行キハヨイヨイ

RAY

行キハヨイヨイ


 あれは、私・観月花陽みづき はなよが小学四年生のときの夏休み。ジリジリと照りつける太陽とジージーというアブラゼミの鳴き声があたりを席巻する、八月のの出来事。


 そそくさと昼ごはんを済ませた私は、ごちそうさまを言うが早いか、足早にダイニングを後にする。

 玄関の壁に掛った全身鏡の前で、水色の大きなリボンが付いた、お気に入りの麦わら帽子を頭に乗せて、目に入りそうな前髪を左右に掻き分けた。


「よし」


 鏡の中の自分に告げると、白いストラップサンダルに素早く足を通し、いってきますの言葉が終わらないうちに玄関を飛び出した。

 向かった先は、クラスメイトの鈴村小夜すずむら さよの家。

 小夜とは幼稚園以来の友達で、世間で言うところの幼馴染おさななじみ。母親同士も仲が良く、互いの家を行き来するような、家族ぐるみの付き合いをしていた。


 炎天下の町は、アスファルトから熱気が立ち上り木々や建物がゆらゆらと揺れている。私の額に滲んだ汗が次々に頬を伝っていく。

 ただ、歩調が速くなったのは、そんな灼熱地獄から逃れたいからではなく、気持ちがはやっていたから。「気持ちの大きさと汗の量は比例する」。無意識のうちにを学習していた。

 ちなみに、私の家から小夜の家までは歩いて三十分はかかる。同じ学区でありながら小学校が互いの家の中間に位置していたことで、私たちの家は思いのほか遠かった。


花陽はなよ、いらっしゃい! 入って、入って!」


 表札の脇のインターホンを押すな否や、中から小夜が飛び出してきた。私の手を取って家の中へぐいぐいと引っ張っていく。

 玄関で、黒いシェフエプロンを首から掛けた、小夜のお母さんが笑顔で迎える。


 私は小夜の家が好きだった。

 図々しいと言われるかもしれないが、まるで自分の家にいるかのようにリラックスできた。速足になったのは、そんな心地良さニンジンに引き寄せられたからなのかもしれない。


 小夜と最後に顔を合わせたのは一学期の終業式。私たちは、空白の二週間の出来事をこと細かに話し、目を輝かせながら確認しあった。

 一つの話から別の話に話題が及び、そこでまた話が盛り上がる。他愛もない話と言ってしまえばそれまでだが、話が尽きることはなかった。

 三時に登場した、小夜のお母さんお手製のオレンジゼリーとバナナパイの後押しもあって、私たちは声がれるぐらいに話し、心の底から笑い、楽しい時間を過ごした。


「花陽ちゃん、晩ごはん食べていくでしょ?」


 子供部屋のドアが開いて、小夜のお母さんが顔を覗かせる。ハッとして腕時計に目をやると、時刻は六時を回っていた。

 窓から見える、夏色の空に薄らとオレンジ色が流れ込み、夕暮れがそこまで迫っているのがわかる。小夜の家に来てかれこれ五時間になるが、話に夢中になって時間が経つのを忘れていた。


