第8話陸上部の栄光

「何すんだよ!姉ちゃん!」

7月31日(水曜日)の昼過ぎ、居間に降りてきた優花里はいきなりリモコンでテレビの画面を第66回全国高等学校対校陸上競技選手権大会の中継に切り替える。

「DVDなんて何時でも観れるでしょ!しかもそれ、私のガルパンじゃん!」

「・・・」

優樹は優花里から借りたDVDを観ていただけに抵抗できない。

「優樹、お茶入れて」

「自分で入れろよ」

「いいのかな?」

優花里にテレビを乗っ取られた優樹がふてくされていると、優花里は悪魔のような笑みを浮かべながら優樹に質す。

「机の一番下の引き出し・・・何が入っているのかな?」

「うわ!何時部屋に入ったんだよ!」

「部活で忘れ物して、学校まで持って来てくれって騒いだことあったよね?その時荷物を取りに部屋に入ったら、引出しから熟女がはみ出してたんだよ」

「・・・」

「彩香ちゃんだったっけ?この前うちに来た子。私、メアド交換したんだよね・・・お母さんと同じ年代の熟女・・・呆れるよね、普通・・・」

「わかったよ!入れりゃいいんだろ!」

「わかればよい」

(ちくしょう!)

優花里はくし田の手焼煎餅が入った袋を抱え、理恵が出場している第66回全国高等学校対校陸上競技選手権大会の実況中継を観始めた。優花里はこれまで陸上競技には全く関心がなかったが、7月に入って以降、会う度に紗希から理恵の調子が素晴らしく良く、第66回全国高等学校対校陸上競技選手権大会で高校女子の日本記録を更新するかもしれないから応援してくれと聞かされ続けていた。しかも、紗希は定例会でテレビの中継時間を部員達に周知し、昨晩にはメールで部員達に連絡するという念の入れようだった。クラスでも郁美と恵理香から同じことを何回も聞かされていたので、優花里は脊髄反射的にテレビを観るために部屋から降りて来たのである。

「何だ、八王子女子の選手が出てるのか」

渋々お茶を入れていた優樹がテレビ画面を観ながら呟く。優樹も陸上部であることから競技には関心がある。結局、姉弟で第66回全国高等学校対校陸上競技選手権大会を観ることになった。


14時、理恵が出場する女子走高跳の決勝が始まった。競技開始後、理恵は軽い練習をしているかの如く、淡々とクリアを繰り返していく。

「姉ちゃんとは大違いだな。同じ人類とは思えない・・・」

優花里は煎餅をボリボリ食べながらお茶を飲んでいたが、優樹は競技に真摯に向き合う理恵と踏ん反り返ってテレビを観ている優花里を比較している。

「何か言った?」

「同じ人類とは思えないって・・・痛っ!」

優花里は優樹の頭を小突く。

「黙って観てなさいよ!」

1m83をクリアした時点で、理恵は最後の1人となる。ここで理恵は一気に1m88に挑むことにした。会場からはどよめきの声が上がる。

「あり得ないよ、こんな無謀なこと!」

優樹が声を上げている。アナウンサーも、理恵の選択を信じ難いと言わんばかりの口調で話し続けている。

(主将、やる気だね。よほど自信があるんだろうな・・・)

理恵が練習で1m90をクリアし、高校女子の日本記録を更新することも可能な程に調子がいいことを優花里は紗希から聞いている。理恵は1回目は失敗したものの、2回目に1m88をクリアした。

「やった!」

優花里と優樹は思わず声を上げた。会場は歓喜に溢れ、アナウンサーも興奮した口調で解説している。理恵は続いて1m89に挑み、これは3回目にクリアした。

(何処まで記録を伸ばすんだろ?すごすぎる・・・)

優花里にとって競技中の理恵を見るのは今日が初めてであり、今までは練習中の理恵すら見たことがない。優花里の理恵に対するイメージは、紗希の介在もあって身近に感じてはいたものの、少し天然が入っているが美人で頭が切れて統率力が高い個性的で魅力的な上級生、でしかなかった。その理恵が1m90をクリアすれば、高校女子歴代1位と並ぶことになる(高校女子歴代1位は佐藤恵が1983年7月10日に記録した1m90)。しかも、1m90は30年間誰も飛んでいない驚異的な記録でもある。今、理恵は走高跳の新たな女王として君臨しようとしている。テレビ中継とはいえ、理恵が女王になる過程を同時進行で実体験していると思うと、優花里は感動せずにはいられなかった。


