第7話 奥東圀誌・トゥルクズ紀
※以下URL七圀地図
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次に
バフシュ河の彼方パラバフシュには果てしない草原が広がっております。バフシュ河の東側から、エブレン・アルトゥンの峰々が伸び、
トゥルクズとは
エル・カァンが崩じ、その子キュン・カァンが継ぎ、キュン・カァンが崩じ、その子アイ・カァンが継ぎ、アイ・カァンが崩じ、その子ユルドズ・カァンが継ぎ、ユルドズ・カァンが崩じ、その子タグ・カァンが継ぎ、タグ・カァンが崩じ、デンギィズ・カァンが継ぎました。
エル・カァンの御世より三百年の後、デンギィズ・カァンの御世、
デンギィズ・カァンは
男児は
やがて
キョク・カァン達は僅か十七騎の無勢、それに対してクルムクシュの
別の言い伝えに拠りますと、嘗て人類は馬の背に乗ることを知らなかったそうです。最初に馬の背に跨ったのは、
十七騎の戦いの時に、トゥルクズの真似をして馬の背に跨って逃げた者たちは、アルヤナグや様々な人々に馬の乗り方を伝えたそうであります。俄かに盛んとなったトゥルクズの勢いを恐れたサグズダグやスヴァナグ達もまた、トゥルクズの真似をして馬の背に乗ることを覚えたそうであります。
エルゲネコンの四つの大きな峰を持つ長い山並みの麓、青みたる草が丈高く生い茂る牧場が果てしなく地で、トゥルクズは大いに栄え、パラバフシュの果て果てに拡がっていきました。やがて廻る天輪の定めにより、キョク・カァンの御霊は天の彼方に飛び去りました。
とある言い伝えに拠りますと、我が子である
トゥルクズは
キョク・カァンが報じてトゥルクズが十六部に分かれた頃、メーノーグシュタル大王の曽祖父アシュバカンは、シャンドゥ―と戦って殺されました。その為に部族はアシュバンとサグ-スヴァルに別れました。アシュバンはフラシュトゥワーン王の元、ゴルガルとカフバルフの山並みに挟まれたベフシュドルの牧地に留まり、サグ-スヴァルは更に四散してバフシュ河とパラバフシュの地で、トゥルクズ-トゥルクシュと雑居したそうであります。
それより百年後、アシュバカンの裔アシュヴァン部族のメーノーグシュタル大王は、サグ-スヴァル、トゥルクズ-トゥルクシュ諸部に攻められ、バフシュドルの牧場を追われました。アシュヴァンの民たちと彷徨った末、マンダルの裔マイダル部族とチャクラヴァトの裔チャクラン部族に迎えられ、アムガルの都で玉座に座りました。この時よりアルダクシャフルの元年が始まりました。
十年、メーノーグシュタル大王の次子ティグルダードはバフシュドルの地を奪い返し、その地のサグ-スヴァル、トゥルクズ-トゥルクシュを従え、ティグラーンの国を建てました。
十三年、メーノーグシュタル大王は、シャンドゥ―の都ベフガンジュ陥れ、シャンドゥ―の王カイダハーグ・ビバルラーサを討ちました。この時ティグルダード王に率いられてトゥルクズ-トゥルクシュも戦いに加ったそうであります。
二十八年、メーノーグシュタル大王の三子カイ・アーラシュが即位しました。九年の間にルムドと戦ってアーハンルード河を国境に定めました。三十九年、兄フラシュヴェーズに弑逆されて王位を簒奪されました。カイ・アーラシュの遺児クルシュナシュヴァ・ウズルクは、叔父のティグルダード王の元に匿われて、
その間、マイダルの貴族や騎士たちは、カイ・フラシュヴェーズの暴政に耐えかねておりました。マイダルに仕えるトゥルクズのスパフバード・アルパグ・ベグは、不満を抱く貴族たちと密かに通じ合い、カイ・アーラシュの子クルシュナシュヴァを誘って王位につけようとしておりました。
七十五年、カイ・アーラシュの子クルシュナシュヴァは、カイ・フラシュヴェーズを討ち、アルダクシャフルの皇位に就きました。スパフバード・アルパグ・ベグは、その後ルムド征服にも手柄を立てました。アルパグ・ベグは、ルムドの太守になり、王に代わって
