第5話 奥西圀誌二・セルディスタン誌
※以下URL七圀地図
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ルムドの北の境シギュトルード川を超えた地、カフバルフとダンダルヤ河の間の地はオドゥルミと呼ばれております。南北90
オドゥルミの東半分は、フシュトル人の国であります。人口二十六万、兵に
ブレグトルが山谷の民なら、フシュトルは平野の民であり、共に似たような言葉や身形をしております。しかし、ルムドの民と違い、荒ぶる勇ましき者たちにございます。働かざる者が尊ばれ、田畑を耕す者を卑しみ、戦で戦い、敵から掠め取ることを生き甲斐とします。オドゥルミでは、よく馬が飼われております。自らをアルヤナグのクルムザナグの末裔と称し、フシュトルの戦士たちは馬を乗りこなします。しかしアルヤナグと違って
一百六十四年、カイ・アルダバードの御世、オドルミシュトの子ドルワールは、ラシュナグの叛乱を鎮めた時の武功により、フシュタール諸氏族の長に任ぜられました。一百九十四年、ドルワールの子シュキプトルが継ぐと、その勢いは盛んとなり、オドゥルミの王を僭称するようになりました。
二百年、シュキプトルの子セペンテルが継ぎましたが、セペンテルはカイ・アルダバードの子シャフレワールに味方しました。その為、カイ・アルダバードの子カイ・ダルヤー・バクシュの命により、二百三年、ドルワールの子アスパルタクの子シグタルに討たれました。二百二十四年、カイ・ダルヤー・バクシュの子カイ・クルジュナーシュパが兵を挙げた時、シグタルもまた味方して兵を出しました。シグタルは二十三年にわたって国を治めて参りましたが、その死後一族の者たちが争い国が乱れてしまいました。そうした
オドゥルミの海岸の中ほど、カフバルフから流れ出る河川が入り組んだ所に、ラシュナグの町スプルカルがございます。水運に恵まれ、周囲の水路や湖沼が要害となり、フシュトルの兵を近づけません。人口一万三千、兵に
オドゥルミの土は黒く、よく肥えております。大麦・稗・粟・豆類・葡萄・林檎などを植えます。また蜂蜜・蜜蝋も盛んに採られております。この肥えた黒い土はダンダルヤ平原一帯まで広がっております。ダンダルヤの河口は七つに分かれ底辺20
ダンダルヤの北側は肥沃にもかかわらず無人の平野が広がり、その北には暗く深い森が
セルダグたちは
我々が知っているセルダグの部族は五つであります。ダンダルヤを挟んで東側にはセアハーン族、西側にはベオルナーン族、さらに森の奥にはレングヘラーン族が棲んでります。ラシュナより西のカフバルフにはドゥーナーン族、ベオルガーン族が居るそうです。中でも最も勢力が大きいのはベオルナーン族で、セアハーン族がこれに次ぎます。更に森の奥には知られざるセルダグの諸部族が居るそうであります。
オドゥルミの西側には、ラシュナグの国パルシュナがございます。あの呪われた男アルスディヴの国でございます。ルムドの王子パラーシュパが建てた国であり、なりゆきは次の通りでございます。
古よりセルダグたちは屡々ダンダルヤ河を越えオドゥルミ、ルムド、カフバルフを越えてラシュナスタンに攻め入り、町や村を襲い、人や家畜を奪っていったそうです。この頃のセルダグたちは今よりも大きく力も強く、襲われた側は為す術が無かったそうでございます。
七十八年、クルムシュガルがクルジュナーシュパ王に敗けて捕らわれてルムド国は滅んでアルダクシャフルの
言い伝えによりますと、時にラシュナグの国パルシュナは、大勢のセルドの巨人たちに囲まれて落ちる間際でありました。パルシュナの女王は、武名名高きパラーシュバに助けを求めました。パルシュナの女王が麗しき若き乙女と聞いたパラーシュバはパルシュナに駆けつけ、セルドの王バヒローズを打ち取り、セルドども従えたそうです。ここにパラーシュバは、パルシュナの女王フェロイナと結婚し、ラシュナグ、セルド、オドゥルミを支配する王となったと謂われております。パラーシュバは余所者とはいえ、その子孫たちは北の守り手としてラシュナグやフシュトルから大いに敬われ、その同類と看做される様になったそうであります。
一百七年、パラーシュパは卒し、パラーシュパの子アルディカルが王位を継ぎ、一百二十七年、アルディカルは卒し、アルディカルの子アルスディヴが王位を継ぎ、一百七十年、アルスディヴは卒し、アルスディヴの子パラーシュバが王位を継ぎ、一百七十六年、パラーシュバは弑され、アルスディヴの子ペルスナスが王位を奪って三十五年間玉座に就いたそうです。
