第2話
風鈴が鳴った。
開け放した縁側から夏の庭が見える。
命を絞るような蝉たちの声が健介にはメメント・モリとも聞こえる。
お盆の数日間を世話になる吉沢家の座敷には立派な仏壇があって、霊前灯や回転行灯といった厳かな飾り付けが施されていた。
健介にとって毎年のお盆は、母佳織と相模原市郊外の墓地まで掃除をしに行く日でしかない。決まって十三日の朝早くに出発し、終わると外で昼を済ませ、帰って父親の遺影に手を合わせる。
仏壇から窺える吉沢家のそれは、どうやら健介が知るものよりも遙かに力の篭った大切な行事のようだ。土地によって家庭によって、お盆の過ごし方は千差万別らしい。そうしみじみ考えた。
「待っとって下さいね。おじさんもおばさんも、もうちょっとしたら畑から戻って来ますけん」
笑顔の澪――、ではなく
勧められるままそれを飲みながら、健介は複雑な思いで彼女を見た。
寒気がした。
死んだ澪と目の前の舞奈は実によく似ていた。くっきりした二重の目が。左頬のえくぼが。首元が大きく開いた白のトップスにデニムのショートパンツ、すらりとした見た目だけでなくその一挙手一投足が。
そのことが気にはならないのだろうか、佳織はさっきから普段と同じ朗らかさで、いたって普通に話をしている。
佳織はこの島で生まれ育ち、進学して関東へ行き、神奈川で結婚した。両親はじめ血縁者は誰も彼もそれぞれの理由で島を離れたが、佳織だけは、数年に一度の島への帰省と挨拶回りを続けてきた。舞奈のことも、彼女が小さい頃からよく知っているらしい。
「舞奈ちゃんは今、忙しいんじゃない? ほら受験勉強とか。吉沢のおじさんおばさんの手伝いしてて辛くない?」
「余裕余裕。使ってもらって私も嬉しかとです。この頃、二人とも笑うこと多くなったし」
「段々、立ち直ってきてるのね、きっと。そもそもが前向きで明るい二人だもんね、昔から」
「おじさんなんか、最近は『澪より舞奈の方がよう働くばい』とか平気で言うとですよ」
舞奈の言葉に佳織が仰け反って笑った。
舞奈は近所に住む高校三年生、彼女の家、島田家は、吉沢家とは遠い親戚に当たるのだという。澪を実の姉のように慕っていたそうで、今も気がけて吉沢夫婦の様子を見に来ているらしい。留守中に勝手に家に上がり込んで、勝手に冷蔵庫を開けても平気なくらいには親しいようだ。
健介が平静を保つには、自分が置かれたメロドラマ的状況を努めてシニカルに客観視しなければならなかった。
死んだ恋人そっくりの少女が目の前に現れる。その程度のことは驚くに値しない。むしろよくある話だ。
そう、不思議でも何でもない。大学でたまたま出会って付き合い始めた女性が実は自分の母親と同郷で、しかも互いに顔見知りだった、などという偶然さえかつて経験したことを思えば。
さらにその恋人と共に交通事故に遭って自分だけ生存、知り合って一年も経たないうちに無念の永訣――、などといういかにもメロドラマじみたチープ極まりない展開さえ実際にあり得たこの世だと思えば。
「健介さん、麦茶もっと飲む?」
「え? あ、ああ」
とうにコップは空だった。ジャグごと持って来る、と舞奈が台所に向かう。まるで自宅だ。
健介はほっそりしたその後ろ姿を目で追った。
ああ良かった、と佳織が小さくこぼした。畳に後ろ手を突いた。
「ホッとした。こうして舞奈ちゃんが支えてくれてる。吉沢のおじさんおばさんには何よりの慰めだわ」
「どこが」
「え?」
どこが、と健介は微かな苛立ちに任せてもう一度、抑えた声で言った。
「気持ちを逆撫でされて仕方ないと思う。死んだ実の娘に、あれだけ似てるんだから」
「似てるって、舞奈ちゃんが澪ちゃんに? え? どのへんが? これっぽっちも似てないじゃない」
佳織はきつく眉を寄せて、心の底から意外といった表情だ。
言われて健介は戸惑った。また微かな寒気を感じた。
ジャグと菓子を載せたトレイを手に舞奈が戻って来た。
どこからどう見ても似ている。瓜二つと言うほかない。
そのとき、ガラリと玄関が開いて澪の両親が帰ってきた。
挨拶を済ませた後、日暮れを待って墓へ行くことになった。
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