企てている者と企てられている者

「ノート……入院中の分、必要だろ?」

 退院してから宇治舘高校うじたちこうこうに再び通い出して、初日の放課後にそう声をかけられた。声のする方を見ると、小麦色の肌をした同級生が気だるそうな表情でこちらにノートを差し出していた。ノートを持つのとは逆の手で、ツンツンと尖った短髪の頭をかいている。


 優しく気遣ってくれているのだが、何故かこちらに興味がないといった雰囲気を漂わせていて、それはガキ大将が子分を助けるも「別にお前のためにやった訳じゃない」と照れを隠す時のぶっきらぼうな様子に似ていると真春は思った。


「ありがとう……えっと、確か――」

「守屋秋羅。もりは守る。やは店屋の屋。あきは季節の秋。らは羅針盤の羅」

「ありがとう。守屋君」

「秋羅でいいよ」


 これが秋羅との出会いだった。同級生なのだから、厳密にはもっと前に出会ってはいるのだが、言葉を交わしたのはこの時が初めてなので、そういう事にしている。これ以降も秋羅は真春を放っておけない存在として気遣ってくれた。そのうちに秋羅は真春にとって、家族と病院関係者以外で唯一スキップの事を話せる相手になっていた。


 ――瀧生の事も秋羅なら相談に乗ってくれるだろう。


 秋羅に放課後話があると声をかけ、その日の授業中は何をどう相談すればいいかを考えていた。その最中にも、窓際一番後ろの席に座る真春からは美姫と瀧生の姿が目に入る。


 どこの高校でも普通に見られるような授業中の風景でも、この中には殺害を企てている者と企てられている者がいるのだ。

 ――俺も企てている者の一人なのかもしれない。


 それからは出来るだけ美姫や瀧生を見ないように、手元だけを見て過ごした。途中、休み時間に美姫と教室ですれ違う事もあったが、彼女は真春と目も合わせなかった。どうやら付き合っている事も二人だけの秘密のようだ。


 放課後、真春は秋羅を連れて中庭に来ていた。ここならば第三者に話を聞かれる心配はないだろう。


「話って何だ?」


 相変わらず秋羅は面倒臭そうな上面をしている。その視線も真春には向かず、中庭の木々で戯れる鳥なんかを見ていた。


「三城瀧生の事なんだけど」

「今日はスキップの事じゃないのか」

「うん。俺って何か、瀧生に対して怒ったり憎んだりしてるのかな?」

 相談の仕方を考えはしたが、何もわからない以上、結局ストレートに聞くほかになかった。


「何だ、やっぱりスキップの事じゃないか。つまり真春は昨日俺たちの間に何があったかを覚えていないって事だろ?」

「俺たちって……昨日俺は秋羅と会ってたのか?」

「ああ――」

 秋羅が真春の方に向き直る。


「俺と真春と瀧生の三人でな」


 中庭を生温い突風が吹き抜けて、驚いた鳥たちはバサバサと音を立てて飛び去っていった。


「三人で……そこで何かあったのか?」


 秋羅は飛び去った鳥を探して再び視線を外すが、反対に真春は秋羅から目が離せなかった。


「端的に言うと、お前瀧生に恨まれてるんだよ」

「覚えてないけど、もしかして俺瀧生に何かしたのか?」

「いや、真春は悪くないよ」

 秋羅が軽くため息を吐いてから続ける。


「瀧生の母親が病死したのは知ってるか? ……って、知らないよな。昨日も聞いた。問題はいつ死んだかなんだけど」

 一呼吸の間。


「去年の六月二日だ」


 ――六月二日。

 それは真春にとって忘れる事のできない日付けだった。


「俺が事故に遭った日じゃないか」


「正解だ。次に問題なのがその事故の相手――真春を撥ねた奴が誰なのかだ。これもお前は知らないみたいだからこのまま言わせてもらう。お前を撥ねたのは瀧生の従兄いとこだ」


「まさか」

 あの日真春を撥ねた自動車は交差点をかなりのスピードで曲がってきた。横断歩道を渡る真春が目に入ってもブレーキが間に合わない程に。


「もしかしてその従兄は病院に向かう途中で……」


「相変わらず鋭いな。事故を起こした瀧生の従兄は、あの時瀧生の母親の危篤の知らせを受けて、病院を目指して車をとばしていた。その道中で真春を撥ねちまった従兄は、結局瀧生の母親の死に目に会えなかったらしい」


「そんな事があったのか。俺、事故の後は眠ってたから相手とのやり取りは親が済ませてくれてて……だから相手の正体も事情も知らなかったよ」


「従兄は瀧生と兄弟同然で育ったらしくてな。母親からしても息子のような存在だったらしい。それで瀧生はお前を恨んでるって訳だ。でも真春が気にする事じゃない。完全な逆恨みだよ」

 秋羅が真春に微笑みかけた。気にするなという言葉を表情でも伝えようとしている。


「ありがとう、秋羅。それで、それだけ俺を恨んでいる瀧生と俺たちの三人で昨日何があったんだ?」


「ああ、ただの喧嘩だよ」

 そう言って秋羅は着ていたシャツをまくって腹部を真春に見せた。よく焼けた肌のところどころが内出血により赤くなっている。


「大丈夫かよ! なんで秋羅が? もしかしてかばってくれたのか?」

「いいや、ただのお節介だよ。最初は俺と瀧生が商店街の辺りでばったり会ってさ、そこで逆恨みはやめろって一言口出ししてやったらこの様さ。喧嘩の騒ぎで何人か集まってきて、その中に真春もいた。人目があったから、瀧生はお前を睨んだ後舌打ちだけして帰っていったよ」

 自分のために瀧生に口を出し、そのせいで殴られた秋羅に、真春は申し訳ない気持ちになった。


「本当にごめんな。秋羅が俺のためにそこまでしてくれたのに、それさえ俺は忘れてしまって……」

 そんな真春の肩に手を置いて秋羅が言った。

「忘れるのも真春のせいじゃないだろ。でももし責任を感じているのなら、ジュースでも奢ってくれよ。暑いから喉が渇いた」


 何もお礼ができないままだと真春の気が済まない事を察して、秋羅は安価なもので済ませようとしているのだろう。それに気づいた真春は、秋羅がいてくれて良かったと心から感謝していた。


「じゃあ帰り道の自販機で奢るよ」

 二人で学校を後にしながら、真春は秋羅から聞いた今の話をメモに記した。これで仮に今スキップが起こっても、明日秋羅に三度目の説明をさせる事にはならない。


「秋羅、本当に悪い」

「全くだよ」

 自動販売機を前にして財布を開いた真春は、一万円札一枚のみしか手持ちがない事に気が付いた。この自動販売機には一万円札が使用できない。逆に秋羅にジュースを奢ってもらった真春は、今一度秋羅に感謝した。


 二人でジュースを飲んでいると、次の瞬間真春は家の前にいた。自分のではない。表札を見ると、そこにはローマ字で『AOHARA』と書かれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る