それから二十年程後、ティグルダードの子ドーシュターシュヴァが卒し、その子アスヴァルギールがティグラーンの王位を継ぎました。とても勇敢でありましたが、未だ若かったので、母トュミュルクズが後ろ盾となりました。トュミュルクズはトゥルクズのアルタガン部族の出でありました。この時ティグラーンは、カフバルフの北からバフシュ河両岸の北狄や諸都市を抑え、その力は強く盛んでした。アルダクシャフルよりも大きくなることを望まないカイ・クルシュナシュヴァは、トュミュルクズに結婚を申し込んで、ティグラーンを全て我が物にしようとしました。しかし、聡明なトュミュルクズはカイ・クルシュナシュヴァの真意を見抜いておりました。
九十五年、アルダクシャフルとティグラーンは二度にわたって激戦を繰り広げました。始めの戦いでトュミュルクズは息子のアスヴァルギールを失いました。トュミュルクズは自ら出陣して再びカイ・クルシュナシュヴァと干戈を交えました。この戦いでカイ・クルシュナシュヴァは敢え無く討ち死にしてしまいました。
カイ・クルジュナシュヴァの後、その子ガーウマニシュが皇位を継ぎました。ガーウマニシュは父の仇を討つべく兵を挙げてティグラーンに再び戦いを挑みました。アスヴァルギールの弟ダルヤーブがティグラーンの王位に就き、母后トュミュルクズとアルタガン及び北狄諸部の後ろ盾の基、アルダクシャフルの軍勢を迎え撃ちました。
一百四年、七年の戦いの末、ダルヤーブはカイ・ガーウマニシュを討ち、アルダクシャフルの皇位を受け継ぎました。カイ・ダルヤーブの下、アルダクシャフルとティグラーンは長きにわたって国を安んずることが出来ました。
一百五十年頃、フワダーイヤールの御代、シャンドゥ―の末裔と謂われるガーウメースカムが、ベフシュ河の奥、エブレンとアルトゥンの山並みに挟まれたテレグハルの地に於いてチャンダル国を興しました。彼の地は冷涼にして地味も貧しく、兄弟で一人の妻を娶る俗がございます。
カイ・ダルヤーブの三十四年、カイ・フワダーイヤールの二十年、カイ・フシャスラルダの四十一年の在位の後、ティグラーン家と北狄諸族との間の縁は薄くなっていきました。その頃、バフシュ河の北にはトゥルクズのクズルバク、アクトガン、バフシュ河の東にはチャンダルのムルバガン、スヴァラン、アルガン、タグラク、ゴルガルの山並みとバフシュの流れの間には、セグズド、ダフユルク、アグラク、カガシュが蛮居しておりました。またチャフラーンの北の海沿いにはルフシャーンが居り、夫々が谷に分散し、夫々が
二百七年、カイ・ダルヤーブ・シャフラアルダーンの御代、セグズドの王はカイ・ダルヤーブ(二世)の母后と通じ、密かに子を設けていたそうです。ある時、母后はセグズドの王をクルシュカルドに誘い出して殺し、兵を挙げて一気にセグズドの諸都市を征服しました。
二百二十二年、カイ・ダルヤーブ(二世)が崩じると、兄フシャスラルダと弟クルシュナシュヴァが皇位を廻って激しく争い合いました。フシャスラルダは東国と北狄の後ろ盾を得、クルジュナシュヴァはラシュナ等の西戎の後ろ盾を得て戦いました。フシャスラルダは、心は寛く情に厚い人でしたが、武運拙く討ち死にしてしまいました。クルジュナシュヴァは皇位に就きましたが、フシャスラルダの遺徳は厚く、北狄は屡々反旗を翻しました。
このクルジュナシュヴァは、トゥルクズ-トゥルクシュの間でも最も御名を知られた
二百五十五年、クルジュ・カァガンは詔を発し、長子ヴァルカーシュ・テギンとスパフバード・マルドゥーウシュに七万の軍勢を託してゴルガルの山並みの北側に進ませました。この時、西にダハグエルが強く、東にチャンダルが盛んでありました。トゥルクズのトグルク
ヴァルカーシュ・テギンは、頭は賢く、心は寛く、情に厚く、嘗てのフシャスラルダ・ダルヤーバンの様でありました。またマルドゥーウシュは強く賢く、善くヴァルカーシュ・テギンを輔けたので、再び北狄と東国は安んじて治まることになりました。国中の誰もが、ヴァルカーシュ・テギンこそが、
十年ほどでヴァルカーシュとマルドゥーウシュが死に、諸侯はアルドゥクシャフルに叛き、