「暗くならないうちに帰ってきなさいって、お母さんに言われてるから」


「大丈夫だよ。ママに電話してもらうから。晩ごはん、いっしょに食べよ? お願い!」


 小夜は自分の両腕を私の左腕に絡ませる。「絶対に帰さない」。二つの大きな瞳がそう言っている。


「……お母さんがいいって言ったら……いっしょに食べたいけど……」


 控えめながら前向きな、私の意思表示に小夜の表情がパッと明るくなった。


「やったね! ママ、早く花陽のママに電話して!」


 小夜のお母さんは小さくウインクをすると、エプロンのポケットからスマホを取り出した。


「パパは仕事で遅いけど、今日も四人で食べられそうね――あっ、観月さん? こんばんは。鈴村です」


 こうして、私は、小夜と小夜のお母さん、それに、お兄ちゃんといっしょに晩ごはんを食べることとなった。


★★


「いけない。もうこんな時間」


 デザートのスイカを食べながら、翌週に予定されている、運動公園の花火大会の話題で盛り上がっていると、小夜のお母さんが少し慌てた様子を見せる。


「花陽ちゃん、お母さんが心配するといけないから、そろそろ送って行くね。お兄ちゃんもいっしょにお願い。金属バットを忘れずに」


 お兄ちゃんは、わかったと言いながら、金属バットを取りにドタドタと階段を駆け上がって行く。

 時刻は八時三十分。今すぐ帰っても家に着くのは九時過ぎ。晩ごはんをご馳走になったうえに送ってもらうのは気が引けるが、流石にこの時間に夜道を一人で歩いて帰る勇気はない。


「車で送ってあげたいんだけど、パパが仕事で乗って行ってるの。ごめんね。でも、安心して。野球部の四番バッターも連れて行くから」


「大丈夫だよ。変なのが現れたら、ママにやっつけてもらえばいいから。私も防犯ブザーを持っていっしょに行くし」


 小夜はダイニングのイスからスクッと立ち上がって、誰かを掴んで投げ飛ばすような仕草をする。小夜のお母さんが、胸の前で両手を組んで任せといてと言うように力強く頷く。

 小夜のお母さんは、高校のとき、合気道の全国大会に県の代表として出場したことがあり、今でも近所の道場に通っている。身長が百七十センチ近い、ガッシリとした体格で、夜道をエスコートしてもらうのにこれほど頼もしい女性ひとはいない。


「ねぇ、花陽ちゃん? 来るときは、竹藪のある、細い道――神社の前を通って来たんだよね?」


 不意に小夜のお母さんが真剣な顔で尋ねる。


「うん。運動公園の道は、お母さんから絶対に通っちゃダメって言われてるから」


 緊張気味に答える私に、彼女はゆっくりと首を縦に振る。


「それでいい。これで二回目だからね、夜の公園で人が襲われたのは……。何人かで武器を持って来られたら、みんなを守れるかどうかわからないから。遠回りになるけど、帰りも神社の前を通っていこう」


 私は、不安な気持ちを押し殺すように、努めて笑顔を作る。

 すると、間髪を容れず、小夜が私の手を取ってジッと見つめる。「大丈夫。大丈夫」。優しげな瞳がそう言っているように見えた。


 私の家と小夜の家を結ぶ道は二本。

 一本は、市が管理する総合運動公園の脇を通る、大きな道。ただ、公園内で浮浪者がナイフのようなもので切り付けられる事件が立て続けに起きたため、最近は通らないようにしている。警察がパトロールを強化しているらしいが、不安はぬぐえない。

 もう一本は、竹藪に面した、細い道。竹藪を抜けたところに神社があるだけで、近くに民家はほとんどない。昼間はそこそこ人通りはあるが、夜になるとめっきり寂しくなる。しかも、ずっと遠回りになる。とは言いながら、背に腹は代えられないことは十分に理解していた。


 神社には、私も小夜も行ったことがある。

 かれこれ一年以上前になるが、学校で怪談話が流行ったことがあり、放課後、毎日のようにクラスメイト数人で本殿の石段に座って「怖い話大会」を開いていた。

 小さな神社で、境内の入口から数メートルのところに、参拝者が手や顔を洗う手水舎ちょうずやがあり、さらに、石畳の通路を十メートルほど行ったところに、こじんまりとした本殿がある。


 鬱蒼とした竹藪の脇に佇む神社は怖い話をするにはピッタリの場所で、夜一人で神社の道を歩くよう言われたら、百パーセント断っただろう。

 ただ、殺人鬼が潜んでいるかもしれない運動公園の道と比べたら、こちらを通る方が何十倍も増しだ。大人を含む四人で行くのだから、大声で話しながら行けばなんてことはない。


★★★


 小夜の家を出て十分程歩いたところで、私たちは脇道へ入る。

 軽自動車がやっとすれ違えるぐらいの狭い道は、ところどころアスファルトが盛り上がり、まるで蚯蚓腫みみずばれのように路面が凸凹になっている。道の両側に竹が生い茂っており、竹の根がアスファルトの下まで入り込んでいるのだろう。


