【掌編】雨上がりはうたかたの……

夢で逢えたら

 雨があがる

 雲間から差し込む光が庭に降りる


 どこからともなく

 漂ってくる白い花びら


「今日から僕が兄さまだよ」

「私におにいさまができたの?」


「雨なんてふらなければいいのに」

「恵みの雨だよ」


         ふわり

             ゆらり


「すごい! お兄様は魔法使いね!」


「そうしているとお姫様みたいだよ」

「お兄様は王子様だわ」


    はらはらはらはら

              ふるふるふるふる


「もう少しお淑やかにしないと」

「あら、ちゃんとできますのよ?」


「お庭が淡い紫色うすいろに包まれてとてもきれいね」


 舞う花びらに陽があたる

    花びらについた水滴が煌く


「恵と横濱に来られた」

「また連れてきてくださる?」


 それはふたりの想い出であり

 どれも忘れえぬ宝物であり


「生まれ変わったらウェディングドレスを着るわ」

「生まれ変わったら……」


 あの切ない秋の日の花びらも


(明日なんて連れてこないでください)


 春をこばんだ花びらも


「月がとても綺麗だよ、恵」


 月にだけ零した花びらも


「恵、幸せに」

「お兄様も」


 すべてを封印した花びらも


「雨は降っている?」


 眠りについた花びらも


『恵へ』


 想いを託した花びらも

 その想いを受け取った花びらも


 すべてが白く

 すべてが清く


 数え切れない花びらは

 やがて雪のように降り積もる


 ◇◇◇



 僕の恵

 僕の恵み

 僕がただひとり愛した女性

 僕は君の幸せだけを願った

 僕は自身の運命さだめを呪った


 私が想う人

 私が憧れ、慕い

 私の愛する貴方

 貴方のお気持ちを知ったのは

 貴方が旅立たれたあとだった



 ◇◇◇



 優しい風が吹きわたる

 どこからか漂う花の香り

 淡い色で満たされた世界



 ステンドグラスを通した柔らかく美しい光

 流れてくるのは天使の賛美歌



 まばゆい光を浴びる祭壇で待つ秀一郎

 恵は一歩一歩バージンロードを進む


 花びらが敷き詰められた白い小径

 ふわりと舞うそれはふたりの想い

 出会ったときから

 お互いを強く想いながらも

 決して交わすことのなかったふたりの想い

 そんな想いは

 いつしかふたりを結ぶアプローチとなる

 今も天空からはらり、はらりと

 揺れては降る白の花びら


 あの秀一郎の遺した絵のように

 ウェディングドレスを纏った恵

 長いヴェールとトレーンが恵の後姿を際立たせる

 黒い纏め髪の襟足を囲むよう挿した白い紫陽花が映えている


「恵」


「秀一郎さま」


 恵が着たかったウェディングドレス

 秀一郎が描いたウェディングドレス

 秀一郎は白いタキシードで恵を待つ

 あの頃と同じ眼差し

 あの頃と同じ微笑み


「久しぶりだね、恵」


「待っていてくださってありがとう」



 笑顔の恵

 ひとつにまとめた絹のような黒髪はぬばたまのように光る

 大きな黒い瞳が少し揺れている

 シルクタフタのドレスの光沢が恵をさらに輝かせている


 まぶしい恵のドレス姿に秀一郎は目を細める

 己が描いた以上に美しいその姿

 長めの前髪を指で払う

 甘い眼差しで恵を迎える


「とても綺麗だよ。恵」


「秀一郎さまも素敵」


 陽に透ける髪

 直線的な眉

 奥二重の深い瞳

 整った鼻筋に

 真一文字に結んだ口元が少し緩む


 紫陽花のブーケを手に持ち恵はゆっくりと歩をすすめる

 かつての紫陽花姫はかくも美しい花嫁に


 近づいてくるのは願ってやまなかったもの

 守り、愛し、壊したかったもの


「すまなかった。僕が守ってやれなかった」


「誰のせいでもありませんわ」


 少し伏せた眼差しに揺れる睫毛

 ほんのり頬をそめている肌

 口元は優美に弧を描く

 視線を元に戻す

 目の前の憧れに


 まとめ髪にはあの櫛を忍ばせた

 懐中時計の鎖はタキシードから覗いている


 誰にも渡したくなかった

 共に生きていたかった

 ドレスを着て隣に……


「僕と並んでくれるかい?」


「はい」


 手を差し出す

 手を伸ばす


 どれだけこの手に

 どれだけこの手で護りたかったことか


 どんなにその手を

 どんなにその手に触れたいと


 とりたくてもとれなかったもの

 伸ばしたくても伸ばせなかったもの


 また一歩恵が近づく

 永遠まであと一歩


 伸ばした指がかすかに震える

 のぞみの感触

 ねがいの質感


 触れたのは欠けていた心

 裂けていた心に手を当てる


 指先が溶け合う

 繋がる

 絡まる


 秀一郎が幼い手を最初に握りしめてから幾歳月

 恵は微笑んでいるが、目頭に涙も滲ませる


 祭壇の前でふたりは向かい合う

 繋ぎ合わせた両の手を見つめる

 そしてお互い見つめ合う


「辛い想いをさせたね」


「秀一郎さまこそ」


 ふたりは見つめ合う

 秀一郎と恵が見つめ合う


 秀一郎が恵のヴェールをあげる

 ふたりを遮るものが一切なくなる

 恵の笑みが咲き溢れる


 あの絵のような微笑み


「恵」


「秀一郎さま」


 特別に呼んだその名前

 そう呼びたかったその名前


 恵を包むこむ秀一郎

 初めて秀一郎の胸で流す涙


 お互いがお互いを抱きしめる

 お互いの万感の想いも重なる


 もう離さない

 もう離れない


 秀一郎が恵の頬の涙を拭う

 それでもまた恵の頬を幾筋もの雫がつたう


 今まで拭ってやることのできなかった恵の涙

 どれだけ恵の心に雨を降らせてきたのか


 こんな温かい涙があるなんて

 こんなに優しく心に降る雨が



 深い緑青の宝石のような瞳

 水蜜桃のような潤んだ瞳




 秀一郎の想いが恵へと

 恵の想いも秀一郎へ


 ふたりの額が合わさる


 あの秋

 唯一触れ合った指先と額


 あの秋の想いも

 櫛を贈った秀一郎の想いも

 櫛を額に当てて泣いた夜の想いも


 交わし合い

 重なり合い

 混ざり合い



 そして見つめ合い






「愛している」




「愛しています」





 I love you.My sweet heart.

 I love you too.I am yours.


 天からの花びらも

 足元の花びらも

 踊るようにふたりを包む


 秀一郎が少し顔を傾ける

 恵は瞳を閉じる



 ふたりの雫が一筋の糸となる


 もう分け隔てることはない


 君だけを想った銀の雨

 君だけを慕った金の庭



 われた末にめぐり逢えた流れは



 永遠の刻をきざむ



 吹き渡るは常緑の柔らかい風


 降り注ぐはいつかの色水色の煌く光の雨


 遠くに聞こえるは晴れやかな鐘の音




「お兄様は魔法使いね!」


「恵の雨だよ」






「恵」


「秀一郎さま」








 〜 めぐり逢い 想いを重ね 幾歳月いくとせ

     交はす誓ひは 永遠とこしへの夢 〜



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君想フ銀ノ雨 君慕フ金ノ庭 【総集編】 桜井今日子 @lilas-snow

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