第7話

 八月十五日、舞奈は午前中から吉沢家にやって来た。

「海行こ、海。今度はちゃんとした海水浴場に」

 危うく溺れかけたなどという悪い印象を持たれたままでは健介を島から帰せないと言うのだ。

 醜態を晒した昨日を恥じて、健介は、舞奈に合わせる顔が無いとまで考えていた。しかし当の彼女に気にする様子は少しもなかった。それどころか、かえって庇護欲を刺激されたとでもいうようにグイグイ来る。

 佳織も澪の両親も、舞奈の存在が健介の心の回復の一助になればと考えているらしい。それが言葉にはされなくても露骨に伝わって来る。健介は結局、誘われるまま促されるまま、舞奈と二人で外に出た。

 また自転車を借りて海沿いを走った。健介の目に、舞奈は昨日までよりもやや子供っぽく映った。具体的に外見がどう変わったとは言えない。ただ、やはりもう澪には似ていない。

 けれど、と健介は思う。彼が澪の中に見た美点や好もしさに通じるものを、舞奈も同じくらい持っている。それだけは確かなことだった。

 海水浴場だけでなく島の名所をあちこち巡り、くたびれ果てて戻ったとき、吉沢の家には誰もいなかった。

 縁側の窓を大きく開けて扇風機をつけた。

 座敷に二人、小さな子供のように並んで仰向けになった。風鈴が鳴った。

 姿形が昨日まで澪そっくりに見えていたことを打ち明けても、舞奈はたいして驚かなかった。

「願望やろ、願望。健介さんの」

「そういうとこ割とドライだよな」

「澪姉ちゃんが私に取り憑いてた、とでも?」

「いや別に、そんなこと言いたいわけじゃない」

 一夏の不思議な体験。今となっては健介にもよく分からない出来事だった。

 しばしの沈黙の後、舞奈がうつ伏せになった。じっと健介を見つめた。

「……今だけ、澪って呼んでみる? 私のこと」

 真剣な眼差しのまま、舞奈は微笑みかけてきた。

 ちょうど墓で花火でもするような、一種の禁忌に触れる予感が健介の胸を掠めた。

 一呼吸置いて笑い返した。

「誰が呼ぶか。もう似ても似つかないのに」

「あ、そう。何かムカつく。あのまま溺れさせとけば良かった」

 二人で声を上げて笑った。

 今はこれでいい、と健介は思った。舞奈には済まないけれども。

「でも本当、溺れて死んでたな。あの時おっさんに服を引っ張ってもらわなかったら」

「え?」

「いやほら、引っ張ってもらっただろ。襟の後ろをこう」

「いやいやいや」

 舞奈が起き上がった。

「あのおじさん、そんなことしとらんよ。タモ伸ばしてくれただけ」

「タモ」

「釣道具。持つ所が長い網のこと」

 はたと気付いた。網で襟は引っ張れない。引っ掛けようがない。健介はきょとんとしてしまった。

 だとしたらあの感覚は何だったのか。海上へと自分を引き上げる力を確かに感じたのに。

 ちらりと仏壇を見た舞奈が、首を竦めて大袈裟に震えてみせた。健介は青くなった。

「嘘だろう」

「線香、あげといた方がよかよ。百本くらい」

 舞奈は笑って立ち上がった。

「帰るね。用事思い出した」

「おい。待てよ」

 健介も慌てて起きた。仏壇に手を合わせながら舞奈を睨んだ。

「このタイミングで一人にするか普通」

「ごめんごめん。着替えて、またすぐに来るけん」

「着替え?」

「浴衣。墓参りの後は夏祭り。夏祭りといえば浴衣やろ」

 じゃあね、と玄関から出て行った舞奈が庭先からもう一度手を振る。

 健介も軽く手を上げて見送った。仏壇に線香を供え、寝そべって天井を見上げた。

 ふと、墓で花火をしてみたいと思った。澪を偲びつつ、舞奈と一緒に線香花火を。それから夏祭りに繰り出す。綿菓子、やきそば、リンゴ飴。金魚掬いはあるだろうか。

 やがて花火が上がるだろう。健介は静かに目を閉じた。瞼の裏にいくつも思い描いた。数が控えめなだけにどれも味わい深いに違いない、島の夜空を彩る鮮やかな花火たちを。

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お墓で花火 夕辺歩 @ayumu_yube

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