第6話

 万一のことを考えて、防波堤が始まる辺りで自転車を降りた。

 テトラポッドを横目に残りは徒歩で行く。

 ちらほらと釣りをする人の姿が見られた。

 ようやく辿り着いた灯台の周囲は運良く無人だった。

 厚くペンキを塗られた灯台は近くで見るとかなり大きかった。舞奈と二人、その濃い影の中に逃げ込んで腰を下ろした。

「澪も、ここに来たことあったらしくて」

 海側から眺める眠たげな島の景色。

 青空にそそり立つ入道雲と心地良い疲れが、健介を感傷に浸らせた。

「小学校の頃だって言ってた。転勤していく先生が乗ったフェリーに、同級生たちと手を振ったって」

「分かる、そういうの」

 舞奈が微笑んだ。

「男の子とか、そのまま海に飛び込んだりしよったらしいばい。昔の話やけどね」

「……毎回毎回、泣いてたってよ。大好きだった先生たちが島からいなくなるときには」

「まあ仕方なかよ。順番順番。よかさ。人はいつか皆おらんくなると。島からも地球からも」

 早いか遅いかだけの話よ、と舞奈は平気なものだ。

 健介はふいに突き放されたような切なさを覚えた。

 そのうち誰もいなくなる――。

 そんな極端で寂しいことを、さらりと、澪にそっくりな顔で言われることが堪らなかった。

「何だよそれ」

「え?」

「淡白過ぎるだろ、島の人間。別れには慣れてますってか」

 口を突いて出た心無い言葉に健介自身ハッとした。しかし止めようにも止まらなかった。

「こんなに引きずってんのは俺だけか」

「健介さん?」

「大阪にある水族館に、澪と」

 止せ、と自分の中の自分が叫んだ。

「泊まりがけで行こうって、初めて二人で夜行バスに乗って」

「健介さん」

 止めろ。思い出すな。思い出すな。思い出すな。

「俺が乗り物苦手なこと、あいつ知ってたから」

「もうよかよ。言わんでよか」

「窓際に座ってくれて。けど、事故って」

 見通しの悪いカーブだった。

 飛び出してきた居眠り運転の対向車を、バスは避けた。横転した。

「俺が、あっちに座ってれば良かった。俺が代わりに死ねば良かった」

「もうよか。健介さん、澪姉ちゃん、きっと幸せやったよ」

「違う」

「違わん」

「違う!」

 立ち上がった健介を強い立ち眩みが襲った。

 目の前が白くなった。膝から力が抜けて身体が傾いだ。

 まずいと思った時にはもう、健介は目の前の海へと落ちていた。舞奈の絶叫が泡の音に消えた。

 冷たい。目が開かない。上も下も分からない。焦ってもがいた。恐怖で気が遠くなった。

 何かに後襟を引っ張られた気がした。たちまち海面に頭が出た。盛大にむせた。

 健介さん! と舞奈の声。咳き込みながらそちらを見上げた。

 駆けつけた釣り人が長い柄の付いた網を懸命に伸ばしてくれていた。健介は網の先を掴んだ。

「そんまま左の方に泳げ! 階段のあるけん!」

 釣り人の大声に励まされて、健介は片手で水を掻いた。

 船を寄せるためのものらしい、防波堤から海中へと伸びる階段があった。健介はどうにかそこまで辿り着いた。

 フジツボだらけのゴツゴツした階段を上り切った。座り込んだ。肩で息をする健介の前に心配顔の舞奈が屈み込んだ。

「大丈夫? 救急車、呼ぶ?」

「いらない。……ごめん」

「本当よ」

「ごめん」

 本当よ、と舞奈は繰り返した。濡れた健介のシャツの胸を掴んだ。

「さっき言うたことさ。本当よ。こんだけ強く想われとって、澪姉ちゃん、幸せやったと私は思うよ」

 健介は舞奈を呆然と見つめた。なぜだろう、と思った。

 泣き笑いの彼女は、もう澪の似姿には見えなかった。

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