第6話八王子城に行こう!

中間試験が終わった6月5日(水曜日)、今日は聡史から文化祭について何か話があるという。とはいうものの、聡史は部室棟の敷地にある空き地で猫達に餌を与えている。この猫達は、以前部室棟に入居している部活の部員が不用意に餌を与えてしまったために部室棟に居付いた猫とその家族である。部長会議で問題視され、生徒会から駆除するか責任を持って飼うかのどちらかにせよと迫られた結果、部室棟に入居している部活が連帯責任を取り月交代の輪番制で世話をしている。また、餌代や避妊手術の費用を得るために部室棟入口には募金箱があり、これも各部が輪番制で管理している。6月は歴史研究会が猫当番をしており、これを口実にして猫好きの聡史がこれ幸いに毎日餌を与えていた。

「先生!何時まで猫と遊んでるんですか!もう皆揃ってますよ!」

聡史が部室になかなか戻らないことに業を煮やした紗希が、窓を開けて大声で聡史を呼んだ。外にいた他部の部員達が驚いて紗希を見ている。

「すまん、今行く」

聡史は猫缶を片付け始めた。


「文化祭のテーマだけどね・・・」

部室に戻った聡史は早速切りだした。昨年までは年2回発行している冊子から部員達でレポートを10本程度選び、それをパネル化する程度のものだった。

「今年はパネルの数を半分にして、パネル作成に携わらない部員で一つのテーマを追いかけてみる、例えば絹の道とかはどうかな?」

「先生、絹の道と言っても、どういう切り口ですか?」

紗希が聡史に尋ねる。

「八王子から横浜まで概ね40km。1日もあれば歩ける」

「えええっ!」

「ムリムリムリムリムリムリムリムリ!」

1日に40km歩くと聡史がぶっきらぼうに言い出したとたんに部室は蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、朱美は血相を変えて連呼する。

「部員の半分が参加するとして先生も含め4~5人、歩く速さも皆違うから1日十数km進めれば上出来です。40kmって3日分の行程ですよ!」

歩くことに関しては朱美に手を焼いている優花里も聡史に反論する。

「40kmも歩いたことありません!」

「熱中症になったらどうするんですか?」

「15km以内なら自信ありますけど・・・」

「交通事故のリスクもありますよね?」

「途中で歩けなくなったらどうすんですかぁ?」

「汗まみれの格好で横浜から帰れ、ってことですか?」

等々、他の部員からも非難ごうごうである。

「それじゃ、当時の面影を一番よく残してる八王子市内だけ歩いてみようよ。短い距離だけど、横浜開港から鉄道が整備されるまでの間、八王子から横浜まで絹を運んだ道を実際に歩くことで、資料を読んでるだけでは見えないものが見えてくるかもしれないよ」

八王子市内だけ、と聡史が妥協したかのように言うと、部員達から積極的な反対意見は出てこなかった。優花里も縄張図だけ見ていても実際に現地に行かないと城郭が理解できないことを経験的に理解しているので、聡史の提案そのものは理解できる。

「豊浦、こういうプランニング得意そうだね?計画を立ててみてくれないか。部長、どうかな?」

「特に反対もないのでいいんじゃないですか。細かい役割分担は私達で決めますから」

結局、聡史の[妥協案]を骨子にして、秋の文化祭に向けた準備が始まった。


「先生、最初の40kmはわざとですね?」

「さすが部長、わかる?」

定例会の終了後、紗希が聡史に尋ねると、聡史は屈託なく笑った。


「ゆかりん、今度八王子城に行こうよ!」

定例会が終わり、帰り支度をしていた優花里を朱美が唐突に誘う。

「山城って、史跡巡りとダイエットの一石二鳥の効果があるからね!」

朱美が城攻め、まして山城、それもいきなり八王子城とは気でも狂ったかと優花里が驚いていると、朱美は能天気に笑っている。朱美は長時間歩くのを心底嫌がる。学園の行事等で長時間歩かされるのは嫌だがしかたないと諦めているが、通常の許容時間は10分以内である。

