第16話後三年合戦の地へ

翌11月20日(水曜日)の朝、優花里と恵理香は食堂で弁当とお茶を朝昼2食分受け取ると集合場所の北上駅に向かい歩き出した。

「うひゃ~、さぶい!」

「マジ、冬じゃん!」

「恵理香、マフラー、2人巻きさせてよ」

「ほれ、ちょっと短いけど」

「生き返るわ・・・」

見慣れない制服を着た薄着の女子高生2人が愚痴愚痴言いながらマフラーを2人巻きして両手をポケットに突っ込んで歩いている姿を道行く人々は奇異な目で観ていたが、寒さに震える2人は見てくれに構っていられない。7時15分、優花里と恵理香が集合場所の北上駅西口改札に着くと、朱美が1人でポツンと立っている。

「朱美、おはよう・・・さぶいね・・・」

「おはよう。集合場所、ここでよかったんだよね?」

(何!)

優花里が朱美に声をかけると、朱美は心配そうな顔つきで答えたが、優花里と恵理香がマフラーを2人巻きしているのを見た途端、朱美の血相が変わる。

「集合場所はここで間違いないけど、誰も来てないね・・・」

しかし、朱美の変化にお構いなしに恵理香は周囲を見回している。

「パンフレットには7時20分に北上駅西口改札集合、って確かに書いてあるけど・・・」

優花里もパンフレットで確認する。

「本当にここでいいのかな・・・さぶい・・・」


集合時間の7時20分になっても、他に誰も来ない。

「ちょと、マジやばくない?クンビーラの携帯番号わかる?」

「やぁ、おはよう!遅れてごめん。お前達、その格好は?」

焦燥に駆られた恵理香が優花里に聡史の携帯電話の番号を尋ねていると、集合時間に若干遅れて聡史がやって来た。聡史は冬期用のライダースジャケットを着込んで防寒対策を厳重にしているが、コートを着ずにマフラーを2人巻きしているだけの薄着の優花里と恵理香を見て唖然とする。

「油断しました・・・さぶいです・・・」

「あれだけ寒いから、って言ったのになぁ・・・」

優花里が答えると、聡史は呆れている。

「まぁ、準備してるからいいか・・・皆揃ってるね、じゃ、行こうか。はい、切符」

聡史が3人に切符を渡す。

「先生、他の人は?」

「いないよ。僕も含めて4人だけ」

恵理香が聡史に尋ねると、聡史は淡々と答える。

「ええっ!」

「マジっすか?」

「よほど人気が無かったんだね、この後三年コース。選択したのはお前達3人だけだよ」

聡史は他人事のように淡々と説明する。

「だから、バスが7台しかなかったんですね?」

「そういうこと。でもね、希望者が少ないからといって他のコースに無理矢理押し込まないとこがこの学園のいいとこだけどね」

「このコース、誰が企画したんですか?人気がないのも、このコースだけがレポート提出必須だからでしょ?」

「僕が企画した。そもそも、こうでもしないとお前達、本質的な勉強しないだろ?問題集を解いたり試験勉強することだけが勉強じゃないんだからね。偏差値ヲタクになりたくないだろ?」

「・・・」

「電車に乗り遅れるとまずいから、早く行こう。ここにいても寒いしね」


4人は7時38分発のJR北上線で横手駅に向かう。当然、在来線である。

「朝飯、まだだろ?座れたんだし食べよう」

聡史はデイパックから旅館で受け取った弁当とペットボトルのお茶を出した。

「何だか損したみたい・・・」

優花里が愚痴をこぼす。

「何が?」

「だって、私達3人だけがお弁当でしょ?朝食、バイキングだったし・・・」

聡史の問いかけに、優花里はふくれっ面で答える。

「ゆかりん、この量じゃ足りないからね・・・でもね、先生、他のコースは8時半出発ですよ。何で私達だけ・・・」

朱美も愚痴をこぼす。恵理香だけは黙々と弁当を食べていた。

「次は10時20分まで電車がないんだから仕方ないだろ。ここは東京の都心みたいに5分に1本電車が来るとこじゃないんだよ」


「さて、飯も食べたし、予習しようか。パンフレットを出して」

「えっ?」

「外の景色を楽しみましょうよ。お菓子、ありますよ」

「そうですよ、折角ここまで来たんだから」

「ダメ。修学旅行は移動中も授業なんだからね」

「はぁ・・・」

聡史は、後三年合戦を300年以上続いた日高見国の[日本]に対する抵抗と独立の結実として阿弖流爲の時代から説明し始めた。

(あれ、何だ、急に眠くなってきた・・・ご飯食べたせいかな?電車の中、暖かいし・・・)

