第3話
吉沢家では八月十三日の夕暮れ時に墓へ行き、提灯に火を燈して憩いの時を過ごす。帰省中の知り合いが線香片手に挨拶に来るのを迎えたり、またこちらから他家の墓を訪ねたりもする。
しばらくそうして過ごした後、片付けをして、燈したままの提灯を一張り墓から持ち帰る。家に『連れて帰る』のだ。提灯は縁側から運び込み、十五日の夕方、再び墓へ『連れて行く』まで仏壇の傍に釣っておくという。
墓石の前に屈んだ健介は線香を供えて合掌した。心から澪の冥福を祈った。
――と、夕空に乾いた音をたてて
佳織から聞いて予備知識はあったが、それでも健介は唖然としてしまった。全国的に見ても珍しい、墓地から花火の音が聞こえる長崎のお盆というものに。
「……どうして墓で花火なんか。不謹慎過ぎる」
「これが普通じゃなかと? ていうか、墓以外のどこで花火せれっち言うと?」
舞奈があまりにきょとんとしているので健介は二の句が継げなかった。
舞奈は島田家の墓を家族に任せて吉沢家の手伝いに来ていた。佳織はその島田へ挨拶に行っている。
「県外の人にしたら、やっぱりなあ」
「ねえ。お墓で花火は、珍しく見えるとやろうね」
そう言い合って笑うのは澪の両親、
健介は、実際に顔を合わせるのは初めてだった。二人とも飾った所がなく、柔和で親しみやすかった。
「健介くんは、もう怪我は良かとね? 身体中、何針も縫ったち佳織ちゃん……、お母さんから聞いたばってん」
達央からの問いかけに健介は、まだ少し痛む時もあるが日常生活に支障は無いことを話した。
葬式に参列することができなかった二年前の非礼を詫びると、何ば言いよっとね、と笑って返された。
「自分も大怪我やったっちゃけん、仕方なかろうもん」
「そうそう。気に病まんでよかとよ」
西日の当たる墓地で、にこにこと頷く聡子は日傘を差している。
「それに、明日、お寺には一緒に来てくれるとでしょう?」
「はい、もちろん。そのために来たんですから」
また墓石を見上げた。他にももっと、伝えたいことや言いたいことがあったはずなのに、と思った。ふいに気持ちが込み上げてきて、何も言えなくなった。大切な人を亡くした哀しみが、辺りを静かに満たした気がした。
聡子がハンカチで目元を押さえた。達央が俯いて鼻を啜った。
健介も手の甲で瞼を擦った。鼻の奥がツンとした。
夏の夕暮れ。お盆の墓地。
誰もが故人を偲び、寂しさを分かち合っていたはずのその場に――。
シュバッ! と鋭い音がした。
その場の誰もが身を縮めた。空の高みで矢火矢が爆ぜた。
隅の方に屈んでいた舞奈が振り向いた。してやったり、とでもいいたげな笑みだ。空のビール瓶には次の矢火矢がセットされていた。
健介の頭に血が上った。困惑を怒りが押し流した。澪の死を悼む大切な時を台無しにされた気分だった。
お墓で何てことを。亡くなった方に失礼だろう。そんな叫びが喉まで出かかったとき、一瞬先に聡子が笑い出した。
「もう、舞奈は。花火やら、どこに隠しちょったんね。飛ばすなら飛ばすち先に言うてくれんばね」
「よかよか。どんどんせれよ舞奈」
達央が磊落な調子でそう促す。
健介は思わず目を瞬いた。何という異文化、と引き気味に実感した。
他県にあっては罰されかねない『お墓で花火』の蛮行が、ここ長崎ではむしろ、もっとやれと勧められるような振舞いなのだ。
「健介くんも、ぱあっと花火でもせんね。寂しかばってん仕方んなか。生きっちょう者の盆どんたい」
訛りがきついこともあって、健介にはそのとき、達央が口にした言葉の最後の方の意味が取れなかった。
『生きている者のためのお盆だよ』。そんな達観したニュアンスの一言だとは後で佳織に聞いて知った。
舞奈と目が合った。ライターと矢火矢を手に、悪戯っぽく首を傾げる彼女はつくづく、腹が立つほど死んだ澪に似ていた。
場を明るくしようという大人の気遣いだったのか。それとも空気を読めない子供の振舞いだったのか。
健介は苛立ちを押さえつけた。視線を逸らした。花火などできない。したくもない。ちょうど戻って来た佳織の騒々しさに救われて、健介は安堵の溜息をついた。
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