後篇:冷たい方程式

「降りる……って……?」



 女はまだよくわかっていないようだった。平山は言葉を継ぐ。



「荷物は捨てない。



 さすがにその意味を悟ったのか、黙っている女に対して平山は容赦なく言葉を浴びせた。



「この船の積み荷には全てクライアントがいて、向こうでこの荷物を待っている人がいて、それに対して金が支払われている。だが、お前はもともとこの船にいないはずの人間で、向こうで誰が待っているわけでもなく、一銭も金を払っていない。降ろすべきものがなにか、わかるな?」


「え……え……?」



 女は身を乗り出した。



「冗談でしょ? わたしは人間なんだよ! 宇宙に放り出されたら死んじゃうのよ!?」


「そうだろうな。あ、機密服の予備もないからな」


「人の命より積荷のが大事だっていうの!?」


「ふざけんな。勝手に乗りこんだやつの命まで面倒見れるかよ」



 平山は冷たく言い放った。計器の計算結果を確認する。



「あと2時間以内にお前を放り出さないと、この船は目的地に辿りつけなくなる」


「お願い……救助を呼んで……そうすれば……」


「馬鹿かお前、そんなことしたら過剰積載がバレるだろ。うちの会社を潰すつもりか」



 蒼い顔をしている女に向かって、平山は滔々と言った。



「いいかお嬢ちゃん。うちの会社には100人の従業員がいる。俺みたいな運転士ドライバーだけじゃない、経理や事務、整備員、事務所に掃除に来てるおばちゃんまでな。その会社が潰れたらその100人、それにその家族まで路頭に迷うんだ。借金を抱えて自殺する奴だっているかもしれない。馬鹿な学生の安い人生と、どっちが大事だと思うね?」


「だから、お金はなんとかするって……!」


「金の問題じゃねぇんだ。ここで荷物を捨てて、失ったクライアントは二度と戻ってこない。信用は命より重いんだよ。それが大人の社会の冷たい方程式だ」



 平山はもはや振り返りもせず、計器を操作した。平山のような末端の運転士ドライバーだって、こうしてリスクを取って会社のために働いているのだ。こんな小娘の身勝手な行動でそれが不意にされるかと思うと、腹が立って仕方ない。



「わかったら大人しくエア・ロックに入れ。祈る時間くらいはくれてやるが、抵抗するならこちらにも考えが……」



 そう言って平山が振り返ると、目の前になにか黒いものを見た。


 * * *


「動かないで」



 先ほどまで震えていた女が、右手に持った黒いもの――ハンドガンを平山に突きつけている。



「……!?」



 女はもう片方の手で、エンブレムの入った手帳を平山に見せた。



「宇宙航行局保安官のリザ・バルトロウです。あなたを惑星間航行法違反、および脅迫罪、そして殺人未遂で逮捕いたします」


「なっ……!?」


「先ほどまでのやり取りは全て記録されています。あ、計器にももう触らないで。航行ログもそのまま押収するので」



 今度は平山が蒼くなる番だった。その平山に銃を突きつけたまま、リザと名乗った女は言った。



「あんたんとこには元々、航行法違反の常習の疑いがかかってたのよ。それで、過剰積載っぽかったこの船に潜りこんだわけ。密航者に対してどう処遇するかが処分の分かれ目だったんだけど……」



 リザは手帳をしまい、ポケットから手錠を取りだした。



「まさか宇宙に放り出そうとするとは、会社の体質が相当腐っていると見えます。処分の上、行政指導が入ることになるでしょう。あなたは裁判にかけられます。あ、弁護士を呼ぶ権利はあるから」


「……こんな……こんなの……」



 平山は手錠をかけられながら、叫んだ。



「おとり捜査じゃないか! 違法捜査だ!」


「はいはい、ジタバタしないの」



 平山を拘束したリザは、空いているパイロットシートに座り、通信機を起動した。



「航行局保安官のリザ・バルトロウです。ただいま、エスプ株式会社の過剰積載貨物船とその運転士を拘束しました」


『了解。巡視船を回します』



 通信機の向こうから、無機質な答えが返って来た。



「ふざけるな! なんで俺が! 俺は悪くない!」



 隣で平山が喚いた。リザはそちらを一瞥する。



「そうね、あなたは会社のために働いた……強いて言えば、違法行為を強いるようなブラック企業はさっさと辞めるべきだったと思うけど」


「仕方なかったんだ……家族を喰わせなきゃならない。この不景気だ、他に仕事なんて見つからないし、会社の仲間を見捨てるわけにもいかないだろう……」


「……それでも、実際に違法行為をした上、殺人まで犯そうとしたのはあなただから」



 平山は絶望してうなだれた。リザはそれを横目で見た。


 この男はこの男で、会社の仕事に対して真面目に取り組んでいたのだろう。会社の側がそれにつけ込んで――というよりも、それに甘えて、違法行為が常態化していったのだ。


 会社という閉鎖された空間内で生き残るため、会社という船を動かし続けるための方程式。数字だけで人の人生が左右される経済という仕組みの宇宙の中で解を弾くために、その変数となって働く社員。


 そういう意味では、リザだって大して変わりはない。今回のようなやり方が、正当な捜査だとは全く思いはしない。違法行為を未然に防ぐ事の方が建設的だと、リザだって思う。



 続く不景気の中で、社員を酷使し、ルールを無視してなんとか生き残ろうとする態度は企業努力と呼べないこともないかもしれない。


 しかし、そうした「企業努力」を許す世の中は無法地帯だ。ルールを護らない人間が得をするような事態を招いてはならない。だから、こうした行為は厳しく罰する必要がある。厳しく罰せられると、世に知らしめる必要がある。


 平山とエスプ株式会社はそのためのスケープ・ゴートだった。秩序を保つために、犠牲にしなくてはならないもの。



 複雑に発展した文明社会を維持する法と秩序。それを保つために働くリザや、保安局という機構。


 それもまた、巨大で冷酷な、一個の方程式なのだろう。

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ブラック企業の方程式 輝井永澄 @terry10x12th

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