「いいけど・・・八王子城って意外と険しい山城だから覚悟しといてね」


6月9日(日曜日)、優花里と朱美は8時35分に高尾駅を出発してバスで八王子城に向かう。この日も朱美は水筒代わりにひょうたんを腰にぶら下げていたが、今回は1個にしたようだ。八王子城に着いた2人は、まずは御主殿を散策し主郭に向かう。最初のうちは八王子城や後北条氏に関する蘊蓄を語りあいながら登って行ったが、案の定途中で朱美がヘタレる。山下曲輪から主郭までは健脚なら通常30分程度で登れるが、ヘタレた朱美をなだめすかし登ったために1時間以上かかってしまった。今回も朱美が準備した正味4人分の昼食を主郭で摂ると朱美は気力を取り戻し、再び八王子城や後北条氏に関する蘊蓄を語りあいながら[伝大天守](八王子城は小仏峠方面を防御正面として計画されており、この[伝大天守]は俗に言われているような詰城ではなく、最前線の堡塁である。当然、[天守閣]があったわけではない。ちなみに、戦国時代末期の後北条氏系城郭に出現する堡塁と堡塁を石垣や土塁で結ぶ築城手法は、旅順要塞やマジノ線等の近代要塞の設計思想に準じるものである)に向かうが、途中で道に迷ってしまう。同じ場所をぐるぐる回っているようでなかなか元の道に戻れない。だんだん心細くなってきた時、2人に声をかけてきた少年がいた。2人が少年についていくと、簡単に元の道まで戻ることができた。少年は[伝大天守]を経由して麓まで付き添ってくれた。


「ありがとう、助かりました!」

「ちょっと失礼・・・」

朱美が少年に礼を言うや否や、優花里はそそくさと八王子城跡ガイダンス施設の中に入ってしまう。少年は八王子城跡ガイダンス施設の前に駐輪していた単車(YAMAHA FZR400RRSPの1990年型)の傍らで荷物の整理を始めた。

「古いみたいだし、あまり見かけないオートバイだね」

「親父が若い頃に乗ってたもので23年前の単車だよ。1000台の限定生産だったんで、今では国内に数台しか残ってないそうだよ。メーカーが資金と技術をありったけ注ぎ込んだから当時は世界最高クラスだったし、基本的な設計は今でも十分通用する、そういう単車なんだ、これは。それに、コンピュータ制御のインジェクションエンジンなんていうまがい物には無い良さがあるんだよ。もっとも、そのポテンシャルを引き出すのはライダーの技量次第だけどね」

(なんだかよくわからないけどすごいものかもしれない・・・)

朱美が呆気にとられていると、優花里が戻ってきた。

「僕は単車だから」

少年は単車に乗り去って行った。

「名前聞くの忘れた・・・」

「ゆかりんがトイレに行ってる間に、メアドを交換しといたよ」

優花里が呟くと、朱美が笑いながら優花里に携帯電話のアドレス帳を見せた。彼の名前は久平将史、八王子東高等学校の2年生だという。

「八王子東か・・・お勉強できるんだね」

「私達よりちょっとできるだけじゃん。それにしても、久平って先生と同じ名字だね。親戚かな?」

「久平と書いてキュウヘイって読むのはどこかで見たけど、クビラってのは聞いたことないよね。珍しいから親戚かも」

「聡史と将史で先生と一文字しか違わないじゃん」

2人は暫くの間話題にしたが、優花里は[久平]の意味を考えることはなかった。


帰路、優花里がふと見ると朱美の腰からひょうたんが消えている。

「ひょうたん、どうしたの?」

「えっ?うあああ、水が無くなったんでバッグの中にしまったよ!」

朱美はうろたえながら答える。

(へぇ~、蚕影神社に行った時はスイパラでも腰にぶら下げてたのになぁ。でも、まぁ、私はああいうのタイプじゃないからね。朱美、がんばりなよ!だけど、朱美ってああいうのが趣味だったかな?)

