね。あっ、そうだ!写真撮ってもいい?」
「いいよ」
「よし、うまく撮れた!念のためにもう1枚・・・これさ、複雑な模様だけど、基本的に十三曜紋じゃない?」
「ああ、確かに・・・中心のやや大きめの星の回りに12の星があるね」
「イエスと十二使徒、あるいは薬師如来と十二神将ってとこかな。アーサー王と円卓の騎士かもしれないね」
朱美が無邪気に優花里に話しかける。
(ええっ!それって・・・まさか・・・いや、偶然だ。そんなはずはない・・・)
「・・・そうだね・・・」
優花里は力なく答えた。
「ゆかりん、ちょっと時間ある?この本なんだけど・・・」
翌日、定例会が終わった後、朱美は鞄から分厚い本を出すと、部室で世界史のレポートをまとめていた優花里に声をかけた。
「何、その本?」
「ゆかりんのネックレスに付いてる金属板の模様、お母さんが持ってる学術報告書の写真にあったよ。お母さんにね、昨日撮った写真見せたら[これじゃないの?]って持ってきてくれたのがこの報告書なんだ」
朱美が優花里に渡した分厚い報告書の表紙には[つくば市神郡旧家解体・記録保存調査報告書]とある。
「何故この報告書にこの模様の写真があるの?」
優花里が報告書をパラパラとめくっている。
「以前、茨城県つくば市の神郡、蚕影山神社のあるとこ、ここの旧家が2008年に解体された時にね、ボロボロになりつつあるけど原型を留めてる絹の着物が見つかったんだけど、その着物にゆかりんのネックレスの模様が施されてたの」
朱美は優花里の傍らに座ると、旧家で発見された衣服の全体写真とその復元案が掲載されているページをめくった。
「ホントだ・・・同じ模様じゃない、これと・・・」
優花里はネックレスの金属板の模様と復元案の模様を見比べて驚いている。
「この着物に使われてる絹糸を分析したらね、放射性炭素年代測定法だと約2000年前(正確には衣服が[発見]された2008年時点で2033±28年前)に造られたものだとわかったの。しかもね、使われてる絹糸がこれまで日本で見つかった絹糸じゃないし、中国の華北や華中のものでもないから何処で造られた絹糸かわからないし、ものすごく複雑な織物なのに少しの誤差もなく正確に織られてるからコンピュータ制御以外の方法では再現できない、って当時話題になったんだって。お母さんが、何故この写真持ってるの?って聞いてきたから、[友達の持ち物だよ]、とは言っておいたけど、何故ゆかりんのネックレスの模様と同じなんだろうね?」
朱美が優花里に疑問を投げかけるが、そう聞かれても優花里にもさっぱりわからない。
「蚕影山神社がある土地の旧家で見つかったんでしょ?私ん家、生糸問屋だから蚕とか生糸とかのお守りなのかな?」
優花里はこう言うのがやっとであった。
「朱美、この本、借りてもいい?」
「いいよ。この旧家からは膨大な量の古文書もでてきたの。その古文書もこの報告書に網羅されてるよ。ただし、借金に関することばかりだったけどね。これはこれでこの家の御先祖の暮らしぶりが垣間見えておもしろいよ」
朱美は笑いながら答えた。
「おばあちゃん、このネックレスの金属板の模様、何か知ってる?」
その日、優花里は帰宅すると真っ先に居間にいた祖母に[つくば市神郡旧家解体・記録保存調査報告書]を見せて尋ねた。
「この服の模様と同じだね・・・私にも解らない。ひょっとしたら私のお母さん、おばあさんだったら知ってたかもしれないけど、2人とも私が小さい時に戦争で亡くなったから今となってはねぇ・・・」
「そうか・・・ありがとう、おばあちゃん!」
優花里は報告書を持って2階の自室に入ると、報告書に収録されている旧家解体の際に発見された古文書にも目を通した。しかし、朱美の言うとおりその古文書は借入証書やその返済に関するものばかりで、蚕影山神社との関係などの肝心なことは全くない。
(ダメだね、これじゃ。何も解らない・・・)
優花里は諦めた。
(この文書、隠してたんだろうな、きっと。こんな借金まみれの状態を後世の私達に見られてしまうなんて、当時の人は想像もしなかっただろうな・・・)
「この本ありがとう。結局何も解らなかったよ」
翌日、体育祭が始まる前の慌ただしい時間に朱美を見つけた優花里は、朱美に紙袋に入れた報告書を返した。
「そう・・・やっぱり蚕関係のおまじないみたいなものなのかな?他でも同じ模様が出てくれば見当つくかもしれないね。先生に聞いてみようか?」
「でも、こうした話って歴史じゃなくて民俗の範疇だよね。いくら先生でもそこまで知ってるかな?」
「ああ、確かに・・・先生でもそこまではさすがに無理かもね」
優花里は釈然としないものの、かと言って詳しく調べる手段も無いので、この奇妙な模様に関する関心は徐々に薄れていった。
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