真剣に説明している聡史には悪いと思いつつも、優花里は睡魔に抗えないでいた。

(このコースを選んだ理由も、沼柵と金沢柵、大鳥井山遺跡(出羽清原氏の一族、大鳥山太郎頼遠の居城と伝えられている)が見学場所に入ってるからだしね・・・私にとっては城郭攻略が目的だから・・・)

寝る理由をこじつけると、優花里は熟睡してしまう。

「優花里、優花里!」

横に座っている恵理香が肘で軽く優花里を小突くが、優花里は全く反応しない。

「ゆかりん、寝ちゃうと簡単に起きないよ」

「寝かしとけばいいよ。でも、今日の行程はレポート提出が必須だからね」

意外にも冷淡な聡史の言葉に朱美と恵理香は驚いた。


「これで概要は理解できただろ?後は現地で各論だ」

パンフレットを用いた聡史の説明が終わっても、優花里はまだ寝ている。

「優花里、ホントによく寝るからね・・・」

「中学の時から授業中の居眠り、常習だからね」

恵理香が呆れていると、朱美は恵理香に相槌を打つ。

「この前なんか、1限目から寝て、休み時間はぼ~として、授業が始まると寝ての繰り返し。先生も呆れて注意しなかったしね。それで成績上位なんだから、どういう頭の構造してるのか、一度頭の中を覗いてみたいよ」

「本人は睡眠学習法とか言ってるけどね」


8時53分、列車は定刻どおり横手駅に着いた。

「優花里、着いたよ。優花里!」

恵理香が優花里の肩を揺さぶる。

(あれ、気のせいかな・・・)

優花里が身に付けているネックレスの金属板が微かな光を放っている。

(まさかね、ネックレスが自ら光るなんて。陽の光に反射しただけでしょ)

「優花里、起きてよ!」

恵理香が更に肩を揺さぶると、ようやく優花里は目を覚ました。

「恵理香・・・おはよう・・・」

「優花里!」


横手駅西口駅前広場に出ると、[八王子女子学園御一行様]と表示されたワゴン車が駐車している。

「久平先生!」

ワゴン車の脇には30台後半の男が立っていて、聡史の姿を確認すると声をかけた。

「今日1日、車の運転をしてくれる縣さん。縣さん、よろしくお願いします」

聡史が男を紹介する。

「縣です、よろしく」

(何?)

(へ?)

驚いた優花里と朱美は顔を見合わせる。

(先生、何企んでるんだ?)

優花里は疑念の目で聡史を見つめる。

「ほれ、自己紹介は?」

「五十嵐です」

「豊浦です」

「島です」

3人は聡史に催促されると極めて簡単な自己紹介をする。

「その格好じゃ寒いでしょ?車の中に入りましょう」

縣氏の誘いで4人はワゴン車の中に入った。車の中は既に十分に温まっている。

「じゃ、行きましょうか?」

「そうですね、出発しましょう」


9時05分、聡史達一行は横手駅西口駅前広場を出発した。最初の目的地は、多数の凍死者を出し源義家が敗退を余儀なくされた後三年合戦の激戦地である沼柵推定地である。

「実は縣さんはね、後三年合戦絵詞に登場する縣小次郎次任の子孫なんだよ」

「ウソでしょ!」

朱美が間髪入れず驚愕の声を上げる。

「すごいですねぇ」

「先生、やめてくださいよ。名字が同じだけで事実かどうかわからないんだから」

聡史の紹介に恵理香が感心していると、縣氏は照れ臭そうに話す。

「縣さんはね、霞が関の官僚だったんだ。特に電子自治体の分野では霞が関の第一人者で他の追随を許さない理論家・実務家だったんだよ。政府の政策を地方自治体と共に実現するために陣頭指揮してたんだけどね、311(東北地方太平洋沖地震)を契機に政府の在り方に疑問を持つようになって、今年の春に公務員を辞めて故郷の横手に戻り、横手を拠点にして東北の復興のために尽力してるんだよ」

「あまり持ち上げないでくださいよ」

聡史のベタ褒め紹介に縣氏は更に照れ臭そうにしている。

「ホントにすごいですね。東大出身ですか?」

「省略すれば東大かもしれませんね」

恵理香が縣氏に尋ねると、ステレオタイプな恵理香の質問に縣氏は冗談っぽく反応する。

「でも、東京の大学ですよね?」

朱美が更に尋ねる。

「東京農工大学工学部の機械工学科ですけど」

(げげげっ、ウソでしょ!)