優花里は思わず笑ってしまった。


翌日の放課後、優花里が部室に行くと、ぼ~と窓の外を眺めている朱美がいる。

「どうしたの?」

「昨日の晩、久平君にメールしたんだけどね、こんな返事が来たのよ・・・」

《ごめんなさい。僕には護るべき人がいます》

優花里が朱美の携帯電話の画面を見ると、そこには想像を超えるメッセージが。

「痛ッ!」

思わず優花里は口にした。

「どんな子なんだろうなぁ・・・久平君みたいに頭良くて(いやいや、こんな返事してくる時点で既にバカでしょ)かっこいい(それはちょっと微妙・・・)人に護られてる子って・・・私も誰かに護られたいなぁ・・・私達の身近にいる男子って、あれだけだもんねぇ・・・」

「あれって?」

優花里が朱美の視線を追うと、部室棟の空き地で猫達に餌を与えている聡史がいる。猫にじゃれつかれて尻もちまでついている。

「先生、物知りだし背は高いし、足もそこそこ長いのにあの格好でしょ?散髪して身だしなみ整えればかっこいいんだけどね・・・眼鏡外せば結構イケメンなのに・・・」

(さっきから先生を見てたのか・・・あれ?ふ~ちゃん?)

聡史にまとわりついている猫の1匹が優花里の飼っているキジトラ猫(雑種♂)の[藤菊丸]に非常によく似ている。

(まさかね。ふ~ちゃんと同じ模様の猫なんて、そこらじゅうにいるから・・・)

「それはそうと、朱美、あれ、どうする?」

「あれって?」

「蚕影神社のことだよ。私達、蚕影神社が日影谷戸から現在地に移ってきたことと、柚木に蚕影神社に関連してるかもしれない和賛(こかげさん)があることと、養蚕信仰一般しかまだ調べきれてないじゃない?」

「あ・・・そうだね。でも、まぁ、まだ時間あることだし・・・それより、これからスイパラ行こうよ?今日は食べ放題で・・・」

朱美は腑抜けたように答えると、自棄食いをするために優花里を誘う。

(今日はしょうがないな。付き合うか・・・)


6月12日(水曜日)、優花里は作成した[絹の道踏破プラン]をPCとプロジェクタを使って地図でルートを示しながら聡史と部員に説明する。

「当日は朝9時に八王子駅北口を出発して、八日町交差点から国道16号に入り南下します。片倉駅のあたりで住宅地に入りますが、大塚山公園までは宅地造成で本来の道筋が全く残ってないので、現状の道をできるだけ元の道に沿って進みます。大塚山公園を経て絹の道資料館に着きます。この区間の絹の道は、ほぼ昔の姿で残されてます。絹の道資料館でお昼にして、更に南下します。町田街道の直前に残る旧道に入って、多摩堺駅までのコースとします。距離は9.4kmです。片倉駅から少なくとも絹の道資料館まではコース上にコンビニはありません。お弁当と水は各自準備してください。コース上で何を見て回るかはこれから検討すればいいと思います。以上です」