後にカガァンに成られるメルゲン・テギンは、トゥメン・カァンの息子であります。しかし、トゥメン・カァンは後添のカトゥンが産んだ子ビルゲシズ・テギンを愛し、メルゲン・テギンを廃嫡しようと考えておりました。この頃、トゥメン・カァンはマルドゥーウシュに敗れ、アルダクシャフルとの和睦に託け、メルゲン・テギンをクルシュカルドに人質に送りました。トゥメン・カァンは敢えてアルダクシャフルに叛いてメルゲン・テギンの抹殺を計りました。ヴァルカーシュは、メルゲン・テギンの聡明さと勇敢さを見抜き、その才気力量を高く買っておりました。むしろメルゲン・テギンを侍従に取り立てて重用しました。愛娘ラフシャナクをメルゲン・テギンに娶せる事を誓ったそうにございます。
二百六十年夏三月、クルジュ・カァガンは崩じましたが、逆臣バグバンデにより伏せられました。逆臣バグバンデは謀によってヴァルカーシュとスパフバード・マルドゥーウシュは殺し、愚昧なグーダルズを圀皇に立てました。クルシュカルドの諸将士卒は、誰が敵で誰が味方か判らなくなりました。この乱れに見切りをつけたメルゲン・テギンは許嫁のラフシャナクを駿馬に乗せてトグラクのユルトに戻った云われております。トゥメン・カァンは衆目もあり、メルゲン・テギンの才気力量を認めざるを得ず、テリスのシャドにしました。
二百六十一年夏六月、カイ・グーダルズは正式に圀皇と成りました。トゥメン・カァンは奸臣バグバンデの甘い誘いに乗り、再びアルダクシャフルに臣従しようとしました。メルゲン・テギンは密かにそれを察しました。メルゲン・テギンはヴァルカーシュ・テギンへの恩義を忘れおりませんでした。父トゥメン・カァンと弟ビルゲシズ・テギンを倒して、自らアルプ・メルゲン・カァガンと成りました。
嘘か誠か定かではございませんが、言い伝えに拠りますと、メルゲン・テギンは家来たちを集めて巻狩りに出かけました。ここでこう仰いました。
「皆の者よく聞け。我が鏑矢が射る所を必ず射よ!射なば斬る」
言う通りにせず、鏑矢が射た所を射なかった者は、忽ち斬られました。次にメルゲン・テギンは愛馬を鏑矢で射ました。左右の者たちの中、敢えて射なかった者が居りました。メルゲン・テギンを愛馬を射なかった者を忽ち切りました。それから暫く後、次は自分の愛称を鏑矢で射ました。左右の者たちの中、頗る恐れて射なかった者がおりました。メルゲン・テギンは又射なかった者を斬りました。それから暫くの後、メルゲン・テギンは巻狩りに出かけ、トゥマン・カァンの愛馬を鏑矢で射ました。左右の者は皆これを射ました。ここにメルゲン・テギンは左右の者が皆用いるに足る者と悟りました。父トゥメン・カァンに従って狩りに出かけました。鏑矢を以てトゥメン・カァンを射ると、左右の者たちは皆、鏑矢に向かってトゥメン・カァンを射殺しました。遂に継母カァトンと弟ビルゲシズ・テギン、及び抗うブイルクやベグたちを悉く誅して、父トゥメン・カァンの墓に殉葬しました。アルプ・メルゲン・カァガンは、これ以降、俗を改めて殉死を止めさせました。
また次の言い伝えも、嘘か誠か定かではございません。
アルプ・メルゲン・カァガンが立った時、西のダハグエルの勢いが強く盛んでした。ダハグエルのヤブグーは、アルプ・メルゲン・カァガンが父を殺して自ら立ったことを聞き、度々使者を送ってトゥメン・カァンが持っていた千里を走る馬を所望しました。アルプ・メルゲン・カァガンは群臣に諮りました。
「千里を走る馬はトゥルクズの宝にございます。与えては成りません」
と皆申して反対しました。
「隣国との誼、どうして馬一頭を惜しもうか?」
とアルプ・メルゲン・カァガンは仰せられ、千里を走る馬を与えました。
それから暫くの後、ダハグエルのヤブグーはアルプ・メルゲン・カァガンを侮っり、度々使者を送ってカガァンのカァトンの一人を所望しました。アルプ・メルゲン・カァガンは復た群臣に諮りました。
「カトゥンを求めるなど!ダハグラルの酷い言い掛かり赦すまじ!撃ちましょう!」
と皆激しく怒り狂いました。
「隣国との誼、どうして女一人を惜しもうか?」