理恵は1m90を2回目にクリア、次は高校女子未踏の1m91に挑むが、3回連続して失敗してしまい記録は1m90に終わった。それでも理恵は30年ぶりに1m90をクリアしたことで高校女子歴代1位と並び、自己最高記録を一気に8cmも更新するだけでなく、大会記録を21年ぶりに塗り替える(大会記録は太田陽子が1992年に記録した1m83)という偉業を成し遂げたのである。競技が終わると割れんばかりの喝采が会場に起こり、観客はスタンディングオベーションで理恵を讃える。1m91は失敗したとはいえ、1m90をクリアした充足感からか、理恵は虚空を見つめ1人佇んでいた。その理恵の背中に恵理香が校旗をかけている様子がテレビに映し出されると、その有様は戴冠式に臨むためにマントを羽織る女王の姿を彷彿とさせた。

(恵理香、いい演出してるじゃん・・・)

優花里の目頭は熱くなった。

「姉ちゃん、柄にもなく泣いてるのか?」

「うるさいわね!」

「痛っ!」

優花里は再度優樹の頭を小突く。

「優花里!優樹が変な性格になったらどうするの!」

途中から観戦の仲間に入った母親が優花里を叱る。優樹は世間並みに両親には反抗するものの、優花里に対しては表面的な抵抗をするだけで服従しており、しかもわざと優花里を挑発して小突かれることを期待しているようにも見える。中2で早くもM的性癖が出てきているかと思うと、親として気が気でない。


理恵は恵理香から渡された八王子女子学園の真紅の校旗で身を包みフィールドを歩いていたが、やがて立ち止まり観客席に向かい両手で校旗を高く掲げ振り始めた。偶然理恵の真後をカメラが映していたが、その延長線上には紗希の姿がはっきりと映っていた。

「さっ、紗希ちゃん?紗希ちゃんが何故・・・」

紗希も両手を振り、優花里も見たことがない満面の笑みで何かを叫んでいる。すると、優花里の携帯電話がけたたましく鳴った。

(朱美からだ・・・)

「はい、豊浦です」

《ゆかりん!全国大会、観てる?紗希ちゃんが、紗希ちゃんが映ってるよ!》

「観た、観た!紗希ちゃん、嬉しそうに両手を振ってたよね?」

《紗希ちゃん、最近主将の話しかしないんでひょとしたらと思ってたら、やっぱね・・・》

中継そっちのけで優花里と朱美は話し込んでいる。もうじき恵理香と郁美が出場する女子100mの決勝の時間になるのだが、優花里と朱美の話はまだ終わらない。

「姉ちゃん、電話うるさいよ・・・痛っ!」

優花里はまた優樹の頭を小突く。

「優花里、いい加減にしなさい!優樹も挑発するんじゃないの!」

しかし、優花里は母親の叱責を全く意に介さず朱美と話し続けている。

《ゆかりん、そろそろ100mの決勝が始まるから一旦電話切るよ。じゃ、またね》

「うん、そうだね、またね」


16時10分、女子100mの決勝が始まった。第66回全国高等学校対校陸上競技選手権大会には佳織も出場するはずだったのだが、直前に右足を痛めて辞退。しかし、恵理香と郁美は決勝まで勝ち残り、8人の走者のうち2人が八王子女子学園所属という快挙を成し遂げている。

(恵理香も最近調子がいいみたいだから上位に入るかもしれない)

優花里にとって、クラスメイトが2人も決勝に残ること自体夢のような話である。恵理香も郁美も緊張した面持ちでスタートラインに並んでいる。そして、8人が一斉にスタートを切った。中盤を過ぎると、恵理香が若干リードしているように見える。

(このまま逃げ切って!)

優花里が祈るような思いでいるうちに勝負がついた。結果は、恵理香が1位で記録は11秒68、郁美は3位で記録は11秒71であった。恵理香は大会記録を更新することはできなかったものの、高校女子の日本記録保持者である土井杏南(2012年に11秒43を記録している)を破り、初めての大会優勝を成し遂げたのである。自分自身の勝利を信じられないかのように放心状態でフィールドに立ちすくむ恵理香の肩に、今度は理恵が校旗をかけている。我に返った恵理香は泣き出し、理恵にしがみついた。理恵は暫くの間恵理香を抱擁していたが、やがて恵理香の右手を取り観客席に向けて高く掲げる。観客は拍手で恵理香を讃えていた。

「恵理香、おめでとう!郁美も頑張ったね!」

優花里は思わず声を上げた。


八王子女子学園は走高跳と100m競争以外でも走幅跳で3位、エース佳織が不在にも関わらず4×100mリレーでも2位に入り、35点の学校得点を獲得し学校対抗最終成績2位となった。また、大会2連覇、大会記録更新、高校女子歴代1位タイ記録を成し遂げた理恵は文句なしのMVPに輝いたのである。

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