「歩くのは何時頃ですかぁ?」

優花里の説明が終わると、舞が質問する。

「暑い時期を避けて9月に入ってからがいいよ」

「それじゃ文化祭に間に合わないんじゃないの?」

「でも8月の暑い最中に歩くの、嫌だなぁ~」

とにかく暑い盛りに歩きたくないという意見が大勢を占める。

「終業式が終わった次の日曜日はどうかな?」

「いいね、それ!決まりね」

詩織が提案すると、全員が同調した。

「[絹の道]は、終業式後の日曜日に実行するから、コース上でチェックする個所を各自考えておいてね。来週決めるから」

紗希が仕切り、定例会は終わった。


「4月に蚕影神社に行った時とほとんど重複するコースだね?ゆかりん、プラン立てた以上歩くよね?」

朱美が優花里に尋ねる。

「まぁ、当然そうなるね」

「しかたない。付き合うか・・・」


1週間後の6月19日(水曜日)の定例会で、絹の道を辿るコース上のチェック個所を部員がそれぞれ持ち寄り、ふるいにかける。

「諏訪神社って、八王子市の指定文化財がたくさんあるでしょ?ちょっとコースから外れるけど今回のチェックポイントに入れようよ」

喧々諤々のなか、詩織が提案する。優花里は4月下旬以来蚕影神社に行っていない。行けば必ずあの光に包まれるだろう。不快ではないのだが、今となっては何か怖い。諏訪神社の話になった途端に顔色が変わった優花里を見て、朱美は以前諏訪神社に行った時に優花里に異変が起きたらしいことを思い出した。

「諏訪神社は境内社の蚕影神社を私とゆかりんで調べてるから、重複するんでオミットしない?」

朱美が提案する。

「でもぉ、折角だから私、行ってみたいんですけどぉ」

舞が詩織の案に同調し、詩織も諏訪神社の意義を強調するが、朱美が様々な理屈をつけて頑なに抵抗する。

「諏訪神社は優花里さんと朱美さんに追々レポートしてもらいましょう。確かに冊子と重複するし、コースから離れた場所にあるしね。詩織さん、申し訳ないけど今回は諏訪神社、オミットでよろしく」

こんなことで紛糾しても益なしと考えた紗希がさっさとまとめてしまう。

(何だか宿題が増えたような・・・でも、とりあえず良かった)

優花里は複雑な気分になるが、胸をなでおろした。


期末試験が終わり、梅雨も明けてやっとこれまでの陰鬱な空から解放された。

「次の日曜日は絹の道担当の4人、よろしくね」

終業式を間近に控えた7月17日(水曜日)、定例会の締めとして紗希が絹の道担当に声をかける。

「部長ぉ、私も一緒に行きたいんですけどぉ、いいですかぁ?」

絹の道担当は結局、優花里、朱美と1年生2人の4人になったのだが、パネル担当の舞が挙手して参加したいと言いだした。

「私も!」

「私も!」

詩織も含めた他のパネル担当も同様に参加したいと言いだし、結局紗希以外は全員参加することになった。

「これだけ人数が増えると先生1人じゃ心配だから、私も参加しなきゃね」

紗希も興味があるので参加したかったのだが、自分から切り出すことができなかったのでこれ幸いに参加を言いだす。結局のところ、3年生以外は全員参加となった。

「それじゃ、参加する人、当日はお弁当、帽子、タオルと水1ℓは必ず持ってきてね」

紗希が参加者全員に念を押した。


「先輩・・・お願いがあるんですけどぉ」

定例会が終わると、1年生4人が朱美に寄ってきた。

「何?」

「この前、先輩が部室に持ってきてくれたラフテーとゴーヤーチャンプルー、すごく美味しかったです。だから・・・その・・・すごく厚かましいんですけどぉ・・・私達のお弁当、作ってくれませんか!」

舞が口火を切ると、1年生達は朱美に懇願する。

(あ~、ついに来たか・・・)

以前、朱美は家庭科の実習で作り過ぎたラフテーとゴーヤーチャンプルーを部室に持ってきて1年生達に振舞い、絶賛を受けていた。朱美はとっさに当日の作業を検討する。

(材料は藤村さんの販売所でだいたい揃うから、前日に買えばいいか・・・)

「いいよ、4人分作るのも8人分作るのも変わらないから」

「ありがとうございます、先輩!」

1年生は歓喜する。

「でもぉ、何故8人分なんですかぁ?先生以外の全員分作るんですかぁ?」

舞が朱美に尋ねる。

(しまった!)

「それは内緒」

朱美はぐらかした。

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