ブラック企業の方程式
輝井永澄
前篇:貨物航行船の労働実態
「こちらはエスプ株式会社所属、貨物航行船『かるいざわ』。本船はこれより、
『了解。くれぐれもスケジュールには遅れるなよ』
惑星間航行法で定められたとおりに定時通信を終え、船はようやく安定航行に入る。この船の運転手である平山
「……なにが『くれぐれも遅れるな』だよ。ったく」
昨日、こっちの星についたと思ったら今日もう出発だ。ここ1年くらい、まともな休みを取っていない。
――そんなことを言っているそばから、ほら。
計器のひとつが黄色い点滅を発している。どうせまた、数100km先のデブリとかなにかだろう――ああ、やっぱりそうだ。
惑星間航行船のセンサーは、大袈裟なくらいデリケートな設定になっている。これもまた、法律で厳格に定められたルールだった。
確かに、宇宙空間の航行という閉鎖された空間の中では、微細な事故でも命取りになりかねない。もし船が航行不能にでもなったら、路肩に停めてJAFに連絡し、タバコをふかしながら助けを待つ、なんていうわけにはいかないのだ。途中で燃料切れにでもなったらそれこそ命取りなのである。
とはいえ、「乗組員、および積み荷の安全を守るために」という名目で定められたこの詳細で厳格なルールが現場の負担になっているというのもまた、事実である。仮眠をとってもすぐアラートで起こされるのではたまったものではない。
平山は大きく欠伸をした。さすがに疲労が限界に来ていた。
「……ああ、ちくしょう、うるせぇな」
計器がなにかまた鳴っている。
平山は手を伸ばし――仮眠をとる時いつもしているように、計器の音量をゼロにした。
そして平山はパイロットシートの背もたれを後ろに倒し、眠りについた。
* * *
4~5時間も眠っただろうか。
瞼を通過してくるなにかの光に刺激され、平山は覚醒した。
目を開き、浅い眠りから冷めた意識を現実に戻そうとする。頭の中にはまだ靄がかかっていた。
段々と意識がはっきりとしてきて、自分がパイロットシートにいることを確認する。計器を見ると、見慣れない色の点滅が光っていた。計器の音量を元に戻すと、これまた聴き慣れないパターンのアラームが鳴っている。
「……動体反応?」
それも
「ええい、くそ」
平山はシートを立ち上がり、後方の積荷室へと向かった。
積荷室の中には所狭しとコンテナが並べられている。平山の勤務するエスプ株式会社が主に取り扱っているのは嗜好品や服飾雑貨など。トレーに載せられた銀色のコンテナは、もちろん動きまわるようなことはない。
「誤作動とかじゃねぇだろうな……」
計器が誤作動した、などということになれば、整備不良に問われることになる。航行ログの提出は義務付けられているため、発覚したら会社には行政処分があるだろうし、平山は会社に対して罰金を払わなくてはいけないかもしれない。
まぁ、航行ログのデータ改ざんは良くやっていることだし、うまく誤魔化せるだろう。確か、山本さんがそういうのに詳しいはずだ――
と、平山の目の端をなにかが動いた。
「……!」
「わわわっ! ちょっと、ちょっと待って!」
そこに居たのは、なんと若い人間の女――ジーンズにTシャツにリュックサックをひとつ抱えた、メガネの女だった。
「……なんだてめぇは!」
「あはは……どうもこんちわ……」
女はポニーテールにまとめた髪を揺らしながら、愛想笑いを返してくる。平山はため息をついた。
「……密航か」
「ちがう、ヒッチハイクよ」
「ああん?」
訝る平山に女はなぜか、得意げな顔を見せる。
「知らない? 若いうちにバックパックひとつであちこちの惑星を見て回るの。身体ひとつで人生経験を積んで回って、世界を知り人間的に圧倒的な成長をする。就職にも有利だしね。移動はもっぱらこうして……」
「だから密航じゃねぇか」
「別にいいでしょ! 惑星間貨物船には充分なペイロードがあるんだから、人がひとり乗っても大したことないし。先輩たちはみんなそうやって旅行してたって」