「つまづかないようにね」


 先頭を行く、小夜のお母さんは、懐中電灯で足元を照らしながら私たちに注意を促す。その後ろを私と小夜が並んで歩き、一番後ろを、お兄ちゃんが金属バットの先で足元をコンコンと叩きながら続く。

 しばらく進むと、右前方に赤い鳥居が見えてきた。昼間も目にしているはずだったが、夜のとばりに包まれたそれは昼間とは違ったものに見えた。


 努めて大きな声で話していた私たちだったが、次第に会話が途切れ途切れになる。

 気が付くと、みんなの視線が神社の方を向いていた。


「ねぇ、のど乾かない? ママ、が飲みたいなぁ」


 不意に小夜のお母さんが後ろを振り返った。

 唐突な一言に、私たちは揃って首をかしげる。


「持ってこればよかったよ。あんたたちを励ますための神社ジンジャー激励エール!」


 一瞬間が空いて、あたりに笑い声が響く。「静寂を破る」というのは、まさにこういうことを言うのだろう。


「もぉ~ママったら寒いよ!」

「この人、どんどんオヤジ化してるよな」


 小夜とお兄ちゃんが、仕方ないなぁといった顔でため息をつく。ただ、二人の表情は少し前の沈んだそれとは一変している。「小夜のお母さんのファインプレー」。そんな言葉が私の脳裏を過る。


 すっかり明るさを取り戻した私たちは、鳥居の真横に差し掛かる。

 神社の方へ目を向けると、月明かりで照らされた境内の様子を見ることができた。

 もともと狭い神社で、入口から本殿まで十数メートルしか離れていないことから見えるのは当たり前。ただ、見えたような気がした。


 不意にどこからか声が聞こえた。複数の女性が話をするような声だった。


 目を凝らすと、手水舎ちょうずやと本殿の間に、声の主と思しき女性の姿があった。八人が私たちに背を向けて、並んで立ち話をしている。後ろ姿からは「恰幅かっぷくの良い田舎のおばちゃん」といった印象を受けた。

 婦人会か何かで企画した清掃活動を終えて一息ついている。見た目はそんな感じだったが、時刻が夜の九時に近いことから違和感を抱かずにはいられなかった。

 さらに、奇異な感じがしたのは、八人が、まるであつらえたかのように、同じような黒っぽい和服を着て、その上に白い割烹着かっぽうぎまとい、頭には大掃除のときに使うような白い布を巻いていたこと。

 

 私たちは、いつの間にか足を止めて、いぶかしい目で彼女たちを眺めていた。

 すると、何の前触れもなく、八人が同時にこちらを振り返った。まるで、シンクロナイズドスイミングの選手が一糸乱れぬ演技をするかのように。








 同じ顔が笑っていた。


 似ているのではなく、複写機でコピーしたかのように寸分違わぬ、同じ顔だった。


 金属バットが道路に落ちる、カランという音が聞こえた。

 それが何かの合図であるかのように、お兄ちゃんが小夜の手を引いて、来た道を一目散に駆け出した。

 私は荒い呼吸をしながらその場に立ち尽くしていた。身体が動かなかった。目を逸らすことができなかった。

 八人が何か話しながら私の方へ近づいてくる。何を言っているのかはわからない。ただ、とても恐ろしかった。笑っているにもかかわらず、目は笑っていないように見えた。


「花陽ちゃん!」


 金切り声に似た、大きな声があたりに響き渡る。

 間髪を容れず、小夜のお母さんが私の手首を掴んで乱暴に引き寄せる。私は引きずられるように走り出した。 

 気がつくと、私は小夜の家の玄関にいた。他の三人が、荒い息をつきながらその場にたたずんでいる。

 

 「何かを見間違えたんじゃないか?」

 「夢でも見たんじゃないか?」


 あのときの話をすると、みんなそんな質問をする。

 でも、四人が四人とも見間違えたり夢を見るというのは、まずあり得ない。

 帰り道には間違いなくいた。得体の知れない何かが。


 あれから、あの神社には行っていない。



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