第1部 チュートリアルは突然に
ep1 「テルキだからテルテルだな!」
窓から入り込んでくる朝日と、ささやかな小鳥の鳴き声。
『完全な世界』とやらが迎える『完全な朝』は、俺の想像通りのものだった。
「うー……ん」
広いベッドから起き上がり、『完全な寝覚め』を享受する。
——眠い。ダルい。二度寝したい。
いや、これのどこが完全なのか。生前となんら変わりない。
できることなら「あと五分〜……」とムニャりながらもう一度布団を被りたかったが、さすがに転生した一日目くらいはスッと起きよう。
グッと強く体を伸ばす。フワフワとした眠気成分が体から抜け落ちるような感覚。
このへんも以前と同じだ。体が特別なものになったということはないようだ。
「なんなんだ〜宇世界〜♪ どーこーがー完全なんだ〜♪」
即興で謎の歌を口ずさみながら、パジャマから昨晩用意された服に着替える。
チノパンのような普通の黒いズボンと、胸に小さなトカゲのワッペンが付いた水色のシャツだった。——ほとんど高校の夏服みたいだな。
死んでもなお転生できて、こうして新しい朝を迎えるのは喜ばしい限りだが、いかんせん『宇世界』がどういうものかという不安はある。
そんな嬉しさと不安を歌ったのが、今の歌だ。
「おはようございます」
——と。
背後から爽やかな挨拶がかかった。
「とても良い歌ですねぇ」
振り返ると、部屋のドアの前に漆木デボラが立っていた。
「うっ、漆木さん!」
「デボラでいいですよ」
慌てふためく俺をよそに、彼女は朝にぴったりな微笑を寄越した。
「デボラさん、……いつからここに?」
「たった今ですよー♪」
「……よかった」
俺がホッと胸をなで下ろしていると、
「朝食の準備ができていますので、下のリビングルームへどうぞ」
と言いながら踵を返した。
そしてボソリと、
「いやぁ、それにしても可愛い寝顔でしたねぇ」
と、呟いた。
「えっ、ちょ! ——やっぱりずっといたの!?」
一気に顔が熱くなる。
変な歌のみならず、寝顔まで……?
『宇世界』にプライバシーはないのか……!?
やっぱりなんなんだ、宇世界……。
見知った顔のデボラさんだったからまだ良かったものの、知らない人が突然現れたら女の子みたいな悲鳴をあげちゃうぞ。
「いい反応です。ボケ甲斐がありますよ」
デボラさんは意地悪そうに歯を覗かせて、階段を降りていった。
トタタタ……と優しい音が遠ざかった。
「……なんだ、ボケだったのか……」
と、安堵は——できなかった。
自由に部屋に出入りできてしまう程度にはプライバシーがないことには変わりないのだから。
『宇世界』に悪人がいないことを祈りつつ、俺も部屋を出て階段を降りた。
×
リビングには大きな丸テーブルが鎮座しており、その席のひとつに先客がいた。
「おはよう新入り! いい朝だな! そして我が完全なる住処『メゾン無量大数』へようこそ!」
喉にメガホンでも埋め込んでいるのかというほど大きな声で、その先客——見たところ、小学生くらいの女の子に見える——は俺に言った。
おかっぱ頭だが金髪という、どこかちぐはぐした印象の女の子だった。
「えー……と?」
情報が多すぎて適切なツッコミどころを見失ったため、傍に立っていたデボラさんに視線を送る。
「こら、トラトラ。自己紹介を最初にしないとでしょう?」
お姉さんのような口調で諭され、『トラトラ』と呼ばれた童女は「うむ! デボラ正論!!」と大きく頷いた。元気だな。
そして、
「オレの名前は無量大数トラトラ! 『メゾン無量大数』の大家にしてお前の教育係を任されることになった! デボラは忙しい身だからなッ、オレが『宇世界』のしきたりを叩き込んでやるぞ! よろしくな!」
そう言って、グッとサムズアップしてきた。口角から覗く八重歯が眩しい。
見ると、服はかなりオーバーサイズのTシャツ一枚をワンピースのように着ているだけだった。まあ、見えないだけでショートパンツくらいは穿いているのかもしれないが。
しかし、無量大数とかなんとか……脳内がいろいろと混乱をきたしている。
ひとつづつ解決していくことにした。
「えーっと、まず……無量大数トラトラっていうのが君の名前なの?」
「そうだッ! オレが先輩、お前が後輩だが、呼び名はトラトラでいいぞ!!」
こんなちっちゃい体のオカッパ童女(金髪だけど)が、俺の教育係? 違和感がすごいぞ。
「それで、この家の名前が、『メゾン無量大数』で……?」
「うむっ! その通り。オレが大家だ!」
こんな声がデカい童女(金髪だけど)に大家が務まるのか甚だ疑問だが、次の質問に移る。
「この『メゾン無量大数』には、他に誰が住んでるんだ?」
「住んでない!」
食い気味に、自信満々に言われた。
「誰も住んでない! お前だけだ!」
念を押された。
ここで俺は、タオルを投げ込むセコンドの気持ちで、たまらずデボラさんを見た。
彼女は苦笑気味に、
「テルキさんが最初の入居者なのですよ」
と口添えた。
……突然、不安で胸がいっぱいになった。
なんなんだ? ぜんぜんメゾンとして成り立っていないじゃないか……家賃収入とかどうなってるんだ?
——っていうかそもそも、俺、金とか持ってないぞ。こんなところに住んで平気なのか?
そんな不安を察したのか、トラトラが俺の背中をバシバシ叩いた。やめろ痛い。
「案ずるな! 時々オレが振る簡単な仕事さえこなしてくれれば、お前の住居はオレが保証するぞッ! オレはだいたいこのリビングにいるから、なんでも相談してくれよな!!」
そしてドン、と胸を叩くが、そのぺったんこの胸はいかにも頼りなかった。
「それで、お前の名前はテルキと言ったか?」
「うん、そうだけど……」
「テルキは言いづらいな! ……よしっ! お前は今日からテルテルだ! オレはトラトラ、お前テルテル! うん、いい感じじゃないかッ!?」
「そ、そうだね……よろしく……」
ニックネームの方が長くなってるし——
などとは言えず、トラトラに押し切られるようなかたちで、消え入るように肯定するしかなかった。
「うん、よかった! うまくやっていけそうね♪」
デボラさんは呑気に手を叩いている。
ああ、もう、帰りたい。元の世界に帰りたい。
それができないなら、もういっそ殺してくれ……。
そんな気分にさえなったのだった。
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