口ぶりからすると学生なのだろう。旅客船のチケット代を浮かせるために、こうして貨物船に潜りこむという手口なわけだ。しかも、宇宙に出てしまえば途中で降ろされることもない、というわけだ。
「別にいいじゃん。三週間くらいかかるんでしょ? なんならその間、私が話相手に……」
「……そういう問題じゃねぇ」
平山の厳しい顔つき、女は気がついたらしい。先ほどまでへらへらと笑ってた顔が、急に不安げに歪む。
平山もこの道10年のベテランである。そのことにはすぐに気がついた。
「ちょっとこっちに来い」
そう言って平山はパイロットシートの方へと向かった。
* * *
ふたつ並んだパイロットシートの片方に、平山は座る。女は平山の後から大人しくついてきて、シートの後ろから覗き込んでいた。平山はなにごとか、計器類を操作して、なにかのグラフをディスプレイに表示させた。
「……これ、なんだかわかるか?」
「……航行リソースの消費予測……?」
「そうだ。これが当初の予定。そして……」
平山がさらに操作をする。グラフの青い線の上に、赤い線が新たに表示された。
「これが、お前が乗ったことによる消費予想。わかるか? 燃料も酸素も足りない」
女の顔色が変わった。
「そんな……積載量には余裕があるはずなんじゃ……」
「……普通はそうだ。まぁ、法律上の制限では、貨物航行船はそのペイロードの60%までしか積荷を積載してはいけないことになっているが、ぶっちゃけこの船は110%くらい積んでいる」
「そんな……ッ! なんで……」
「そうでもしなけりゃ採算があわねぇんだよ。昨今の不景気の煽りで、仕事はどんどん減る一方だ。単価の安い仕事でも引き受けなけりゃ、会社が潰れちまう。あ、そこ座っていいぞ」
平山は隣の空いたパイロットシートを示した。
「少し前までこういう船は2人で動かしてたんだけどな。交代で仮眠を取ったりしながらな。だが、昨今の経費削減とやらで、ここしばらくはずっとワンオペだ」
「だって……でも……」
女はきょろきょろと船内を見まわしていた。
「先輩たちはそんなことなかったって……」
「他の会社は知らん。まぁ、去年くらいならうちもここまで無茶はしてなかったかもしれん。まぁでも、少なからず余所でもやってると思うぞ?」
「だって、貨物の積載には宇宙港で検閲が……」
「検閲が終わってから追加で積み込むんだよ。検閲官だって見て見ぬふりさ」
「でも、そんなギリギリじゃ、なにかトラブルがあったときおじさんだって危ないんじゃ……」
「大丈夫だよ、操縦はほとんど自動化されてるし、トラブルなんか起きたことはねぇ」
平山は振り返り、女に向かって言った。
「社会に出たら規則やルールだけじゃ物事は回らねぇんだ。いい社会勉強になったな、嬢ちゃん」
女はしょげていた。さっきまでの怖いもの知らずな明るさが嘘のようだ。すこし気の毒にも思った。社会のルールを掻い潜ることをカッコいいと思う年頃なのだろう。平山にも憶えがないではないし、気の毒にも思うが――
「すいません、私のせいで迷惑をかけて……」
女は殊勝にあやまった。さっきまでいけ好かないと思っていたが、素直なところもあるのだ。周囲に恵まれなかったのだろう。そう思うと平山は心が痛む。
「あの……きっとあれですよね、損害賠償とかですよね。荷物とか、捨てないといけないから……あの、お金はなんとかするので、大学には黙ってて……」
平山はため息をついた。
「なに言ってんだお前」
「……え?」
女が顔を上げた。その表情は一瞬、戸惑いを見せたがその後、希望が差し込んだ。
「……じゃ、じゃぁ、許してもらえるんですか?」
この馬鹿学生は、やはりなにもわかっちゃいない――平山は先ほど少し沈静した怒りが再び蘇ってくるのを感じた。平山は女を睨みつけ、言い放つ。
「許すも許さないもねぇよ。お前はここで降りろ」
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