忘却スキップ
「ついにこの時がきたな、青原」
秋羅は青原に向けて高揚感を含んだ笑顔を向ける。
「私の携帯でハルにメールを送ったのはあなたね」
「言っただろ、サポートはするって」
真春を無視して会話を続ける秋羅に、真春は戸惑いの表情を浮かべながら言葉を絞り出す。
「どうして秋羅が――。いや、やっぱりお前だったのか」
秋羅は眉毛を片側だけピクリと動かして真春の方に向き直った。
「なんだ、気付いていたのか」
「確信はなかった――いや、信じたくなかった。でもミーコにスキップのことを誰かが教えたっていうならそれは秋羅しかいないだろ」
正体が暴かれても、秋羅は変わらず不敵な笑みを浮かべている。
「わからないのは俺のカバンに入っていたメモ帳だ。最初あれは俺が自分で買った物だと思っていたが、メモ帳を手に入れる前後で俺の財布の中の金額に差異がなかった。あれも秋羅の仕業なんだよな?」
「ああ、そうだな」
秋羅の返事は、その声色の中に彼の余裕を感じさせる。
「俺がそのことを覚えていないってことは、当然スキップの間に渡された――いや、渡されただけじゃなくて『瀧生を殺す』という文字まで書かされた。どうして都合よくスキップのタイミングを狙うことができるんだ」
すでに上がっている秋羅の口元だったが、口角がそこからさらに持ち上がった。
「俺だけに使える魔法とでも言えばいいのかな。まあ教えたところでどうせお前は忘れるだろうから教えてやるよ。お前は俺が笑うのを見ると、そこから一時間後までの記憶を失う」
「そんな、じゃあ――」
美姫の声を聞き、秋羅がそちらに顔を向ける。
「そうだ。俺の思惑通り、今この場での出来事もあと五十分もすればこいつは忘れてしまう」
「そうか、それで十二時か」
真春がなにかに気が付いたのが表情からわかる。
「ハル、どういうこと?」
「スキップは決まって一日一時間なんだ。もし作戦決行の時に秋羅が俺をスキップに陥れようとしても、その時すでにその日の分のスキップを終えていたらきっと効果はない。だから一日の始まりの十二時――つまり零時に呼び出したんだ」
「付け加えるなら、今日を選んだのは零時過ぎに役者がそろう日だからだ」
得意気に秋羅が言い放った。
「瀧生が来るのか」
「あいつのバイトのシフトと帰り道のルートを調べた。もうここを通る頃だ」
秋羅が言った直後、暗闇からまた一人分の足音が響いてきた。
「お出ましだな」
暗闇を足音が割いて街灯の下に足音の主が姿を現した。
「お前ら、こんなとこで何やってんだ」
殺される予定の人物、三城瀧生だった。
「瀧生、逃げろ!」
最初に叫んだのは真春だった。宇治舘橋から住宅街までは多少距離があり、その叫びは重たい闇に押しつぶされて住民のもとには届かない。今は街灯が照らす範囲だけが世界の全てで、世界には四人の人間しかしない。この場で起きる全ては自分たちの手で乗り越えるしかない。
「あ? なんでお前に命令されなきゃなんねえんだよ!」
秋羅が学校の中庭で語った真春と瀧生のいさかいが真実なら、当然彼が真春の言葉を素直に受け入れるはずがない。仮に嘘でも、血の気の多いタイプの瀧生のような人種は、人の命令に従ったり逃げるという行為を嫌うものだ。とにかく思い通りに動いてくれる人間ではなかった。
「ミーコ! 駅前の交番に行って人を呼んできてくれ!」
瀧生を逃がすことができないのなら、人を呼んで瀧生の殺害を防ぐしかない。そう考えたのか真春は美姫に声をかけた。
「その必要はないわ」
美姫の意外な返答に真春は驚き、思わず彼女の方に顔を向けた。その一瞬の隙をついて秋羅が動いた。
隠し持っていた拳より一回り大きな石を右手で乱暴に掴み、暗闇の空に高く掲げたかと思うと、それを真春の頭部目掛けて一気に振り下ろした。中身の詰まった硬い物同士がぶつかる鈍い音が弾ける。
ある程度の加減はしていたようで血は出なかったが、真春の意識を断ち切るには十分だった。
真春の視界は夜の暗闇以上の暗黒に飲まれていき、そのまま意識まで暗黒の底に落ちていった。
――夢を見ていた。
真春は暖かい光に包まれている。見えるもの全ての輪郭がぼやけるほどの真っ白な光。
輪郭の曖昧な美姫がそこにいた。秋羅も、瀧生もいる。
全員が楽しそうに笑っていて、笑顔に囲まれた真春も笑っている。
美姫は大切な人だ。秋羅だって友達だし、瀧生も一期一会で出会えたクラスメイトだ。みんなで幸せに笑い合っていられるのは当然のことに思えた。すると、真春以外の三人が恐怖と苦痛を思わせる表情で、断末魔とも絶望の叫びともとれる声をあげて光の中へ消えていった。
真春は消えてしまった三人を探して彷徨い、それぞれの名前を叫び始めたあたりで光が晴れていく感覚に陥った。そうして夢から覚めた。
真春が目を覚ました場所は病室だった。清潔感につつまれた色の少ない白い部屋の白いベッドで体を横たえていた。違和感を覚えて頭に触れると、包帯が巻かれていることに気が付いた。
例にもれず白い病室のドアが開く音に気が付いた真春がそちらに顔を向けると、美姫が重い足取りで中にゆっくりと入ってきた。
数歩ベッドに近付いたところで真春が目を覚ましていることに気が付くと、美姫は驚きからか喜びからか、大きく目を見開いた。
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