二百十一年ペルスナスは卒し、ペルスナスの子アランスルが王位を継ぎました。この王が即位するまで、パルシュナはオドゥルミと変わらぬ鄙びた国で、民たちは獣の様に野に暮らしていたそうです。王は是を改める為、
ラシュナグには稚児遊びという忌わしい俗がございます。
その後クンマルズがどうなったか定かではありませんが、王族や家臣たちに誅殺されたに違いないでしょう。アランスル王の子が多かったからとも、或いは子が無かったからとも謂われておりますが、世継ぎ争いが起きて国の勢いは忽ち衰えてしまったそうです。
二百三十六年、時を同じくオドゥルミとパルシュナの王なく乱れておりました。これを見たセルドのセアハーン族、ベオルナーン族諸部族は大挙してダンダルヤ河を越えました。セアハーン族はフシュタル人の町や村を荒らしながら、スプルカルを囲みました。一方、ベオルナーン族は忽ちの中にパルシュナを破り、町を荒らし、何もかも奪いつくし、何もかも壊しました。パルシュナの民たちは散り散りになってカフバルフの山中に逃れましたが、逃げ遅れた者たちは捕らわれてしまったそうです。ベオルナーン族はパルシュナに居座り、そのまま冬を越そうとしておりました。
ベオルナーン・セアハーン族がダンダルヤを超えたことは間もなくルムド
囲まれたスプルカルはセアハーン族に財貨・食料・家畜を与えて和睦しました。しかし、引き上げること無くオドゥルミを押さえて更に東に進もうとしました。先王シグタルの兄弟ヘズタルはセアハーン族と組み共にルムドに攻め込もうろとしました。一方、もう一人の兄弟マジョシュトは残りの部衆を率いてティスファルンの元へ逃れました。
マジョシュトの部衆を加えたティスファルンはシギュトルード川にて、セアハーン族とヘズタルの軍勢を迎え撃ちましたが、武運拙く敗死してしまいました。マジョシュトの部衆もルムドに敗走し、ルムドは大いに乱れました。幸いその年は大雪でセアハーン族はルムドまで進みませんでした。
カイ・クルジュナーシュパは、
二百三十六年、寒さが和らぎ、雪解け水が流れる前に、セアハーン族とヘズタルの軍勢はシギュトルード川を超えてルムドに入ってきました。暫く時を稼いでから、ティシュトルシュドはこれを迎え撃ちました。セアハーン族とヘズタルの軍勢は忽ち打ち破られました。この時カフバルフの雪解け水でシギュトルードの水嵩が増しておりました。多くのものは敗走中に殺されるか、捕らわれるかし、オドゥルミに逃げ帰れたものは僅かでした。
ティシュトルシュドは雪解け水が収まるのを待ってオドゥルミに入り、ヘズダルを捕らえて平定しました。セアハーン族はダンダルヤの北に逃げ去りました。マジョシュトがフシュタル達の王となり、後にクラフフォルカが其れを継いだそうであります。
ティシュトルシュドは続いてパルシュナへ攻め入りました。この時にベオルナーン族の半数はカフバルフを超えてラシュナに攻め入っておりました。山谷に逃れていたパルシュナの民は集まり、共に戦ってベオルナーン族をダンダルヤの北に追いやりました。
二百三十七年、メフラーシュパは散り散りになったパルシュナの民を集めて国を再建しました。この時にラシュナで敗れたベオルナーン族が逃げ戻り、再びパルシュナに入ってきました。もはや抗う余力も乏しいベオルナーンの残党たちは、パルシュナに降伏しました。メフラーシュパは捕虜を奴隷としましたが、虐待はせず寛容に扱いました。ラシュナで捕らわれた者たちは皆惨めに殺されたそうであります。このベオルナーンたちはメフラーシュパの恩義に感じ入り、後にパルシュナの民になりました。
二百三十九年、メフラーシュパは正式に王位に就くと、荒廃した国土を僅かの間に復興させ、強力な軍隊を整えたそうであります。
メフラーシュパには幾人も妾がおり、その一人ラシュナのフフルナ国の「蛇の魔女」ヌムニパヒエが、二百四十二年あのアルスディブを産みました。定かではない話ですが、ヌムニパヒエは元々カイ・クルジュナーシュパの後宮に仕えておりましたそうであります。その折お手付きとなり身ごもったまま、メフラーシュパに下賜されたとも言われております。
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