朱美は驚きのあまり声も出ない。

「縣さん、彼女の御母堂は農工大の教授です。工学研究院蚕糸工学研究室の島教授、御存知ですか?」

聡史が島教授のことまで話に出す。

「学科が違うとわかりませんね。それに卒業したの、15年前ですから」

「そうですね、学科が違うと別世界ですからね」

「先生と縣さん、以前からのお知合いなんですか?」

やたら縣氏のことを詳しく語る聡史に疑問を持った朱美が尋ねる。

「8月に下見に来た時に横手市の教育委員会から縣さんを紹介されたんだ。縣さん、歴史にも造詣が深いから話が弾んでね、意気投合したわけ。ところで、お前達がこのコースを選択した理由は?」

「私は、純粋に歴史を辿ることができるコースだからです。他のコースは単なる観光旅行みたいだし」

聡史の問いに恵理香が答える。

「私は・・・南部鉄にしようと考えてたんですけど、どうしても縣小次郎次任が頭から離れなくて・・・で、ゆかりんは沼柵と金沢柵、それと大鳥井山遺跡が見学コースにあるからだって」

朱美が寝ている優花里に代わり答える。車に乗ると優花里は恵理香にもたれかかり瞬く間に寝てしまっていた。

「他の歴研部員はどうしたの?」

優花里の頭を愛おしそうに撫でながら恵理香が朱美に尋ねる。

「紗希ちゃんは遠野、詩織は南部鉄に行ったよ。詩織は茶道もしてるからね」

(何だか、さっきから恵理香ばっかりゆかりんの隣に座って・・・)

朱美はまるで自分の特権が恵理香に侵害されているかのようにイライラしている。

(何だろう?この変な気分は・・・)

「島は何故、縣小次郎次任に関心があるんだい?」

「うちの伝承だと、先祖は縣姓なんですよ。実際、ひいおじいちゃんまでは足利の県町に住んでたんですけどね。でも、お父さんが調べてくうちに、縣氏が建立した寺に残されてた古文書は明治初期の偽文書だとおじいちゃんに指摘されたり、系図は江戸時代に偽造されたようだとか、その時繋ぎ合わせた系図自体が高氏の庶流のものかもしれないとか、太平記に出てくる縣下野守も関東執事高師有と縣郷の帰属を争った縣下野入道と同一人物かどうかはっきりしないし・・・そもそも、縣下野守って戦国時代じゃあるまいし南北朝時代にはまだ勝手に官職を僭称できないですしね。もっとも、高師直ならやりかねないんですけど、もうかなり嘘っぽい状況なんです。でも、それでも何か繋がりがあるのかなと考えちゃうんですよ。次任も縣姓ですからね」

「縣さんはどうでしたっけ?」

聡史が縣氏に話を振る。

「次任の子孫云々は言い伝えで、史料的な裏付はありません。ただ、本家は仙台市内だったんですけど、1945年7月10日の仙台大空襲で本家の全員が焼死して家も丸ごと焼かれたので、本家にどういう記録があったのか今となっては全くわからないんです」

「戦争、大変だったんですね・・・」

恵理香が涙目に呟く。1945年7月10日の仙台大空襲は123機のB-29による空襲。被害は死者2755人、被災人口5万7321人、被災戸数1万1933戸、被災面積5km2であった。

「ただ、伝承のなかに奇妙なものがあって、ヲワケと戦い敗れたアガタ一族が毛野国(後の上野国と下野国南部)に逃れて、数年後に一族の1人がヲワケを暗殺し、その者が日高見国に辿り着いた、ってのがあるんです。このヲワケを殺した人物、ヌクテと名乗ってたそうです。このヲワケが稲荷山古墳出土の鉄剣銘に登場する乎獲居であれば471年頃の話ですけど、下野国の縣氏と次任は何か関係があるんでしょうか?」

「ヌクテ、って確か朝鮮語で狼の意味ですよね。アガタ一族は半島から渡来した新羅系渡来人だったんでしょうか?」

「さてね・・・全くわかりませんね」

聡史が縣氏に尋ねると、縣氏は笑って答える。

「それと、こんなのもありますよ。阿弖流爲はヲワケを殺して日高見国に辿り着いたヌクテの子孫で、次任は阿弖流爲の血を引いてるとか。802年、阿弖流爲と共に処刑された母礼は下野国のアガタ一族の長だったともね。ここまでくると歴史上の有名人に無理矢理ひっ付けた、何処にでもある与太話ですよ」

