第2部 吹けよ、ニルヴァーナ
ep8 勇者の村・ルドンにて
『新世界』の外れに、ひとつの村があった。
例えば、『牧歌的』という言葉がこの村から生まれたとしても不思議ではない——ルドン村の風景はそういうものだった。
周囲を取り囲む青い山々。
どこまでも広がる草原。
小高い丘で草を食む牛や馬。
どこからか聞こえる川のせせらぎ。
虫や鳥や蛙の鳴く声。
穏やかな時間。
争うことをやめた高潔な精神を持った村人たち。
この村にはそれらすべてがあった。
子どもたちは無邪気に走り回り、大人はあくせく働き、老人は深遠な言葉を語る。
未来に満ち、現在を謳歌し、過去に学ぶ。この村では、そんな理想的なサイクルが成立していた。
ある穏やかな日の昼下がり、村に数人の使者がやってきた。
『新世界』随一の大都市・チェイテ。
城を中心に放射状に広がるその都市の軍人たちだった。
彼らは一様に屈強な体つきで、肩から胴回りにかけて簡素な鉄の鎧をまとっていた。軍の基準でいえば決して重装備ではなかったが、村人から見ればかなり物々しい出で立ちだった。
「我々に何か用ですかな」
村の長である、白い口髭をたっぷりとたくわえた老人が、先頭に立つ男に智慧に満ちた声音で問うた。
「我らはチェイテ軍の使いの者だ。魔女エルジェーベトから、この村に勇者が転生したと聞いた。差し出せ」
男はまるで機械のような口調で答えた。
「勇者の転生? 存じ上げませんな。……確かに、ルドン村は歴史上、勇者の生まれた村とされておりますが、それも大昔のことで——」
「勇者はいないんだな?」
どうやら男には、要件以外の話をする余裕はないらしい。
「ええ、おりませぬ。なにぶんこのような田舎村なもので。……しかしトンボ帰りもなんでしょう、ぜひ、詳しいことはお茶でもすすりながらお聞きしましょうぞ——」
「勇者がいないなら用はない。この村にも、お前にもだ」
瞬間——
使いの男は懐の短刀で老人の首を斬りつけた。
「お——————ぉ…………」
血しぶきが噴き上がり、老人は声にならぬ声で口を開閉しつつ卒倒し、間も無く事切れた。
後方で一部始終を眺めていたほかの村人たちが叫び声を上げ、一斉に逃げ出した。
「チッ。黙らせてこい」
男が命令すると、背後の兵士たちが方々に駆け出した。
「老いぼれが語る歴史に学ぶことなど、何もない」
老人の亡骸を踏みつけて、男は嘆息した。
「くんだりド田舎まで来て成果なしとは。あの魔女か、この老いぼれのどっちかが嘘をついていることになる。……どう思う、イワン?」
たった一人、イワンと呼ばれた男の傍らの小男が、落ち着きのない様子でヘラヘラと笑った。
「うわ〜。マジで殺しちゃうんスね。レートリクさんマジパないっス。つーか、この爺さん、たぶん嘘ついてなかったっスよ」
イワンの言葉に、レートリクは頷く。
「そんなことは知っている。ただ、あの魔女に食わされたことに腹が立っただけだ」
「うへえ、理不尽。軍隊長は怖いっスね〜」
だったら魔女に怒りをぶつければいい、無関係な老人を殺すなんて馬鹿げてる。
老人が歴史を語ることの意義を見出せない、脳まで筋肉のバカ軍人。
イワンは心の奥でレートリクを蔑みながらも、その顔面には笑顔を貼り付けた。それがイワンの渡世術だった。
「文句があるなら次はお前を殺すぞ」
「いくらなんでも仲間殺しはできないっスよね〜」
「どうだかな」
「怖い怖い♪」
そんな軽薄なやりとりの裏で。
かくして、勇者伝説の残るルドン村は壊滅した。
さっきまで穏やかな村だったはずの焼け野原を背に、レートリクは恨めしく、こう叫んだのだった。
「勇者テルキ、どこにいる! 必ず見つけ出し、魔王の討伐にあたってもらわねば……!」
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