とアルプ・メルゲン・カァガンは仰せられ、カァトンの一人をダハグエルに与えました。
ダハグエルのヤブグーは益々侮り、東にトゥルクズを侵しました。トゥルクズとダハグエルの間には棄て地が有り、人が住まないこと60
「トゥルクズと我が国との境の見附以外の棄て地は、トゥルクズには使い道の無い地とお見受けします。ならば我らが貰いうけましょう」
アルプ・メルゲン・カァガンは群臣に諮りました。
「これは棄て地です。与えるも好く、与えぬのも好いでしょう」
と或る者は答えました。
「地は国の本である。どうして之を与えようぞ!与えようなどと申す者は皆斬る!」
アルプ・メルゲン・カァガンは大いに怒りながら言い放った。
アルプ・メルゲン・カァガンは直ちに馬に乗り、国中に遅れる者は斬るとの詔を下し、西に下ってダハグエルに襲い掛かりました。ダハグエルは初めアルプ・メルゲン・カァガンを軽んじ、備えを怠っておりました。トゥルクズの鉄騎は至って撃ち、ダハグエルのヤブグーを大いに破り、その民と畜を悉く捕らえました。返す刀で東にチャンダル、アラダグを撃ち、南にルフシャーンとアルタ・バリク・セグズダッグを併せました。ここに於いてトゥルクズのブイルクやベグたちは皆心より敬い、アルプ・メルゲン・カァガンを
嘗てスパフバード・マルドゥーウシュに奪われた地を悉く奪い返し、バフシュ河でアルドゥクシャフルと隣り合うことになりました。此の時アルドゥクシャフルは、アルスディヴとの戦いで疲れ切っていたので、アルプ・メルゲン・カガァンの勢いは強く盛んになりました。強き弓を引くトゥルクズの
国を左翼テリスと右翼タルドーシュに分け、四方に左右のシャド、左右のイルテベルを置き、カァガンの脇には左右にキュリュグ・エリンを置きました。夫々トゥマンと名乗り、万余の兵馬を統べました。世継ぎには常に左翼テリスのシャドが宛がわれました。また右翼タルドーシュや左右のイルテベルには、カァガンの子や兄弟であるテギン達が常に充てられました。左右のキュリュグ・エリンや諸々の大臣ブイルク等は、貴き
春一月ナグローズにブイルクたちをカァガンの幕庭に集めて神を祀ります。夏四月にはベグたちを柵に集めて、祖先、天神地祇、鬼神を祭ります。天高く馬肥える秋、民草たちを聖なる木の回りに集め、人と畜の数を数えます。
その法は、みだりに刃を一尺でも抜けば死罪、盗みを働く者は家を召し上げます。罪の小さき者は打ち据え、大きなものは死なせます。獄に繋がれる者も、長くて十日に満たず、一国の罪人は数人に満ちません。元々トゥルクズには罪を犯す者が少ない故、罪を犯す者には厳しいのであります。
カァガンは、朝に幕舎を出ると日の出を拝み、夜には月を拝みます。座る所は左側を尊び、それは北側に当たります。日は東南と西北の方角を貴びます。死を送るのに棺や金銀の衣装は有りますが、盛土や樹木、喪服はございません。嘗て君主の葬儀には近臣愛妾などを殉死させ、多い時は数千数百に及びました。メルゲン・カァガンの御代になって、俗を改めて殉死は止めさせました。
事を挙げるに当たっては星や月を読み、月が満ちれば攻め、月が欠ければ退きます。戦いで敵の首を獲りたる者は酒一杯を賜り、獲物は取り放題、人を捕まえれば奴婢とします。故に戦いでは、自ずと己の利の為に働きます。よく敵を誘き寄せてから待ち伏せします。敵を見れば烏の様に獲物に群がり、敗れれば雲が散るように散ります。戦いで死んだ味方の屍を持ち帰れば、死んだ者の家財を悉く得る習わしがございます。
二百六十八年春一月、西戎ラシュナの覇王アルスディヴは、アルダクシャフルの都アムガルを陥れました。都の宮や社、蔵や館、家々は全て焼き尽くされ、アルヤナグの貴族、騎士、兵士、神官、賢者、民や奴隷に至るまで、多くが殺し尽されました。
アルドゥクシャフルの
𐰚𐰯𐱅 𐰶𐱁𐰆𐰺 𐰋𐰠𐰃𐰏 七圀誌 Haft Kishwar Bilig 犬單于 𐰃𐱃 𐰖𐰉𐰍𐰆 @it_yabghu
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