最終話:来世でまた逢えるのなら

 葵の声を初めて聴いたのは、一学期の終わり、終業式の後だった。プラネタリウムに行こうと誘った神社の脇にある小さな公園、そこで夏休みの話を筆談していた時だった。


「死ぬ事は悲しい事じゃない。あたしにとっては」


 彼女は小さな声だったが、確かにそう言った。初めて聞いたのに、もうずっと前から知っているような声、そして話し方。葵の口から発せられた声に違和感はなかった。


 ただ、“あたしにとって”、そして “僕にとって” 死ぬことへの価値観が、僕が想像しているものと、まるで異なるということに、もっと自覚的であるべきだった。このずれをどう取り扱ってよいか、まだあのころの僕には分からなかった。いや、正直、今もよく理解していないのだろう。


 ただ少なくとも一つ言えることがある。死ぬことは悲しいことじゃないと、なぜ彼女は筆談ではなく、自分の声で僕に伝えたのか。その重大性を僕は見逃していた。伝えたい思い、理解してほしい、その懇願度。彼女にとって声を発することがどれだけ大変なことだったか、そうまでして僕に伝えたいこと、わかってほしいこととは何だったのか。そのことを僕はしっかり受け止めることができなかったのだと思う。


「俺は、葵がいない世界なんて悲しいよ」


 僕の口から出てきたのはこの言葉だけだった。僕にとっての悲しさと、葵にとっての悲しさは、異なった次元に存在したまま、もう交わることはないのだと、この時の僕はまだ気付いていなかった。その日の日記にはこう書いてあった。


『あたしのいない世界を悲しいと、そう思ってもらえる事をこれまで生きて来た証だと思って嬉しく思います。早くここから抜け出せる事を望みます』


 「死にたい」という気持ちは多くの場合で、ただ死にたいのではなく、そこには同時に生きることに対するつらさも内包しているはずだ。生きる意味、どんな生き方にも価値がある。しかし、そんな価値にさえも関心を持たない人たちに、生きろと言うのは、ある意味で残酷なことなのかもしれない。


 今にして思えば、「死にたい」というのは人の大切な感情の一つなのだ。それは、「うれしい」、「寂しい」、「楽しい」、「苦しい」、と言った感情と基本的には変わらない等価なものだと思う。だからその感情を否定することは、その人そのものを否定することと同じことなのだろう。


 誰かが一生支えなければ、生きていけなくなってしまうというような状態になる前に、つまり、一度や二度の対話で、なんとかこちら側で生きていけると言うような生活が送れるようになるためにどうすればよかったのだろうか。


 「つらさ」を「つらさ」として受け止めることができるようになること、「無理」を「無理」と判断できるようになること、一人で耐えるのではなく、他者に協力を得ることができるのであれば、他者を頼ることができるようになること、そういうことができるようになるために、僕には葵にもう少しできることがあったかもしれない。


 八月の初め、彼女はこの世界を後にした。希望を携えてのことだったのか、それとも絶望にまみれたままだったのか、今となっては知る由もない。あの夏から交換日記が更新されることはなかった。


 狭い路地を抜け幾つかの寺院を抜けると、ひっそりとした高台に墓地が広がる。彼女の父方の実家が、この岐阜県高山市だったというのは、彼女が亡くなった後に知った。


 月本家の墓と書かれた墓標に、僕は毎年手を合わせる。あれから約五年の月日が流れている。しかし、決して薄れることのない記憶。たった数か月の間ではあったけれど、僕たちの間で交わされた言葉の数々が、縦十五センチ、横二十センチの裏紙数十枚と、同じサイズの手帳に今でも色褪せることなく残されている。彼女の生きた証。それは僕との会話という形で、いつまでも残り続ける。


 手帳の一番最後のページに小さく文字が書かれているのを知ったのは実は最近のことだ。


『来世でまた君に会いたい』


そこには彼女なりの希望があったのだろうか。

来世でまた逢えるのなら、今度は君と何を話そう。

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来世でまた逢えるのなら、今度は君と何を話そう 星崎ゆうき @syuichiao

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