第3話秘められた才能
「何回見ても違和感あるよねぇ~」
5月2日(木曜日)、体育祭の当日、売店に飲み物を買いに来た優花里が応援席を遠目に眺めながら呟く。
「ん、何が?」
「だってさ、Agnes、Bonnie、Clara、Dorothyまではいいよ。だけどその次がКатюшаでしょ?御丁寧にキリル文字で。その後がFlora、Gloria、Helenだし・・・」
一緒に買いに来た郁美が優花里に尋ねると、優花里は応援席の背後にあるクラス毎のデコレーションを見ながら愚痴っている。
「私達が生まれる前からE組はカチューシャって呼ばれてたんでしょ?誰も変えようとしなかったんだし、いいんじゃないの?私はカチューシャって、エカテリーナより女の子らしくて好きだよ」
郁美は笑っている。
「それより、カチューシャのデコ、他のクラスと比較してかなり斬新だよね?誰が描いたのかな?」
郁美が言うE組のデコレーションには、赤一色の背景に白色でКатюшаの文字、下辺には指揮官を先頭にして突撃する騎兵13騎のシルエットがやはり白色で描かれている。通常、各クラスのデコレーションは美術部が製作するのだが、E組のデコレーションは他のクラスのものと明らかに異なり、美術部以外の者が描いたようだ。
「そうそう、翳してるのがピストルとか小銃じゃなくて、皆サーベルなんだよ。まるでコサック騎兵の突撃みたい・・・」
優花里と郁美が売店の前で立ち話をしていると、吹奏楽部がクラスのテーマソングをA組から順に演奏し始めた。
「カチューシャのテーマは・・・カチューシャ(ロシアの歌曲)だったよね?吹奏楽部が私達の時代が来た、って張り切ってたよ」
「ホント、アニメの影響って大きいよね。でもさ、カチューシャを付けたカチューシャの女の子がカチューシャを歌いながらカチューシャに乗って出てきたら、これ、もうネタだよね(訳:弾力のあるC字型のヘアバンドを付けた八王子女子学園E組の女の子が国境警備に就いている兵士を故郷の恋人が慕い歌うロシアの楽曲を歌いながら自走式多連装ロケット砲(БМ-8またはБМ-13)に乗って出てきたら、これ、もうネタだよね)。あれっ?アグネスはどうして戦車道行進曲なんだ?」
「優花里・・・何言ってるのかわからないよ・・・」
優花里は軽い冗談を言ったつもりであったが、郁美には理解不能であった。
優花里と郁美が応援席に戻る。
「あのカチューシャのデコ、久平先生が徹夜で描いたみたいですよぉ」
興味本位に優花里が舞にデコレーションの話題を振ってみると、舞が意外な返事をする。
「ええっ?」
「久平先生、カチューシャの担当じゃないですかぁ。美術部が持ってきた原案があまりにもありきたりだったんで、僕が描く!って啖呵切って、徹夜で描いたそうですよぉ。今朝、やっとできたみたいですよぉ」
(ああ、それで他のクラスと違う迫力があるのか・・・)
赤色を背景にした騎兵突撃の奥に、聡史が投げかけた深遠なメッセージがあるかのように優花里は感じた。
クラス対抗リレーが始まる。舞はスタートに失敗しただけでなく、鈍足が祟ってあっという間に最下位になる。
「なんてこったい!」
ある程度覚悟していたとはいえ、まさかの最下位に佳織は頭を抱える。他のチームが整然とバトンの受け渡しをしている中、優花里は全く動かない。最下位で走ってきた舞からバトンを渡されて、優花里は初めて走り出した。この有様を見て学園の誰もがE組最下位を確信した。ところが、優花里はスタート後50m辺りで団子状の5人集団をごぼう抜きにして瞬く間に3位に浮上し、100mを過ぎると2位の背後につく。
(よし、捉えた!加速装置!)
実際には優花里は加速していない。むしろ後半は若干スローダウンしてしまったのであるが、優花里はそのまま追い抜き、差を広げながら2位で佳織にバトンを渡した。陸上部短距離走のエース、佳織はものすごい勢いで1位との差を詰めていくが、1位も陸上部の短距離選手だったために追いつくことができず、結局、2位でゴールした。
「さすがゆかりん、あっという間に抜れちゃった」
5位でバトンタッチした朱美は、膝に両手を当てて呼吸を整えている優花里の傍らに近付くと、優花里とハイタッチして応援席に戻る。
「豊浦先輩、ありがとうございましたぁ!かっこよかったですよぉ!」
舞は申し訳なさそうに御辞儀して応援席に戻っていく。
「豊浦さん、ありがとう!」
ゴールした佳織が詰め寄る陸上部部員達を無視してそのまま優花里のところに来て握手を求める。
「運が良かったんですよ。先輩も速かったですし」
優花里は照れ笑いをしながら佳織と握手をした。
「これが長谷川と五十嵐が言ってた[天性]の力か・・・確かにそうだ。部員として迎えたい。これから三浦と相談だな・・・」
佳織は応援席に戻る優花里の後ろ姿を見つめながら呟いた。
「長谷川!今の豊浦さんの記録は?」
「・・・参考記録にすぎませんが・・・100mが11秒71、200mが23秒90・・・です」
郁美が驚愕の表情で報告する。
「それって、100mも200mも高校女子の歴代10位に入る記録じゃないの?まさかここまでとは・・・それにしても、これだけの能力を持ってるのに、去年は何故全然目立たなかったの?」
「それは・・・」
「去年、優花里は公式練習の走行中に他のクラスの選手と接触したんです。その時に転倒して左足首を捻挫したんで、体育祭の競技には一切出場してません」
郁美が答えに窮していると、恵理香が代わって答えた。
「そうだったの・・・それでマークできてなかったのね。うっ、冷たい!」
誰かが佳織の背中に冷えたペットボトルらしきものをグリグリ押し付けてきた。
「変則スウェーデンリレー、お疲れ様」
後ろから冷えたペットボトルを佳織の背中に押し付けながら、陸上部主将の三浦理恵が声をかけてきた。
「三浦!何子供みたいなことしてんのよ!」
「面白い話のようね、私も混ぜて。はい、お水」
佳織が語気を荒げても全く意に介さず、理恵は佳織に水を渡した。
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