ep4 「それじゃあ、私の嫌いなことも言っておきますね」

「じゃあ、私はそろそろお仕事に行きますね。トラトラ、後のことはお願いします♪」


「おう! 任せとけッ!」


朝食が終わると、手際よく片付けを済ませたデボラさんは仕事に行ってしまった。

『メゾン無量大数』に残されたのは、大家兼教育係のトラトラと、元借金取りだがトラトラの温情によってここに住むことになったオネスティと、そして俺。三人だ。

なんとなく心細い気分になる。トラトラも根は優しいとはいえ、口はけっこう悪いので、デボラさんの優しさが潤滑油になってコミュニケーションが成立するような場面も多い。

デボラさんはいかにも世渡り上手というイメージだ。あのほんわかした雰囲気と、知性を感じさせる佇まいを嫌う人はいないはずだ。

——そういえば『異世界管理会』の会長だと言っていたっけ。具体的にどのような活動をしている団体なのかはわからないけど、どんな仕事でもデボラさんならそつなくこなしそうに思える。


「トラトラは『異世界管理会』の仕事はないの?」


何気なく問うと、トラトラは「何をいまさら?」とばかりに首を傾げた。


「いままさに管理会の仕事中じゃないかッ」


「え……? もしかして大家と俺たちの教育のこと? それが『管理会』でのトラトラの仕事?」


「そうだぞッ! 文句あるのか!?」


「いや、ないけど……仕事、それだけ?」


「なんだ、楽そうだなと言いたいのかッ!?」


「そうじゃなくて、もっと会議とかそういうのがあるのかと」


楽そうだなとはまったく思ってない……と言えば嘘になるけど、教えてもらう側が言っていいことではないことくらいは俺でもわかる。まさか教育と大家だけが仕事とは夢にも思わなかったのは本当だけど。


「会議ィ? そういうクソ面倒なのはデボラに任せてるッ!」


トラトラは吐き捨てた。

いいのか? 会員(社員?)として問題がある気もするが……。


「オレは現場主義なんだよッ」


らしい。まあどのように仕事と向き合うかは個人の自由であって、その自由を認めている点でも『異世界管理会』が完全な団体であり、ひいては宇世界が完全な世界ということだと理解すればいいのだろうか。


「ッつーことで、今日の活動はこれから昼まで散歩ッ! 昼飯を食ったら、もうちょっと散歩ッ! 喫茶店で一休みして、また散歩ッ! ——以上だ!」


ずいっと胸を張って、トラトラが宣言した。

隣り合って座っていた俺とオネスティは唖然として顔を見合わせた。


「ずっと散歩じゃないか……」


「それだけで……いいんですか……?」


「まずは宇世界のことを知ってもらうことからだ! それに——」


朗らかな表情から突然——トラトラは表情を硬くした。


「オネスティを一時的に、ここから遠ざけないとダメだろうからなッ」


「ここから遠ざける? なんで——」


と言いかける途中、横に座っていたオネスティが怯えたように、


「——やっぱり、狙われますか?」


と、ポツリと言った。

……狙われる? どういうことだ?


「もちろんだッ。オマエを匿ったオレたちも狙われる……! もっとも、そうじゃなくたって宇世界にいる時点で命は脅かされているのだがなッ!」


「ちょ、ちょっと待てよ! どういう意味だ?」


俺は慌てて二人の会話に割って入った。意味がわからない。

なぜオネスティの命は狙われる? なぜ俺たちの命は脅かされる? ……以前、デボラさんも言っていた『悪い報せ』の4つめのことだ。宇世界に存在するだけで、なぜ——


「野蛮で前時代的な『新世界』の連中のせいだッ。オネスティの雇い主でもあったのだろうヤツらがオレたちを付け狙う——愚かな価値観のせいでな!」


唾棄するような口調でトラトラが言う。オネスティはしたたかにコクリと頷く。

そして俺を見た。


「テルキさんはこの世界に転生してきたばかりなんですよね……?」


「ああ、そうだよ。だから、この世界のことはほとんど知らない」


無力感を抱きながらかぶりを振ると、オネスティは話を続けた。


「まず、数多ある異世界群が定員超過を来していることはご存知ですよね……?」


「ああ。ここに来る前にデボラさんから聞いた」


「……では、その極限状況に対して用意された解決策が二つあることについては……?」


「……知らない」


正直に俺は言った。

いや、これまでの話を総合すれば、大方の察しはつくのだけど。今俺たちがいるこの『宇世界』のほかにもうひとつ、『新世界』という世界があって、オネスティはそこからやってきて——そしてどうやら『宇世界』と『新世界』の関係は良好ではなさそうだということくらいは。

しかし察しがつくというだけでは知っていることにならない。

だからオネスティの問いには『知らない』と答えるしかなかった。


「えっ……? え、えっ………………知らない?」


オネスティは驚いていた。それも尋常じゃなく。まるで今まで地面だと思っていたものが実は天井だったと知った時のような驚きようだった。


「……どういうことですか?」


オネスティは、なぜかトラトラに向かって問いかけていた。


「『宇世界』で暮らす人に対しては、説明責任があると思うのですけれど……?」


少しだけ攻撃的な口調だった。彼女はこんな態度も取れるのかと驚きを覚えたが、オネスティの性格とは関係なく、それだけ切迫した事態だと感じているのだろう。


「……これから説明しようと思ってたんだよッ」


面倒そうに頭を掻いていたトラトラは、野良犬でも追い払うかのように言い捨てた。


「……本当ですか?」


「おいおい、オレが嫌いなことを、もう忘れたのか?」


食い下がるオネスティに凄むトラトラ。同じことを二度言わせるなという意味だろうが、童女が醸し出す威圧感ではなかった。

だが、オネスティは怯まなかった。


「……それじゃあ、私の嫌いなことも言っておきますね。……私は、情報が意図的にコントロールされているせいで行動が制限されているのが、この世界で一番嫌いなんです……。何か大きなものの力によって、無知に仕立て上げられている状態が、許せないんです……」


——ハッとした。

「ほう……?」とトラトラも関心したような表情を見せた。それだけ、オネスティの言葉は強く、反論として成立していた。


俺は彼女についての認識を改めなければならないだろう。

ただの気弱な少女だと思っていたが、彼女には一本の芯が通っているように見えた。それも揺るぎない芯が。

そして、そういう芯を持つ女性は美しいのだと思い知った。トラトラに食ってかかるオネスティの横顔からは、頼もしささえ窺えた。


「……そういきり立つなッ。大丈夫だ。オレを信じろ」


会話を打ち切ろうとしたのか、トラトラは静かにそう言うに止めた。

この対応にはオネスティも引き下がるしかなかったようで、また普段の気弱そうな雰囲気に戻った。


「じゃあ十分後に散歩に出るから、各自準備してここに集合しろッ!」


パン、と手を叩いてトラトラが号令をかけた。

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