「乎獲居は倭王獲加多支鹵の杖刀人の首、つまり親衛隊隊長ですね。獲加多支鹵は雄略天皇に比定されてますから、5世紀に倭が軍事的膨張政策を執り、列島における支配を拡大する過程で在地勢力との戦争が絶えなかったことは容易に想像できますけど、史料も何も存在してないのにアガタ一族と乎獲居が戦ったとか、ヌクテが乎獲居を暗殺したとか、そこまで具体的な話は確かにできませんね。お話としては面白くても、それは歴史じゃないですよ。ただ、この伝承が仮に歴史的事実に基づいているとするならば、稲荷山古墳の被葬者は乎獲居、ってことになりますね」

「ハハハ、確かにそうですよね」

聡史の正論を聞いて、縣氏は笑いながら頷いていた。

「もうじき沼柵です」


9時30分、聡史達一行は沼柵推定地に着いた。縣氏の沼柵という言葉に敏感に反応した優花里は、誰に起こされるまでもなく既に目を覚ましていた。

「ゆかりん、特定のキーワードには敏感に反応するね」

「そうか!優花里を起こす時にはお城の名前を言えばいいのか!後で試してみよう」

「さぶいよ・・・」

「これ、着てください。その格好だと風邪ひきますよ」

縣氏が車から防寒着を取り出した。

「準備いいんですね」

「去年も冬服を持ってくるように、って何回も言ったのに薄着で歩き回って風邪をひいた生徒が大勢いたそうだね。お前達にもあれほどガイダンスで注意喚起したのに・・・」

朱美が感心していると、聡史が3人に防寒着を渡しながらネチネチ言っている。

「サイズが合わないかもしれないけど我慢してくださいね」

「何処から持って来たんですか?」

恵理香が縣氏に尋ねる。

「市役所の道路河川課から借りてきました」

「ホントだ。横手市役所建設部道路河川課って刺繍してある」

恵理香は防寒着の刺繍を見つけると感慨深げに眺めている。

「義家がここで多くの凍死者を出して敗退した理由が実感できるだろ?当然、生き残った武士達の多くも凍傷を負ってたはずだよ。関東以西の武士達を中心に構成されてた義家の軍勢は北国の冬の厳しさを知らなかった、あるいはなめてたんだ。ロシアに侵攻したナポレオンやヒトラーのようにね。侵略に失敗して敗退する運命まで同じだ。ナポレオンの大陸軍がネマン川を越えたのもバルバロッサ作戦が発動されたのも6月(1812年6月23日及び1941年6月22日)だけど、ロシアのような広大な領土故に縦深防御が可能な国を相手にして、冬が来る前に相手を降伏させることができると考えること自体が判断ミスなんだよ。義家が沼柵包囲を始めたのは秋になってからだ。農繁期を避けたからだろうけど、包囲を開始するタイミングが遅すぎる」

聡史の[講義]が始まる。

「沼、っていう感じはないですね」

恵理香が周囲を見回して聡史に尋ねる。

「ここは正確には沼柵の推定地で、考古学的には実証されてないんだよ。ここが本来の沼柵だったら、という前提で話すけど、今、水田になってる土地は、当時は湿地帯かそれこそ沼だったんだろうね。冬期に無造作に軍勢を柵の周囲に展開すれば水に浸かり凍傷になる。豊浦、こういう場合、最適の攻城法は?」

「兵糧攻め、っす!空気が乾燥してる時期なら火攻めも加えます!」

間髪入れず優花里が答える。

「だけど、兵糧攻めの場合は長期戦になるから攻城側は兵站線を整えて兵糧や物資を十分確保しなければならない。その点でも義家は失敗してる。冬季装備が不十分で多数の凍死者を出してるし、康富記によると義家勢は兵糧が尽きて馬を殺して食べた程だ。義家には、兵站という考えがなかったんだよ」

「食べ物がなくなり、大将の義家自ら腐った煮豆に手を出したしね。そもそも、煮豆は馬の餌だったんでしょ?」

「ああ、納豆のことか」

恵理香が冗談っぽく言うと、朱美も笑って反応する。

「沼柵での腐った煮豆は[納豆伝説]の類で信憑性がない。地元の特産品を歴史上の著名人と結びつけただけだよ。聖徳太子が初めて[腐った煮豆]を食べたという説話もあるくらいだからね。一軍の将や大王の息子が、糸を引いて異臭を放つ腐ったような豆を率先して食べるはずがないだろ?」


沼柵推定地の周囲や内部を巡りながら、聡史は沼柵の戦いやその歴史的背景、歴史に及ぼした影響を丁寧に説明していく。

「さて、郷土資料館に寄って〆ようか?」

聡史達一行は沼柵推定地を後にすると、雄物川郷土資料館に向かった。

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